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2016年11月26日土曜日

トランプ次期大統領とツイッター

次期米大統領の言動はすべてツイッターを介してなされている。これまでの新聞やテレビで知るよりも先に世界の名もなき人々が先に知る状況になっている。これまでの報道機関が置いてきぼりにされている。この新しい状況はインターネット時代をそのまま利用している新しい指導者だと言わねばならない。世論をリードしていくのは誰か?マスコミではないだろう、評論家でもないだろう、この私だ、とトランプ氏は叫んでいる。マスコミはそのツイッターでの言動を後になってああだこうだと解説している。そうではないだろう、こうだろう、と同じツイッター上で反論するジャーナリストはいない。ついて行けてない。トランプ氏の独走だ。

2016年11月24日木曜日

本当は筆不精ではないよ

年とともにブログを書く回数が減っている。理由は加齢?多忙?確かにそれはあるのだが自分では違うと思っている。元々ブログを始めるにあたり決めていたことがあった。それは政治と宗教のことにはなるべく触れないでおこう、ということだった。しかし、昨今色んなニュースに触れるにつけ、政治に対するもっと直接的にはAさんの言動に腹立たしさを感じて

2016年11月15日火曜日

アベノミックス

3本の矢とよく言われるやつです。
1本目:金融政策、国債の日銀による買い上げ、マイナス金利、など「金融緩和」策
2本目:財政出動、復興投資、インフラ整備、国土強靭化計画、地方再生など
3本目:規制緩和、特区、重点投資による成長戦略

2016年11月1日火曜日

マスゾエ?マスコミ?

最近東京発のニュースはマスゾエ一色だったが、私にとって気になるのはマスコミ(ジャーナリズム)の役割のことだ。

2016年8月11日木曜日

違和感:「丁寧な説明」

いつのころからか、この言葉がテレビ画面で良くお目に掛かるようになってその度に、何んとも白々しさ、苦々しい違和感を覚える。「丁寧な説明をしなければならない」ということをことさらに言う裏側に、このまま時間を重ねていけばいいというずるさが見えるように思うのは私だけだろうか?先日来の「安保法制」でも同じ展開、「丁寧な説明とは審議時間に換算できることではなく、短時間でも誠意ある、内容の伴った納得できる説明」であれば良いのであって、審議時間の長さではないのだから。何故だろうかと考えると、この言葉が飛び交うのは必ずと言ってもいいくらい権力を持っている側、説得していかねばならない立場の人が言うからだろうと思う。それをしていない側の人が他人事のように言うからこそ腹立たしいのである。結局、60日ルールを見越して悠々の衆議院通過で安保法制は制定の運びとなるのだろう。しかし、この法制には今後長く「合憲か違憲か」を巡る法廷闘争が待っている事だろう。それが何より「丁寧な説明」などせず、批判に耳も貸さずに強引に押し切った報いだろう。これから始まる実りない不毛の議論に付き合わされる国民こそ迷惑を蒙る。場合によっては国政の渋滞を招く厄災の種になるだろう。
その翌日の安倍首相による「国立競技場建設問題の白紙撤回」にはもっと国民を舐め切った態度にさらに腹立たしくなった。国立競技場建設問題はそれはそれで大きな問題だと思うが、首相の談話で、実は1か月以上も前から議論してきて見直しするとの結論はとっくに出していたのだ。自分たちのお手盛りの有識者会議などを平気で横目に見て知らんぷりして推進案を出させておいて、そしてこの球を「安保法制」衆議院通過の翌日に目くらましのように投げてきたのだ。自分に任せておいてよかっただろう、目配りのできる総理だろうとこれ見よがしの姿を見て唖然とした。「熱しやすく冷めやすい」国民性を見切っての行為以外の何物でもない。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...