2022年2月23日水曜日

ヘミングウェイ:「キリマンジャロの雪」

 先日読んだ石原慎太郎と瀬戸内寂聴の往復書簡に出てきた本だ。この本を読んだことがなかったので図書館で借りて読んだ。冒頭の2行ぐらいがそこで披露されていたので。

「キリマンジャロの山頂(5,895m)近くの氷河に一頭の豹の凍死体が発見された。一体何の匂いを追ってこんな高いところまで登ってきたのだろう」・・・大体こんな文章だったと思う。ヘミングウエイ本人らしき人物がキリマンジャロのふもとで狩猟を楽しんでいてちょっとしたけがから破傷風になり、自分はもうダメだ、ここで死ぬんだと思い込み、これまで小説にしたかった題材を色々、断片的に思い出し、独白するスタイルだった。小説にしたかった部分がカタカナで表記されていてとても読みずらかった。

2022年2月18日金曜日

辻仁成:「サヨナライツカ」

 いつも人はサヨナラを用意して生きなければならない

孤独はもっとも裏切ることのない友人の一人だと思うほうがよい

愛に怯える前に、傘を買っておく必要がある

どんなに愛されても幸福を信じてはならない

どんなに愛しても決して愛しすぎてはならない

愛なんか季節のようなもの

たた巡って人生を彩りあきさせないだけのもの

愛なんて口にした瞬間、消えてしまう氷のかけら

サヨナライツカ

永遠の幸福なんてないように

永遠の不幸もない

何時かサヨナラがやってきて、何時かコンニチワがやってくる

人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと

愛したことを思い出すヒトにわかれる

私はきっと愛したことを思い出す

ー-ー-冒頭の詩を記録しました。


2022年2月4日金曜日

石原慎太郎、瀬戸内寂聴:往復随筆「人生への恋文」

 高校時代からの友人Nさんから送ってもらった本、引っ越しなど色々忙しくて3か月掛かってこのほどようやく読み上げた。寂聴さんの訃報(2021年11月11日、99歳)を聞いた時も多忙のさ中で本のページをめくることはできなかった。お二人は年齢が10歳以上違うのに親しい付き合いをされていたことを本書で初めて知った。ここまで書いたところでInternetニュース速報で石原慎太郎死去の報が飛び込んできた。

3日を置いて書いています。改めて前書きを見ると2003年8月となっていた。19年前だ。当時の慎太郎さんは丁度70歳だった訳だ。そこでは人生の意味について「彼、あるいは彼女が人間として生きていく間に何に出会い、何を感じ、それにどう向かい合ったかという事実の集積を当人自身がどう捉えるかということに違いない。」と記している。人生の意味は自己評価なのだと改めて思う。慎太郎さんが過去の大家の名言を交えて自分の見解を投げかけ、寂聴さんがそれに柔らかく受け答える、というスタイルで進んでいる。「」老いるということ」という外題のやり取りが面白かった。最後に帯に書いてあったお二人の言葉を書き写しておきます。

瀬戸内寂聴:出家した後の自分の時間は、死のふるいにかけられた金砂のように思われ、感動する喜びを永続させています。

石原慎太郎:老いもまた楽し。この年になって初めて私の年齢の人間が味わっている満足なんぞ、若者わかる訳がない。

お二人のご冥福をお祈りします、合掌。


吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...