今年も『無言館』での天満敦子は真摯に弾きました。ご承知かとは思いますが、『無言館』は戦没画学生の残した絵を集めた鎮魂の美術館です。上田市の奥、塩田平の山懐に建つ小さな美術館です。ここの絵を見た天満敦子が、戦争のために画家としての道を半ばで絶たれた無念さを悼み、毎年1回、この時期に1人で行う演奏会で今年14回目だそうです。私は今年で連続3回目でした。観客は300人弱位で、数m先で演奏する音の迫力と美術館の中での響きの良さに圧倒される楽しみを求めて今年も行ってきました。
ただ、この美術館は空調が無いため、今年は暑さと人いきれでとても悪い条件でした。でも、汗びっしょりで演奏した今年の出来はかなり良かったように感じました。
「望郷のバラード」・・・天満敦子が発掘した曲、スラブ調の哀愁を持った響きは鎮魂曲としても十分通用します。
演奏を聴いた夜、上田東急インに泊りましたが、翌朝の朝食時に何とその天満敦子が同じバイキングを食べていて、そのテーブルと隣り合わせになり、他愛ない
会話を交わす栄誉に浴しました。天衣無縫な人柄で、ざっくばらんで本当に天才かもしれませんね。帰り際に名器「ストラディバリ」を抱えてロビーでまたもや
鉢合わせ。「これ、私の旦那」とヴァイオリンを指さして笑わせてくれました。
愛すべき人という感じでした。
2012年9月18日火曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
-
吉田健一は1912年生まれで、承知の通り吉田茂と雪子の長男として生まれたが生後母雪子は単身赴任の茂の元、ヨーロッパに出掛けた。6歳まで母方の祖父である牧野伸顕に預けられた。学習院初等科に入学直後から父に従って青島、ロンドン、パリ、天津と転々し、1926年14歳で日本に戻り、暁星中...
-
平成の回顧がこの時期の流行なので、便乗して気になることをボツボツと書いてみたいと思った。 地球は一つ、掛けがえのない地球。人類が消費している数多の資源の中で、最初に資源の枯渇化が危惧されたのが「石油」だった。1970年代には石油資源はあと30数年で枯渇するという説が流布したのは記...
-
日頃手抜きの荒れ庭ですが、この暮れは天気が良く、寒気もそれ程厳しくないので少しだけ掃除をしてあげました。と言っても2時間ほど秋の草花の枯れ枝をカットしたり、2坪ほどの伸び放題になっていた芝生を電動バリカンで刈ってやるぐらいです。今年の特筆すべきはキンカンの出来の良さである。庭に植...
0 件のコメント:
コメントを投稿