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2021年3月12日金曜日

3.11から10年:「原発事故は人類の悲劇、まだ終わってない」

この日、この話題をスルーする訳にはいかない。10年前のこの日、日本橋茅場町で仕事をしていた。以下は震源地から約375㎞離れた東京都心での被災記録だ。

その仕事場は交差点の一角に建つ鉛筆のような細長いビルの8階にあった。揺れは今ははっきりといえるがいわゆる長周期振動で最初は大した揺れではなかったが段々と振幅が大きくなり、その鉛筆ビルは交差点に倒れるのではないかと一瞬想像した。そしてしばらくすると揺れが収まるのではないかと思ったが、そこから1段ギアを上げて猛烈な揺れが再来した。その時これはひょっとすると関東大震災に次ぐ2度目の首都直下型地震ではないかという想像が頭をよぎった。揺れに耐えて自分と同じぐらいの高さのファイル棚が倒れないように左手を添えて壁との間で自分を支えている間、家族のことまでは気が回らなかった。数分の後揺れがいったん収まってから窓際から交差点を見下ろした。大勢の人が立ち尽くして自身の収まったのを確認している様子が見えた。オフィスでは大きな金庫が自重でフリーアクセスの床を突き破って大きく傾きファイル棚からはファイルが雪崩落ち足の踏み場のない状況になっていた。それからテレビをつけて情報収集に入った。この時点で息子たちに電話したところ皆無事を確認出来て一安心した。その後は時間の経過と共にみんなも知っている津波の映像へと移っていったのでした。16時過ぎにこれは家には帰れそうもないと近所のビジネスホテルに予約に行ったが時すでに遅しで満室。事務所に泊まるしかないかと観念した。23時を過ぎると地下鉄が動き出したとのことで家のことも心配なので帰ることにした。地下鉄で新宿に出るのに90分掛かった。あとで分かったことだが新宿駅が大混雑で新宿に電車を入れないようにコントロールしていたらしい。 京王線の電車は各駅停車で随時発車していたが結局、北野駅に着いたのは午前4時過ぎだった。タクシー乗り場は乗車待ちの人で一杯だったので歩いて帰宅したのは12日午前5時頃だった。幸い、家の中は何一つ落ちたり倒れたりしたものはなかった。

しかし本当の災害はそれからの4日の間に津波をかぶって全停電になった福島第1原発3つの原子炉が水素爆発を起こしたことだ。地震は天災に近いが原発事故は人災(人間の浅知恵が引き起こした災害)だった。アメリカでは日本の関東を含む北半分が汚染される大事故になるとの判断が下され、大使館に在留アメリカ人の避難勧告が出されたらしい。知らぬは日本人だけだったのだ。そして現在のように主として福島県だけの局地的な放射線汚染で収まったのは本当に奇跡だったようだ。

今まだ、原子力発電に頼らずして脱炭素社会は実現できないと原発に依存し続ける人たちに限りない疑問符を投げ掛けたい。

2020年3月14日土曜日

テレビドラマ:やすらぎの刻「道」(4)

ドラマ脚本作家のレジェンド、倉本聰が2年にわたって書き続けてきたドラマももうすぐゴールにたどり着くようだ。物語はテレビ界を彩り、歴史を作ってきたそれこそレジェンドたちを人知れず、あるゴルフ場を作り替えた老人ホームに集め、安らぎの場としている。そのユートピアでテレビ脚本家の菊村は発表する当てもなく、ただ書きたくて書きたくて脚本を書いている。その脚本が、やすらぎの刻「道」なのだ。時代設定からすると、主人公は昭和5年ごろ生まれと推測される。だとすると2020年現在の主人公の年齢は90歳、ということになる。ドラマはつい先日、3月11日の放映は2011年の東日本大震災と重ね合わせて放映された。主人公根来公平(86歳)妻しの(87歳)と炬燵で裂き布を作っている。午後2時46分、突如大きな揺れが襲ってきた。マグニチュード8.9の大地震、それに追い打ちをかける福島原発の爆発事故を見て、橋爪功演ずる根来公平はうろたえに狼狽える。「何かしなくては!」との思いで家を飛び出す。飛び出して駆け出し、寺に行き、それから・・・どこをどう歩いたら良いのか、何をしたいのか、自分の居場所もなすべきことも分からなくなる。時々襲ってくる認知症的な症状。このドラマを支える中島みゆきが素晴らしい。いくつもの曲が用意されていて、ドラマを盛り上げる。この日の挿入曲も場面にピッタリ。娘の里子は北海道の炭鉱から福島原発へ移住していて、いづれこの場面につなげるのだとは分かっていたがそれがこの場面に繋がっているのだ。

2019年3月13日水曜日

大地震体験

その日、私は日本橋の某社に仕事で出掛けていました。14時40分過ぎにゆらゆらと揺れはじめました。正にゆらゆらと振動周期の長さに一瞬、これは大きいかも、でも震源は遠いなというところまでは計算できました。ところがここから凄い揺れに変わってきたのです。獣が本性をむき出しにしてきたかのように執拗に、大きく揺れだしました。使っていたパソコンのディスプレイが机の向こう側に倒れ落ち、後ろでファイル棚が倒れ始め、書類があちこち散乱し、悲鳴が飛び交いました。柱と机の間に体を入れて支えているのが精一杯でした。ペンシルビルといってもいいかもしれない9階建てのビルの8階でその時を迎えたのでした。余震も本震と同じくらい凄かったです。テレビを付け、東北が震源、津波10mとの警報をこれが本当なら凄いことになるぞ、といっている間にテレビの画像では既に津波の様子が映し出され始めました。早い。早すぎる。自分の帰る心配が頭をよぎったのはもう16時過ぎていました。しかし、時既に遅しで近在のホテルはどこも満員。電車は当然動かないだろうし今夜は泊まりだな・・・。22時頃地下鉄が、22時ごろ郊外電車が動き出したので兎も角帰ることにしました。23時に大江戸線に乗り、新宿に到着したのが午前1時半。それから京王電車で北野駅に着いたのが午前3時頃でした。家に着くとまた地震。今度の震源地は長野。これでは日本沈没だ。ラジオをつけ、地震予報に何度も起こされながら2時間ばかりのまどろみで12日の朝を迎えたのでした。

2019年3月11日月曜日

8回目の311

ここまで15年間続けてきたパソコン関係のボランティア活動は今やスマホ・タブレット講座に主役が変わっている。その3月講座が毎週月曜だったので、今日もその日だった。何と、奇しくもそれが311。「今日は講座の途中に14時46分を迎えるので、その時に黙とうしたいのだがどうでしょう?」と問いかけました。受講している皆さんはみな、70~80歳代の同年配者だったが、否応もなく異口同音にうなずいてくれた。あの日あの時皆さんはどこで何をしていましたか?という問いにはそれはそれは色々な状況で迎えていたことを知りました。そういう自分は前にも書いたかもしれませんが日本橋茅場町で友人の小さな会社のIT環境の整備を請け負っていて週に2~3回、通っていた丁度その当日でした。茅場町の交差点に立つ鉛筆ビルのような9階建てのビルの8階にいました。その揺れようは体験したことのないものでした。椅子から立ち上がったままで身動き一つできず、周りで揺れているファイリングキャビネットが倒れ掛かるのを防いでいたのか、キャビネットに自分が支えられていたのか分からない状態でした。揺れが通常の地震のように収まりかけたなぁ、ヤレヤレと思った間もなく、第2弾の一段と強い揺れが襲ってきました。後にいうマグニチュードを上方修正した初動を上回る最大の揺れだったのです。津波をより強烈にした大きな要因ではなかったかと思っている揺れだった。同じフロアのフリーアクセスが重いロッカーで崩れ、オフィス内は惨憺たる有様だった。あの2弾目の強烈な揺れから体を支えながら、これはひょっとしたら2回目の関東大震災ではないのか!という思いが頭をよぎったことも鮮明に思い出せます。だとすると命の危険もあるなぁ、とも思いました。八王子の家に帰りついたのは12日の午前4時ごろでした。家に帰りついた途端にまた強烈な揺れが襲ってきました。それはラジオで松本地方の地震(栄村震災とか長野北部地震とも呼ばれている)と知りました。小松左京の日本沈没を思い起こさせました。この時の話をしていると声が震えだす、涙が自然と湧き上がってくる。災害王国の日本なのに対策、対応のなんとお粗末なことか、劣悪な避難現場の生活環境を当たり前のように受け入れている我々日本人はあまりにもだらしない、情けない。施政に物申すべきではないのだろうか?政治はもっと色んなことができるはずだ。

2016年11月30日水曜日

原子力発電の将来は?

福島原発事故は今後の世界の電力開発に深刻な影響を及ぼしていますね。しかも、この影響はエネルギー開発に止まらず、人類の世界観にも変革を迫るようにじわじわと深く広く浸透していくでしょうね。21世紀に入り911が世界を、アメリカを震撼させましたが、311はそれ以上の大きなインパクトを及ぼすことになるでしょうね。正にパラダイムシフトを迫る衝撃を人類(少なくとも日本人には)に与えることになるでしょう。

2011年6月19日日曜日

311から100日目

しばらくブログをお休みしている間にどんどん時間が飛び去っていきます。怖いですね。
東北の復興はそんなに簡単に進むわけもありませんが、福島原発はまだまだ予断を許さない状態です。3月に、既に触れたように原発内で作業にあたってこられている方々の健康管理の粗末さがここにきて内部被ばく量過大という人が続発し始めています。いつまでたってもその場しのぎの手しか打てないのは国民性なのかもしれません。木造家屋で露をしのぐ生活に憧れさえ感じる日本の伝統美。そんな感覚を原発事故対策に持ち込まれてはたまったものではありませんね。

企業でも作った作業マニュアルがなかなか守られない、すぐに現場主義とか創意工夫とかいう名の下で有名無実化していく現実をたくさん見てきました。そうした気風も危機管理を危うくさせるものでしょうね。作ったマニュアルを馬鹿正直に実践する、そして改善点が見つかれば現場で改良するのでなく、マニュアルで改良していく。そうした習慣が結局は本質的な強さを身に付けていく近道こつながるのでしょう。

2011年5月24日火曜日

震災に見る日本の技術感:「最悪の想定」は背徳的?

「フランス企業は真っ先に日本から逃げた」と話題になったことから説き起こし、危機への対応が欧米企業の意思決定が日本企業より早かった事実の裏側を説明していて面白かった(だけではすまされないのですが)ので抄録しておきます。(5月9日日経新聞から)

ルイ・ヴィトンやカルティエなどの高級ブランド店は震災直後にいっせいに休業した。フォール駐日大使の解説では、「あわてて会議を開いて決めたわけではない。手順は前から定められていて、それを忠実に実行しただけだ」
制御不能になった原子炉への対応で東電の右往左往がつづく。「最悪の事態」を想定せず、ことが起こってから考えるから時間が掛かり、失敗もする。例えば、福島第1原発では津波の高さを最大5.7mと想定していたという。現実には14m以上に襲われ、冷却装置が動かなくなった。なぜ、東電は設計時5.7mで線を引いたのか。技術陣が「たとえ5mの津波が来ても大丈夫です」と説明したときに、「10mならどうする?」と専門家でなくとも客観的な立場から問い返すのが経営トップの役目のはず。経済産業省幹部は「当事者が最悪の事態を想定すること自体が背徳的。そんなことを考えているのかと逆に糾弾されてしまう」と。トヨタのリコール、ソニーの情報漏えいでも技術への過信がなかったか。

フォール大使によると、仏原子力庁と政府傘下のアレバ社とは全仏各地の原発について、炉心溶融やテロ攻撃、核攻撃、放射性物質の大量放出など考えられる限りの「最悪事態」を想定し、2005年から模擬実験を繰り返してきた。農業などへの予測も品目ごとの安全基準。1日、1週間、1ヶ月、1年など時間軸に沿った対応策。出荷停止や廃棄、農家への補償など原発からの距離に応じた行動計画があらかじめ練られているという。放射線汚染の可能性がある日本の農産物や製品の輸入について、検査方法や基準をいち早く打ち出したのはアメリカだった。911事件以来、テロに備えた対応策を作ってあったからだ。
マニュアルがあれば後は実行するのみ。日本に対する支援でも米仏の対応が早かったのは意思決定の速さというより視野に入れている危機の範囲の広さにある。

仏政府の原発機器の対応マニュアルや米国の輸入品の検査基準も事前には公開されていない。だが起きてはならない「最悪の事態」を悪魔の心で計算していた。日本が西欧から学び損ねた技術文明の1つの側面がここにある。

2011年4月22日金曜日

USAの底力

「友達作戦」に助けられることの大きさに改めて感慨を覚えませんか?この感慨は極めて情緒的で説得性に欠けるとは重々承知ですので、あまり正当性を主張できませんが、思い当たることはあると思います。
1つには持てる底力の大きさです。それは物量面だけではなく、実行力というか実行に移すだけの情報収集力とその分析力に裏付けられた行動力にです。福島原発事故への対処はこれはもう「戦争」と変わりませんでしたね。いくさの仕方が理にかなっているように思えました。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」ですよね。東電や政府の事故対応力には大変な心もとなさを感じます。前にも書きましたが、例えば必死で原発内で働いている現場の技術者や作業の方々は正に戦争で言えば「兵隊さん」です。この人たちを粗末に扱って省みない態度。これ一つ取って見ても、本当に戦に勝つための手を尽くしているとはとてもいえませんね。兵を半ば使い捨てるような態度。何とか英雄が出てきて身を犠牲にしてでも救ってくれといった態度。こんな体質では何事にも大きな成果を期待することは無理なのではないでしょうか?あらゆる事態に対して「英雄」や「カリスマさん」は要らないのです。当たり前のように手順を踏んで淡々と事故を沈静化させれば良いのです。野球でいえば、トリッキーなファインプレーではなく、体の真正面まで走って処理するのが基本でしょう。

ここまで書いてきて、そういえば前に評判の良かったテレビ番組「プロジェクトX」のことを思い出しましたが、あそこでも劣悪な開発環境の中で、いかに創意工夫したか、は十分語られていましたが、その中でも個人やチームの努力に依存するばかりで、組織として本当に機能して新製品が開発されていったケースはあまり紹介されなかったような気がしました。日本人というのは研究や開発といった前例のないこと、未知なることへの取り組みは本当に不得意な民族のような気がします。日本人は個人プレーより組織プレーに長けているというのもどうもウソのような気がします。

2011年4月11日月曜日

1 month after 311

朝の青空が嘘のように14時43分ごろ雨が降り始め、それはやがて雷鳴を伴い激しさを増した。黙とう・・・・。

そして夕方からは凄い余震が今も続いている。M9.1の余波とはかくも激しいものなのでしょうか?エネルギーの大きさを比べれば1000分の1程度なのでしょうから、まさしく余震といってよいのでしょう。それでも福島原発では回復した外部電源が遮断した。バックアップのディーゼル発電機や消防車による冷却水放水は津波警報発令に伴い作業員が避難したため使えなかったというのです。説明は単純すぎて理解に困るはずもないのですが、この事態の中でのバックアップ体制としてはやはり情けないなぁ・・・というしか感想が出てきません。現場での過酷な鎮静化作業には本当に敬服以外ことばはありません。日本人の1人としていくら感謝してもしきれるものではありません。本当にすまないことだと思います。東北3県の被災地の復興の進め方にはこれからの困難さが本当に見えてくるのではないかと思います。深刻ですね。

2011年4月10日日曜日

311がもたらすもの(観光)

これは割と簡単なことでしょうね。
風評被害で今日本に住んでいる外国人の数は激減してるそうです。増して観光客はまったく寄り付かないでしょう。数年はだめかもしれませんね。が、長期的にはそんなに心配はいらないと思います。但し、それには条件があります。それは目に見える形で新しいビジョンに基づいた都市や町が建設され、住民が明るく健康的な暮らしをしていることが大前提です。外国からは日本の復興の姿に殊の外関心を寄せるであろうこと容易に想像できます。再生日本の姿は最大の観光資源となることでしょう。最も楽天的に、すべてがうまく運んでいった将来の姿を想像しています。本当にこうなりたいですね。

2011年4月8日金曜日

311がもたらすもの(新しい政治スタイル)

戦後66年。日本の経済成長と停滞、それでも世界経済のお荷物から世界第2位のGNP(GDP)の牽引車役にまで成長しました(中国が台頭してきて第3位になりましたが)。人口の爆発から高齢化社会と少子化という世界的にも稀な急転回を迎えている日本。儒教的大家族的な村社会から都市の孤立的、核家族社会まで入り混じった日本社会の価値観や生活スタイルは多様性に満ち満ちています。本当に日本社会は大きな変遷を辿ってきました。

変わっていないのは政治スタイルだけではないでしょうか?利益誘導形の政策の数々。2年前、自民党政権に「No!」を突きつけた国民のジャッジは間違ってはいなかったと思います。自民党のやることには将来への展望は見えませんでした。「失われた20年を作り出した政権に次の1手を期待する方が無理でしょう。それでも現状維持、政権のたらい回ししかできませんでした。

、健全な政治スタイルが確立し、確かなリーダを擁して将来像を論争していく政治。選挙で敗れた政党はしっかりと政権政党の政治を見守り、次の選挙までに日本をより良い道に導くようなビジョンと政策を打ち立てて国民に選択を促す、そんな政治スタイルを期待していたと思います。国民の判断力は成長していたのです。ところが、バトンを受け継いだ民主党のリーダの考え方やあれほどまでに甘ったれたものであり、行動があれほど幼稚であり拙劣であるとはだれも思ってもいませんでしたでしょう。自分でも反省しなくてはなりません。あまりにお粗末なリーダ達に本当にあきれてしまいましたけれど・・・。次の政治を誰に託すればよいのでしょうか?リーダの考え方をよくよく見極められるだけの情報を発信してもらわないといけませんね。マスコミの責任が重大です。本当の姿を国民の前に抉り出して見せる真面目な番組作りや本質を語らせるジャーナリストの出現がほしいです。でないとまたまた情けないリーダを選んでしまいそうです。

今回の大震災で、海外から賞賛を浴びたのは、大災害にあった国民一人ひとりの「冷静さ」であり、「忍耐強さ」であり、略奪も犯罪もない(無法地帯化しない)「温和な国民性」でした。江戸時代以来の国民の教養のレベルの高さでした。立ち直るための基本的な人材や組織は健在なのです。あとは今後の日本の行く末を決めるのはビジョンを掲げ、国民を引っ張っていくリーダーシップだけではないでしょうか?

2011年4月7日木曜日

311がもたらすもの(食糧問題)

特に日本では目先の安心安全な食糧供給が大問題です。

福島原発事故による放射能汚染問題は住むべき国土とその大地からの実りに期待できない地域を生み出しました。(事実上の国土の消失を招きました)米や露地栽培の野菜を中心とした農業、近海漁業が致命的なダメージを与えることが必至の状況となりました。

失われた地域に取って代わる新たな食料供給源(農家と農地)が必要です。大規模農業の推進や新農地開拓などの新たな施策が必要です。福島県民の大規模な移住計画も必要になるでしょうね。

それでも足りなければ、いや仮に足りたとしても、より安全・安心で高収穫量を確保できる大規模な食料製造プラント(ビル内での米、野菜栽培や魚介類の養殖)から採算ベースに乗った十分な食料を供給できる環境の出現が望まれるのではないでしょうか?ここでも規模と技術の開発が急務になりますね。

2011年4月6日水曜日

311がもたらすもの(電力問題)

少なくとも日本のような地震大国での原発建設は不可能になるでしょうねl。再生可能なエネルギーは「言うは易し。行うは難し。」ですね。発電容量も小さい上に発電量も不安定です。こうなると、いよいよ<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%87%83%E6%96%99%E9%9B%BB%E6%B1%A0">燃料電池</a>の出番ということになりますね。燃料電池はその名前から受ける印象とは異なり、発電能力を持っています。水素と酸素を連続して生成しながらそれらが合成して水を作るときにできる電力を利用する発電装置です。これは装置を大型化すれば事業用電力源として利用可能です。高コストを如何に克服するか、技術開発競争が始まります。急がねばなりません。

他方、自動車のハイブリッド化が進みますから、各家庭には余剰電力を蓄える仕掛けが備わっていくので、この両者をうまく組み合わせて給電システムのローカル化を進め、それらが送電ネットワークで結ばれる<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%82%B0%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%89">スマートグリッド </a>化による新しい給電システムを構築していくことが求められるのではないでしょうか?

また、各種の製造プラントから出てくる副生成物から水素や酸素を回収して燃料電池に回生させる循環型のシステムができれば最高です。生成される水まで再利用可能です。
ここでのキーワードは、脱化石燃料、ローカル(スポット)化、スマート化(ITとネットワーク) 、資源循環型社会です。

2011年4月5日火曜日

311がもたらすもの

911事件が21世紀の始まりの年に起こり、人類の共通の問題として宗教問題をどう克服するか、問題提起を突きつけられました。そして今度の311大災害(福島原発事故を含む)は人類の将来社会の在り方に大きな影響を与えることになるでしょう。

先ず、エネルギー政策の根本的な見直しです。地震の少ないエリアは別として、そうでない国々では原発の受け入れは難しいでしょう。当面資源大国は大きな発言力(影響力)を持つことになるでしょうね。

地球温暖化対策(京都宣言やCOP21路線)も根本的な見直しを余儀なくさせることになるでしょう。

食糧問題も複雑な動きを見せることになるでしょうね。米、小麦、とうもろこし共に、バイオマスエネルギー化や天候不順の激化で供給面での不安定さが増しそうです。

とりわけ、日本では被災地としての復興需要をどこからの原資で賄うか?製造業が電力供給問題でつまずき、世界の需要調達を支えるサプライチェーンから外される局面を迎え、製造拠点の国外移転に拍車がかかり、雇用減や税収減が財政をますます悪化させかねません。漁業の将来も厳しい局面を迎えそうです。この結果、日本国民の生活スタイルの変化を促すようなことになるのではないでしょうか?

2011年4月4日月曜日

世界の原発

クリーンエネルギーの中核として原発への回帰が世界のトレンドになりかかっていた矢先でのこの事故でしたから、瀕死の福島原発の結末を世界が注目しています。温暖化対策の切り札的存在だった原発建設にブレーキがかかると今後の対処方針を大きく見直さざるを得なくなり、パラダイムシフトのきっかけを作る歴史的な事件となりました。温暖化対策に対する方針も大きく舵を切り替えざるを得なくなるのではないではないでしょうか?世界の原子力発電の現状を調べてみた。まとまったものとしては日本政策銀行が2009年9月にまとめた 天然ガスまで含め、化石燃料に61.4%依存しています。原子力を含めると、何と85%になります。この部分を再生可能エネルギーに置き換えることなどできるわけはありません。(日本は90%です)風力発電などが11.8%もあるのは流石というべきです。

2011年3月31日木曜日

東日本大震災

それにしても日本の「地震予知システム」は素晴らしいと感じ入っています。また311地震の際、東北新幹線は何ら事故を起こすことなく無事停車し、最寄り駅まで移動できたらしいのです。

福島原発事故(7)

ここのところ毎回、福島原発事故を取り上げていますが、東北の津波の大災害に無関心なわけではないのです。3万人を突破するのではないかと思われる死者を出した大災害をまったく度外視しているわけではありません。おきてしまったことをとやかく言っても仕方がないという思いがあります。これからどういう風な復興の道筋を立てていくのか、これには日本の明日の命運が懸かっていると思っています。これだけの災害を受けて、おめおめと人類の歴史の中に埋没して行こうとは誰も思っていないと思います。この青写真をどう描くのか?できれば復興計画立案に参画したいという強い思いもあります。世界にお手本となるような新しい次世代社会の姿を見せてあげたいと思います。そのことについてはじっくりこれから書いていきたいと思っています。しかし、「福島原発事故」は今正に進行形なのです。静かに鎮静化に向かうのか?はたまた、何か大きな爆発が起こり、放射能が大きく飛散するのか?今後の日本の再建計画を立てるためのベースが大きく狂う、その瀬戸際を進んでいると思うからです。 現状を理解する助けになるものとして大前研一の解説は歯切れがいい。3月27日号がYouTubeに出ている。http://www.youtube.com/watch?v=5mBlngPiaSY ともかく一見の価値ありですね。

2011年3月30日水曜日

福島原発事故(6)

福島第1原発の所在地は北緯37.421480、東経141.032603

東京八王子からの距離は大凡250km。遠いと見るか、近いと思うか?放射線の強さについて聞いたこともない単位を聞かされて、右往左往しています。

シーベルトという単位に少し慣れたと思ったら、今度はベクレル。シーベルトと同じようにベクレルも人の名前に由来する単位だそうです。初めて聞いたような気がします。昔の学校で習った物理などでは出てこなかったような気がします。
「ベクレル」はその物質が持っている放射エネルギー強度、今回で言えば放射能の放射強度のようです。しかし、それは放射線の種類(アルファ線、ベータ線、中性子線など)や環境(衣服などのシールド効果、湿度ほか)によって人体に与える効果は大きく異なるらしい。そこで「シーベルト」という単位が意味を持つことになるようです。
このことを同級生が解説してくれたのが、「お酒」に喩えたたとえ話で、これが妙に説得力があって暗い笑いを誘いましたので紹介します。
要するに、「ベクセル」というのはお酒の本来持っている「アルコール度」のようなものではないか?毎日少しずつ飲んでも(強いアルコール度のお酒でも少量なら害ではないが、ある程度以上続けて飲むと肝臓を傷めて肝機能障害から肝硬変、そして肝臓がんとなって死にいたる(慢性疾患)。もっとがぶ飲みすると「急性アルコール中毒」になって死んでしまうよ。即死もあるよ(急性疾患)。こんな、体に与える衝撃の強さが「シーベルト」ではないか?と。
どう思いますか?こんな理解で日常を過ごしてよろしいのでしょうか?

2011年3月28日月曜日

福島原発事故(5)

今日のテレビ報道で保安員の現地事務所長が報告していました。これはいけません。昔の日本軍の兵隊さんの生活環境と同じではないですか!何の反省もできていませんね。日本人の生命を守ろうと頑張っている最前線の作業員に対する処遇ではないでしょう。ビスケット、缶詰など、1日2食の非常食。そして毛布1枚で廊下でごろ寝。これでは戦えません。アメリカではこんなことはさせません。古くはローマ帝国の昔から、戦う兵士に対する兵站の大切さは基本中の基本です。東電や政府は現場の作業員を使い捨ててきた旧日本軍参謀部と何も変わらないではないですか!この生活環境を改善することこそ、後方部隊としては最大限の努力でなさなくてはならないのではないでしょうか?そして作業する人の交代要員は用意しているのでしょうか?交代要員のためにも準備しなくてはならない最低限の環境ではないのでしょうか!

他方、これまであいまいにしてきた事故の凄まじさが数字になって顕わになってきています。第2号炉でサプレッションルームの破損をほのめかす報道を聞いたのは何日前だったでしょうか?その後原因のわからない煙が立ち上り不気味さの中で平穏が続いてきました。誰もが待ち望んでいた外部電源が引き込まれ、これから冷却系を再建させようという企てはあの圧力容器の一部破損という最も恐れていた現実の前に立ちすくんでいるという情景です。恐ろしい大規模な汚染が広がろうとする極限の所に追い詰められてきたようです。何とかなるか、してくれるのではないかという幻想が脆くも打ち破られようとしているのを感じます。素人の直感ですが。作業員の方たちの奮闘に期待したいのですが、あの生活環境の劣悪さを聞くと、期待することは無理なことのようです。そう思いませんか?

2011年3月23日水曜日

日本列島がギシギシ

きしんでいる。この余震のシツコサはどうだろう。というか、本当の大地震というものはこの程度の影響を周辺に及ぼすというのが正しい認識なのでしょうね。太平洋プレートの北辺に位置する東北沖の日本海溝に沿って、日本列島は存在します。この縁で起きるプレート型地震に相関性がないといったらウソになるでしょうね。しかし、過去の地震の歴史には東北沖の地震と東海、南海地震とが連動した例は見当たらない、らしい。これが、東海大地震の引き金にはならないだろうという専門家の発言につながる論拠らしい。しかし、地震の歴史では南海地震と東海地震とが連鎖して起きたケースは3回ぐらいは残された事績から判っているのです。東北との連鎖は例がないだけで・・・。いたずらに不安をあおっても仕方がないのですが、おきる時には起きる。ニュージーランドの地震も同じ太平洋プレートの南端で起きたものだから、溜まった歪を解消し全体のバランスをとる動きがしばらくは続くのでしょうね。スマトラ沖地震はフィリピン海プレートの西端で起きたらしい。要はプレート間のきしみ解消の動きのフェーズに差し掛かったということかもしれないですね。地球的規模ですから何年後なのか、明日なのか判りません。でも、毎日何回もゆれ続けていますね。この軋みの集中度はこちら

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...