2012年3月29日木曜日

ネコヤナギを訪ねて

去年アジサイ山だということで教えてもらってからここを訪ねるのはもう、5回目ぐらいになるのではないでしょうか?明治の自由民権運動の華やかなりしころ、この草深い山間の山村で自主憲法草案を作り論じ合っていたということが想像できないような集落が今現在もあるのです。今日の暖かさに誘われて早春の深沢に行ってきました。今回は予てからお目に掛かりたいと思っていた「自生しているネコヤナギ」を見たいという願いから訪れたのでした。最初は自然人村というキャンプ場です。川のほとりにあるのでその辺りに自生していないかと見当を付けたのですが、生憎ネコヤナギがつぼみというのか花というのかそれを付けていれば判るのですが、そうでない冬木の状態では判別がつきません。それらしいものはないので、知っている人に聞くしかないとそのさらに奥にある潺潺園(とうとうえん)という山野草園に行ってみました。オフシーズンですから誰もいません。ご主人がまだ芽生えていない場所まで隅々まで案内してくれました。そしてその川沿いに少し開き切ったネコヤナギと子ネコヤナギという小型のものを見せてくれました。でも、子ネコヤナギは小さくて迫力に乏しく、花の開いたネコヤナギは一寸、化け猫ではないかとジョークも言いたくなるもので今一、納得できませんでした。でも、兎に角写真をめったやたらと撮りまくり、そこから最後の頼みと、アジサイ山にたどり着きましたがそこにはネコヤナギはありませんでした。顔なじみになったおじさんが出てきて尋ねましたが首をひねるばかりで、どうやらなさそうなのです。昔小さい頃は確か、河原によく見られたものだったような気がしてならないのですが、やはり地球温暖化の影響か、植生の変化ということなのかもしれません。かくして今年もあのつやのある薄鼠色したネコヤナギ、幻の「早春を象徴する花」(?)との対面は100%叶ったとは言えない不完全燃焼状態で終わりそうです。

0 件のコメント:

コメントを投稿

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...