2016年7月14日木曜日

社会学というもの

Wikipediaによれば、要約的説明としては次のように書かれていた。
社会学(しゃかいがく、英: sociology)は、社会現象の実態や、現象の起こる原因に関するメカニズム(因果関係)を解明するための学問である。その研究対象は、行為、行動、相互作用といったミクロレベルのものから、家族、コミュニティなどの集団、組織、さらには、社会構造やその変動(社会変動)などマクロレベルに及ぶものまでさまざまである。思想史的に言えば、<strong>「同時代(史)を把握する認識・概念(コンセプト)」を作り出そうとする</strong>学問である。
同時代を把握し、理解する杖となるものであるならこれほど重要な学問はないのではないだろうか?

ひょっとして、我らが日ごろやっている井戸端会議や飲み会で大いに盛り上がるのは「現代の政治経済や社会現象をどう見るか」という議論。とすると実にこれは社会学のセミナーみたいなものだ。自分の体験談はフィールドワークそのものだ。
頑固で決して妥協しようとしない原理主義者が増えている。グローバリズムに背を向けて、狭い目でしか物を見ようとしない自己中心主義者が増えている。他者の意見に耳を貸さないだけでなく、テロや圧政(政治力で民衆や公的機関までを黙らせる)によって服従を求める原理主義者が横行する時代になってきました。
この現象をどう説明するのであろうか
今や現代は民主主義の危機、曲がり角に差し掛かっていると思います。色んな意見を踏まえた中庸の意見はほとんど踏み潰されます。この流れを食い止めなければなりません。息苦しい時代を誰も求めていないにもかかわらず、そうしないと他者からの暴虐を食い止められないとその風潮を利用し自分の思うような世界を作り出したいとするような悪知恵の一派がいます。他の選択肢もあるはずなのですが・・・
それにしては社会学者からの現代に対する発言力は如何ほどなのでしょうか?まだまだ、研究が足りないのでしょうか?研究者が少ないからなのでしょうか?発言能力の問題なのでしょうか?聞こえてこなーーーい!!!

0 件のコメント:

コメントを投稿

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...