2013年4月12日金曜日

川嶋康男:「凍(しば)れるいのち」

昭和38年1月1日、自分は何をしていただろう。

38豪雪という言葉を知っている人は北陸育ちの人たちだけかもしれません。
就職して初めての正月帰省でした。金沢に帰り着いた年末からでしたでしょうか、雪が降り続き、それも「ドカ雪」と呼ばれ、1夜で60cmも70cmも積もる雪の降り方です。自宅では自分の背丈ほどの積雪量になりました。当時の国鉄もすべて雪に閉じ込められ、 数日間動けなかったはずです。

ちょうどその時、北海道の大雪山系旭岳で悲惨な山岳遭難事故が起きていたのです。同じ低気圧がもたらした災難だったと思います。北海道学芸大学函館分校山岳部の冬季訓練を行っていた11名のパーティが遭難し、23歳のリーダー野呂幸司以外の10名が遭難死した事故でした。当時はリーダーだけが生還したことに対するリーダーの責任論や倫理感を指摘して非難が飛び交ったそうです。当然でしょうね。この野呂幸司という人はですから、自分と同年の人です。それは関係ないのですが、リーダーはそういう極限的な状況のなかではどんな振舞いをするべきなのでしょうか?11人も集まれば体力の差もまちまちであり、そこを見通して安全に全員を下山させる責務をリーダーは背負っているのでしょう。ですから、判断力やリーダーシップを持っていたのかどうかが問われたのでしょう。そのリーダーは凍傷で両足のショパール関節切断(調べてみると、丁度土踏まずの辺りで切断している)した身障者として今も活躍している。その人の想い、贖罪意識をバネにした生き様は凄い。44歳で今でいうパラリンピックにスキー選手として参加してメダリストとなり、仕事では抜群の行動力と独創力で教師~生命保険会社~住宅生協を経て現在は、「ディール企画」という商業施設の建築ジャンルでの総合コンサル会社の代表取締役という現役です。人並み外れた体力と行動力、それ以上に人生に対するアグレッシブな生き方は敬服すべきものです。

先頃、NHKのラジオ深夜便に本人が登場して、遺族や世間の非難をまともに受け止めて、尚且つ亡くなった10人の分まで人生を生き、死に際にもその10人の人たちに恥じることなく悔いなく生きることだけを考えている迫力に目が覚める思いがしました。

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