2018年4月7日土曜日

磯田道史(いそだみちふみ):無私の日本人

江戸時代、日本にいたという眼前にある物事を貫き通した三人の無名ともいえる日本人の生き様を紹介している。著者は武士の家計簿(映画で有名になった?)を書いた人。
●穀田屋十三郎
奥州街道、ご城下からは6つ目の一里塚のある吉岡宿は戸数200あまりの小さな集落で、貧困に喘いでいて戸数も減る一方。その疲弊から住民を救おうと立ち上がったのが主人公、穀田屋十三郎(造り酒屋の婿養子)と集落きっての智慧者菅原屋篤平治(茶葉を生産し、京に売りさばいてマアマアの資産家)。
この話は「殿、利息でござる」に映画化されたとのこと。その映画のことも知らなかった。
●中根東里
儒者。詩文の才に恵まれ、黄檗山萬福寺で唐音(中国語)を学ぶ。当時徳川の世で荻生徂徠が柳沢吉保の元で権勢を振るっていた時代。一時、その該博な知識を活かしたいと加賀藩にも招かれて逗留したことがあったらしいが何しろ仕官する気がないのだから居ても仕方がない。2年余りで去ったようだ。生涯、市井の教養人として村や町の子供らを教えて最小限衣食を賄えれば良いという生活を貫き通した。
●大田垣蓮月
京都で武士と遊女の間に生まれたという不幸な生い立ちを経てはいたが、知恩院の寺守りとなる育ての親の元でその美貌と育んだ才気で頭角をあらわすが、その美貌がまた不幸を呼ぶというめぐり合わせが出家への願望につながって行く。出生の切っ掛けは京都の史上最大規模の大火、天明8年の大火の復興工事で伊賀上野から普請工事で上京してきた武家、藤堂金七郎と言われるが不詳。この大火には晩年の若冲も罹災している。聖護院あたりを好んで住処としたらしく、京大の構内には沢山の住居遺構が出ているという。その遺構からは沢山の焼き物の欠片が出土するという。いわゆる連月焼という陶器だ。その他、和歌なども良くし、晩年は山岡鉄舟が私淑して使い走りまでして助けたという。

0 件のコメント:

コメントを投稿

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...