2018年5月20日日曜日

腰痛

1ヶ月以上位前から左足臀部に痛みが走り出した。デスクワークが過多のためかと作業は午前中に止め、できるだけ運動をするように心掛けていたが、一向に良くならない。知人のMさんからは脊柱菅狭窄症の症状に似ていると言われているが未だ専門医のところには行っていない。専門医を知らないというのもあるし、過去に、もう15年も前だがMRIで検査してもらって椎間板ヘルニアと宣言されていたのもあり、前歴がないこともないので大方、その類似症状ではないかと自己診断している。元々現役時代の最後の頃にも過労が限度を越すとぎっくり腰のような症状が出てタクシーで会社とを往復したことも数度経験している。ただその時はほとんど症状が右足側に現れていたのだが今回はそこのところが違う。椎間板ヘルニアを宣告されたときの医者の見立ては、この程度の変形はある意味年相応、加齢によるものでそれなりに付き合っていくか我慢出来ない時は手術ということだった。今で言えば60歳代前半でそこで加齢はないでしょう!というところだが、その時は結構納得して自分なりにこれは背筋を鍛えて脊椎をきちんと保持するようにして悪化を防止しようと考え、「水中ウォーキング」を実践した。それが効果を発揮し数ヶ月で足のしびれ、鈍痛が全く嘘のように消えてくれた。今回はその時以来の症状だ。反省するならそんなに効果があったのならどうしてずぅーと継続しなかったの?となるのだがそこは凡人の悲しさとしか言いようがない。
という訳で3週間前からその「水中ウォーキング」を再開した。未だ3週しか経っていないので効果は表れてこない。そこへ持ってきて利用し始めたプールが定期メンテナンスに入って3週間休業となり、復活プログラムも実践不可能状態になってしまった。近所の散歩コースでそれを解消すべく通常のウォーキングに切り替えている。今日はそれに加えてデスクワーク環境を見直そうと、身長、机の高さ、椅子の高さの関係を見直し、場合によっては椅子をより適切なものに買い換えることもありかと検討した。
先ずは身長に見合った机の高さ、椅子の高さはどういう値が適正なのか?ネット検索してみた。ありました。それによると
・椅子の高さ=身長×0.25-1
・机の高さ=身長×0.25-1+身長×0.183-1
・差尺の高さ=座高(身長×0.55)÷3+2cm
ここから導かれた自分にとっての適正値は椅子(座面)の高さ:41.3cm、机の高さ:71.3cm、、差尺:33cmと出た。一方、現実の状態を計ってみると椅子の高さ:45cm、机の高さ:74cmで、机の高さが少し高めになっていた。机は半年前に引越してきた時に買い替えたものだ。これをまずは1段階下げ68.5cmに椅子も42cmに下げてみた。座ってディスプレイ画面を見る関係が相当に違う印象になった。肩の位置が少し下がりリラックスした感じになった。こんな対策で効果が出るならそんな結構なことはないが、良さそうなことは何でも取り入れて自力回復を期待したい。同時にいろいろやると何が良かったのかわからなくなるが「水中ウォーキング」ができない間で丁度よかった。これで様子を見てみるとしよう。

2018年5月18日金曜日

春は省略?でも新緑はありました

4月25日、夜半からの強風と雨が止まない。今日明日とスケッチの会の創立10周年記念スケッチ旅行の日。参加申し込みしてあったが午前中はタブレットを楽しむ会があって抜け出すわけには行かず、一人遅れての別行動で下田に向かった。町田~小田原~下田と踊り子号を使うと約3時間で伊豆急下田駅に着いた。朝の雨が嘘のように陽光にペリーロードの柳が新緑を輝かせていた。とても良いタイミングだったようでした。皆さんと合流して私は鉛筆でデッサンだけ。翌朝も好天に恵まれました。下田港で漁船を1枚、午後は再びペリーロードに戻って反対側からデッサンを1枚。これらは家に帰ってから色を付けます。



春の便り(1):境川

今年の春は短かった!厳しい冬の寒さが続きどうなることかと思いきや、急に暖かくなってサクラがパット咲き、あっという間に散って、次々と春の花が咲いた。近所を流れる境川周辺の春の風景。





2018年4月19日木曜日

誉田哲也(ほんだてつや):「幸せの条件」

これは就職氷河期に「やっと拾ってもらった」感ある理化学実験用ガラス器械会社のOL瀬野梢恵が人生を生きることの意味を見つけるまでの格闘の物語である、と何やらドキュメンタリー番組のナレーター調で紹介したくなった。舞台は長野県飯山線飯山駅から軽トラで20分ぐらいの農業法人「アグモグ」、総農業に目覚めていく若きOLさんが主人公で1年を通して農業のあれこれを体験しつつ仕事や人と共に、自然と共に生きていくことの素晴らしさを体感していく。なぜそんな農村に出かけていく羽目になったのか?バイオエタノールを作るバイオ燃料製造装置を社長が試作し、そのテストのためにバイオエタノール用の米の生産農家を開拓する使命を与えられたからだ。そして2011年3月11日を迎えてしまう。そう、このお話はあの大津波と福島原発事故被害を体験して人々の意識がどう変わったのかを記録にとどめておく作業でもあったのではないだろうか?風化していきつつある現在、思い起こし、本当に原発は再稼働して良いものなのかどうか、忘れて良いこと、忘れてはならないことがあることを思い起こさせてくれるお話でもあった。テニス仲間で読書好きのOさんが紹介してくれた本、読みやすいのであっという間に読み終えた。

2018年4月7日土曜日

磯田道史(いそだみちふみ):無私の日本人

江戸時代、日本にいたという眼前にある物事を貫き通した三人の無名ともいえる日本人の生き様を紹介している。著者は武士の家計簿(映画で有名になった?)を書いた人。
●穀田屋十三郎
奥州街道、ご城下からは6つ目の一里塚のある吉岡宿は戸数200あまりの小さな集落で、貧困に喘いでいて戸数も減る一方。その疲弊から住民を救おうと立ち上がったのが主人公、穀田屋十三郎(造り酒屋の婿養子)と集落きっての智慧者菅原屋篤平治(茶葉を生産し、京に売りさばいてマアマアの資産家)。
この話は「殿、利息でござる」に映画化されたとのこと。その映画のことも知らなかった。
●中根東里
儒者。詩文の才に恵まれ、黄檗山萬福寺で唐音(中国語)を学ぶ。当時徳川の世で荻生徂徠が柳沢吉保の元で権勢を振るっていた時代。一時、その該博な知識を活かしたいと加賀藩にも招かれて逗留したことがあったらしいが何しろ仕官する気がないのだから居ても仕方がない。2年余りで去ったようだ。生涯、市井の教養人として村や町の子供らを教えて最小限衣食を賄えれば良いという生活を貫き通した。
●大田垣蓮月
京都で武士と遊女の間に生まれたという不幸な生い立ちを経てはいたが、知恩院の寺守りとなる育ての親の元でその美貌と育んだ才気で頭角をあらわすが、その美貌がまた不幸を呼ぶというめぐり合わせが出家への願望につながって行く。出生の切っ掛けは京都の史上最大規模の大火、天明8年の大火の復興工事で伊賀上野から普請工事で上京してきた武家、藤堂金七郎と言われるが不詳。この大火には晩年の若冲も罹災している。聖護院あたりを好んで住処としたらしく、京大の構内には沢山の住居遺構が出ているという。その遺構からは沢山の焼き物の欠片が出土するという。いわゆる連月焼という陶器だ。その他、和歌なども良くし、晩年は山岡鉄舟が私淑して使い走りまでして助けたという。

2018年4月3日火曜日

五反田のサクラ

年に2回、通ってきた五反田。この地にある病院に5年通った。この日の検査でようやく経過観察が終了し、無罪放免となった。今後は通常の検診レベルで良いのではないでしょうか、との診立てだった。何となくそんな予感がして、今回はスケッチブックを持って出掛けたのだ。それは病院から1kmほど歩いたところにある明治学院大学のキャンバスがあり予てから1枚描いてみようと狙っていたのだ。診察が終わって15時50分、夕方の少し赤っぽい光の中で1時間半ほど掛けてSM版の小さな絵を1枚大体描き上げた。あと少し細かいところを仕上げないといけないが・・・記念になる。
一寸写真を撮った位置と違うベンチのところから描きました。久し振りのスケッチでした。





2018年4月2日月曜日

朝倉かすみ:「肝、焼ける」

こういうたぐいの小説は滅多に読まない。図書館の本が途絶えて夜眠る前に手に取る本がないと眠れない時に困るのでいつも手許に読める本をおいておくのが習慣になっている。という訳で今回図書館で手に取ったのがこの本。若い女性の、それも同じ年頃の友人たちが次々結婚していく中で、自分も決して結婚願望がない訳じゃないのに何故か取り残されている自分をもうひとりの自分が眺めて心の内をそっと覗く。タイトル以外に「一番下の妹」、「春季カタル」、「コマドリさんのこと」、「一入」。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...