2019年3月11日月曜日
8回目の311
ここまで15年間続けてきたパソコン関係のボランティア活動は今やスマホ・タブレット講座に主役が変わっている。その3月講座が毎週月曜だったので、今日もその日だった。何と、奇しくもそれが311。「今日は講座の途中に14時46分を迎えるので、その時に黙とうしたいのだがどうでしょう?」と問いかけました。受講している皆さんはみな、70~80歳代の同年配者だったが、否応もなく異口同音にうなずいてくれた。あの日あの時皆さんはどこで何をしていましたか?という問いにはそれはそれは色々な状況で迎えていたことを知りました。そういう自分は前にも書いたかもしれませんが日本橋茅場町で友人の小さな会社のIT環境の整備を請け負っていて週に2~3回、通っていた丁度その当日でした。茅場町の交差点に立つ鉛筆ビルのような9階建てのビルの8階にいました。その揺れようは体験したことのないものでした。椅子から立ち上がったままで身動き一つできず、周りで揺れているファイリングキャビネットが倒れ掛かるのを防いでいたのか、キャビネットに自分が支えられていたのか分からない状態でした。揺れが通常の地震のように収まりかけたなぁ、ヤレヤレと思った間もなく、第2弾の一段と強い揺れが襲ってきました。後にいうマグニチュードを上方修正した初動を上回る最大の揺れだったのです。津波をより強烈にした大きな要因ではなかったかと思っている揺れだった。同じフロアのフリーアクセスが重いロッカーで崩れ、オフィス内は惨憺たる有様だった。あの2弾目の強烈な揺れから体を支えながら、これはひょっとしたら2回目の関東大震災ではないのか!という思いが頭をよぎったことも鮮明に思い出せます。だとすると命の危険もあるなぁ、とも思いました。八王子の家に帰りついたのは12日の午前4時ごろでした。家に帰りついた途端にまた強烈な揺れが襲ってきました。それはラジオで松本地方の地震(栄村震災とか長野北部地震とも呼ばれている)と知りました。小松左京の日本沈没を思い起こさせました。この時の話をしていると声が震えだす、涙が自然と湧き上がってくる。災害王国の日本なのに対策、対応のなんとお粗末なことか、劣悪な避難現場の生活環境を当たり前のように受け入れている我々日本人はあまりにもだらしない、情けない。施政に物申すべきではないのだろうか?政治はもっと色んなことができるはずだ。
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