新横浜07:23発のひかり号で新神戸に向かった。2泊3日の今年のスケッチ旅行は神戸市街地を選びました。年に一回みんなでスケッチ旅行に出掛けます。どういう風の吹き回しか万年幹事を務めさせられています。去年は清里高原、その前は近江八幡市、鎌倉市、伊豆松崎町ともう5回にもなります。ということは絵も習い始めて6年目に入ったということでもあり、それだけやってきているのに、と自分の描いた絵を見ながら慨嘆するのがオチなのですが。
神戸三宮と言えば、もう20年近く前になるのですが大阪に単身赴任していた折、尼崎の武庫之荘に社有マンションがありそこに2年間過ごした経験があるので多少の土地勘はあるので計画は割と楽にできました。神戸の街もその当時は一渉り散策済でもありました。ただ、阪神淡路大震災で神戸市街地が壊滅的な被害を受けて、姿を消したものも数知れずあるということと記憶が曖昧で距離感に自信がないのが計画する上では問題でした。単身赴任を終えて半年後にあの大震災が発生したので、その当日の朝のNHK神戸放送局前からのテレビの画像、不気味なまでの静かさが忘れられません。また個人的には従兄弟が三宮のマンションに住んでいて被災者でもあったわけで大変に身近な震災だったと言えるのです。
閑話休題。新神戸に着くと最初は言うまでもなく、北野の異人街に向かいました。最高齢82歳を筆頭にした高齢者の団体12名を引き連れて歩くのはなかなか気を使います。しかし、3日間を通して全員の元気で良く歩くのには感心してしまいました。北野の坂を上がったり下がったりよく歩いていました。北野異人街のシンボルと言えば風見鶏の館でしょうね。観光案内所もあり判り易いのでここで解散、てんでに好きなものを描くために散っていきました。なまこ壁の館が一番高い場所にあるのでそこに向かうグループもありました。幹事としては風見鶏の館付近が一番だろうという無難な選択で1枚描きました。風見鶏の館はドイツ人貿易商ゴッドフリード・トーマス氏の自邸で、建物の設計に当たったのは、ドイツ人建築家 ゲオルグ・デ・ラランデ(G.de.Lalande)で、明治30年代後半から大正初期にかけて日本で活躍した建築家です。 東京では小金井の東京江戸たてもの園に世田谷から移築したラランデ邸(本人が一時住んでいた建物)があります。
2014年11月19日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
-
吉田健一は1912年生まれで、承知の通り吉田茂と雪子の長男として生まれたが生後母雪子は単身赴任の茂の元、ヨーロッパに出掛けた。6歳まで母方の祖父である牧野伸顕に預けられた。学習院初等科に入学直後から父に従って青島、ロンドン、パリ、天津と転々し、1926年14歳で日本に戻り、暁星中...
-
平成の回顧がこの時期の流行なので、便乗して気になることをボツボツと書いてみたいと思った。 地球は一つ、掛けがえのない地球。人類が消費している数多の資源の中で、最初に資源の枯渇化が危惧されたのが「石油」だった。1970年代には石油資源はあと30数年で枯渇するという説が流布したのは記...
-
今日の日経プラス1(土曜版)から引用紹介。 東京ガス(http://www.tokyo-gas.co.jp) の「my Tokyo Gas住まいと暮らしの便利帖」では「寒い冬は特に一度沸かしたお湯を大切に使う”お湯まわりの省エネ”が効果的」など、様々なガス代節約の豆知識が得られ...
0 件のコメント:
コメントを投稿