2015年3月17日火曜日
多摩の春
多摩に住み着いて何年になるのだろうか?確か、初めてのオイルショックがあってトイレットペーパーの争奪戦があったその頃、勤務先が川崎から中央線の豊田駅近くに変わることになった。それまでも仕事の中で何度も訪れていた地域でしたが、まさかそこに樹居を移すことになるとは想像していなかったので改めて豊田の町や八王子の街を全く違った目で見直したものでした。どう見直そうと転勤しなければならないのはサラリーマンである以上否応ないことでした。1年ほど会社が用意してくれた棟割長屋のような借り上げ住宅に入居して街や近隣の新規開発されている住宅団地などを見て廻りました。所得の限られている中で頑張れる最上とも思われたのが今住んでいる団地でした。当時はまだ売り出されて第何次募集とかいう宣伝文句に惹かれて見て廻りようやくの思いで入手したのが今の住処です。当時は近隣に立っている家も少なくて見回す限り住宅予定地でした。メインの通りでは年に数回は野兎やタヌキなどが車に轢かれるというような事故が起き、多摩丘陵の動物の住処が人に奪われていく様を目の当たりにするような状況で罪悪感に襲われるようなこともありました。それでも住み着いてみると近隣の野山や公園を散策するにつけ多摩の自然の豊かさや自然と共に咲く山草の数々にだんだん魅了されていきました。余り手入れしていない小さな庭に何時ともなく多摩の山野草が住み着き始めたのでした。勿論、高尾山に登ってその帰りに駅で買った山野草が育ったものも幾つかはあります。が、それ以外にもいつの間にか住み着き、定住した山野草も幾つかはあるのです。アズマイチゲ・・・これが自生のものに加え、東北の角館で手に入れてきたもので多摩地区に自生するアズマイチゲより少し大振りで色も白や薄紫の菊のように花弁の多いものですが、これらが混在して庭に住み着いています。
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