2016年11月11日金曜日
安岡章太郎:「アメリカ感情旅行」
安岡章太郎がロックフェラー財団の招きにより、'60年から翌年にかけて半年間アメリカに留学した際のことを綴った日記風の紀行文ですが「感情旅行」とタイトルをつけるところが凄い。留学先に選んだヴァンダビルト大学のある<strong>テネシーの州都ナッシュヴィル</strong>は、 公民権運動の勃興期にあたる当時においては、黒人を入れない映画館があったり(それに対する学生の抗議運動なども見聞している)、また近辺には、黒 人に選挙権を与えていない町が未だ残っていたりしています(テネシーの南のジョージア・アラバマ・ミシシッピ・ルイジアナの4州は更に遅れていたと思われ る)。当時安岡章太郎は40歳で本人曰く、つたない英語で半分以上聞いて行っても意味が判らないと言っている。現地で親切にしてくれるお節介なアメリカ人、N夫人とP夫人。黒人を擁護するP夫人とあからさまに悪く言うN夫人の会話を聞きながら黄色人種である日本人を強く意識させられ、映画館に入るのにも心の屈折が煩わしくなる。正に感情旅行記だ。このナッシュビルという町には自分も1晩だが泊まって南部の空気を体験したことがある。1981,2年のことだったと思うがはっきりしない。東海岸でボストン近辺でベンチャー企業の技術調査をしに行った時の調査団が2つに分かれて、IT分野担当の自分は一足先に皆と別れて西海岸に移動することになりその週末をナッシュビルで過ごしたのだった。泊まったホテルのバーでも町並からもカントリーウエスタンが流れ、「風と共に去りぬ」の舞台の近くに今、自分がいるのだなぁと一人勝手に感情を揺さぶられていたのを懐かしみながら読みました。その時からさらに20年も前にその地を訪れたのですから、その当時の差別はすごかったのだろうなぁと想像もつかないような社会を見たショックの大きさを想像しましたが安岡章太郎のその後の人生観にどんな影響を与えたのでしょうね?誰か教えてくれる人いないかなぁ?
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