2019年2月19日火曜日

スーパームーン撮影に成功!

あまりカメラを使わなくなってきていたのだが、昨年何を思ったのか、無性に望遠レンズが欲しくなって色々物色した。そしてたどりついた結論は、一眼レフの交換レンズにこだわるのではなくもっとフレキシブルに考えようと思った。そして買ったのが従来からあるコンパクトデジカメだった。一眼レフ用の交換レンズに比べ何よりも軽く、そして安い。
1000mmのズーム望遠が実現可能。これを買う目的の一つが月の撮影だった。昨日、スーパームーン前日にチャレンジした。翌日の天気が晴れになる可能性が少なさそうだったからだ。天体を写すには上空に向けて三脚につけたカメラを設置することだった。一寸ずれても月を見失ってしまう。ワイドにして月を真ん中に置いて慎重に望遠にしていく。ファインダーで見ていると薄く雲が月面を流れていくのが確認できて感動した。

2019年2月1日金曜日

新年だから(2):インターネットとパソコン

新年を迎えて平成を回顧する番組を見ていてネット社会到来について触れているところで思い出したことがある。自分のサラリーマン時代の思い出の一つだ。当時開発部門から全社の技術開発の統括管理をする部門に転勤になったころのことで、その部門は簡単に言うと全社の研究開発費の配分をし、所期の目的に沿った研究開発が予定通り進行しているか、進行していなければ問題点を察知し、障害を取り除いたりしながら応援をしていく部門だった。そこでの自分の守備範囲はIT分野だった。ARPANETという複数の研究所と国防省をつなぐネットワークに目が留まって調べたことがあった。今我々が恩恵に浴しているインターネットの前身、原型のようなものだった。その仕事の直前まで産業用のローカルネットワークを開発して産業システムに適用したりしていた。ネットワークを利用する走りの頃だった。ネットワークを介して様々な機器がつながり、情報を受け渡すというのは最先端の発想であり、自社製品同士でも予め綿密な取り決めをしていないと上手くいかず、まして他社品との接続となるとお手上げ状態だったので、ARPANETの構想は画期的に見えたが、他方では結局は「絵に描いた餅」に終わるのがオチで、まともに動くようなシステムの実現はあり得ないように思ったものだった。通信手順を定めた機能階層を定義し、それをハードソフトで分担していく。階層の定義がしっかりしていればしているほど、ハードは重装備に、ソフトの開発量も大きく、処理速度も落ちていくことが目に見えていた。ところがそれから6,7年もたってからだろうか?今時で言う軍の技術の民間への移管、開放で民需産業にも利用が許されるようになった。windows95発売と共にインターネットという名前のネットワーク技術がパソコン間をつなぐ地球規模のネットワークとして利用可能になって一般家庭にまで入ってきたのだ。インターネット時代の幕開けだった。それから25年、当初128kbps程度の伝送速度だったものが今では1万倍の数Gbpsにまで高速化された。そしてパソコンの小型高性能化、タブレット化され、電話機とパソコンが融合したスマホが今では個人ユースの主流となった。通信機能とコンピュータ機能の融合、そしてそれを誰もが常時使用できる環境の中に今我々はいる。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...