2010年11月12日金曜日
足軽の家
金沢で高校生までを過ごした家は「早道町」といって将に名前の通り、飛脚など江戸との往来を受け持つ商人とも下級武士とも区別のつかない人たちが住んでいたところだと聴かされて育ちました。尤も借家住いで自分達の先祖はそのような前田家と縁もゆかりもない能登の出身で警察官という転勤族でした。その稼ぎ手の父親が早くに亡くなってその後、偶々縁があってそこ「早道町」に住んでいたのでした。今から考えてもかなり大きな二階家で、大家さんの老夫婦が2階に住み、大家族の我ら家族が1階を使っていました。門もあり結構広い庭もあり、まして2階建てでしたので、完全に昭和になってから建てられた家でした。ところが今回の典型的な足軽屋敷の内部を見学して驚いたことは、その我らが使っていた一階の間取りがその典型的な足軽屋敷のものとそっくり同じだったのです。台所の配置、その台所には井戸があり、夏はスイカなどを吊り下げて冷やしたりしたものでした。かまどなどの配置も記憶そっくり・・・・そのことにビックリしたのです。その当時の金沢では庶民の家の間取りとしては足軽屋敷の作りが伝統的というか典型的な物だったのでしょうね。そういえば町には古い本当の足軽屋敷が確かに点在していましたが、そういう新しい家が混在していても違和感はなく町並みにも一定の調和はあったような気がします。今はどんな町並みになっているのでしょうか?大学時代に一度いったことがあるのですがそれからもう半世紀が過ぎているのです。幼少時から今日までその時の流れや茫々たり。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
-
2017年の夏、水をやり過ぎたのかみるみる萎れていった鉢。どうなることかと元気そうな株以外は全部、泣く泣く外して生き永らえた。相模原に引っ越して気長に付き合ってきた甲斐があって去年夏ごろから生気が帰ってきていた。水溶液の肥料などをやりながら時に日光浴させてきたら3年振りに開花した...
-
この日もぽかぽか陽気の暖かな日だった。 多摩モノレールで立川の1つ手前、「柴崎体育館前」で下車して高架から下に降りると、もうそこが根川親水公園だった。湧水が作り出す小川を整備して遊歩道に仕立ててくれている。絶好のスケッチポイントだった。驚いたことに大通りのすぐ脇の高木にアオサギ...
-
NHKカルチャーセンター主催の水彩画講座(2時間*3回)の第一回を受講しました。これまで無料のZOOMアプリを使って家族やNPOのリモート会議を何回か体験してきました。また、NPOで開催しているシルバーの人たちに向けてZOOM会議の受講の仕方、主催の仕方などの講義をしてきました...
0 件のコメント:
コメントを投稿