2006年9月19日火曜日

映画:ホテル・ルワンダ

2004年~2005年にかけて、アカデミー賞を初めとする多くの表彰機会にノミネート と受賞を勝ち得た、こういう映画が日本では表彰の対象になることもなく、商業ルートにも乗らず、多くの日本の映画人や知識人から上映運動の声も上がらない というこの現実は知っておかないといけない。これが今のある面でノー天気な日本だ。

「アフリカのシンドラー」とも例えられる1人のホテルマンが、そのホテルの名声から上 得意客であった世界の有力者やオーナーの人間関係に頼り、国内では酒や金(賄賂が効く)を使い分け、1200人余もの人の命を虐殺から守った、<a target="_blank" href="http://www.hotelrwanda.jp/index.html">その物語</a>だった。

強い家族愛か ら家族や隣人や子供たちや、人種を超えて命を守った実際の話だ。この話がアメリカの映画人に持ち込まれ、製作されたという事実。その映画が最初は数館で上 映され、絶賛を浴び、アメリカ全土で上映され、興行的にも大成功を収めたという事実が示すアメリカという国の懐の深さにも感心させられる。
こういう話を 映画にして世界に知らせてほしい、あるいは知らせたいと考えた時、持ち込んで話を聞いてもらいたい人はどこの誰だろう?上映して本当に世界に知らしめてく れそうな国はどこだろう・・・と考えた時、「日本だ。日本にいるあの人に話してみよう」、と思い起こしてもらえるような人物や土壌を持っているのだろう か?このことはある意味で「国家の品格」を具体的にイメージさせてくれそうな気がする。そんな国になれたら素晴らしい。

またこうも思った。
この映画 が扱っているのは国内の人種間の差別感から出た虐殺内戦だが、背後には色んな利害関係国の動きが絡んでいる。今、レバノンで起きていることも、イランやイ ラクの問題も事は単純ではない。我々も世界の色んなところで起きている事柄を知り、どうしてそのようなことが起きるのか、そのとき誰かが助けてくれるの か、くれないのか?本当に国家の安全を確保するためには日頃からどんな手立てを講じておかなければならないのか、考えさせられた。国連至上主義だけではど うにもならない。もっと高次元でのセーフティネット(予防の網)を幾重にも張っておかなくてはいけない。北朝鮮との対応もそうだ。我々市民はいつも今何が 起きているのかを知らねばならない。外交というのはこうした高次元のセーフティネットを構築しておくこと、そのものではないのだろうか?

そして国民 はまた、十分賢くなければならない。正しく状況を把握し、判断しないととんでもない災厄を担ぎ込むことになる。賢明な政治家を選べる選択眼を持って選挙に 臨まなければならない。

幸いなことは、この映画を観るきっかけを与えてくれたのは、自主上映を推進している<a target="_blank" href="http://rwanda.hp.infoseek.co.jp/">一般市民活動</a>からだということだ。自分た ち、多様な価値観を持った市民の力がもっともっと強くならないといけないということではないだろうか。頻繁として起こる日本の中の情けない事件。即ち、親 殺し、子殺し、保険金目当ての殺人、委託殺人など、殺しの見本市の現状を延々とテレビのワイドショーで見させられているだけではダメなのではないか?

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