毎日の散歩コースになっている銭洗い弁財天、正式には銭洗弁財天宇賀福神社というのだそうだが、言い伝えでは源頼朝が「巳の年・巳の月・巳の日」に見た「夢のお告げ」によって、宇賀福神を祀ったことがその始まりと言われています。だからと言われてもそれ以上説明できませんがそういう訳で、9月の白露巳日は「大祭」が行われるのだそうです。朝の散歩に行ったらいつも7時をすぎないとご出勤されない係の人たちが大勢で掃除やら提灯飾りやら、忙しく立ち働いているのでびっくりしました。
平生はない左右の大きな提灯
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
まぁ、ステキな神楽に出会われてラッキーでしたね。
返信削除毎朝のお散歩コースとは言え、私なら「今日は面倒だから休もうかな・・・」なんて事も多いので、神様からのご褒美だったかもしれませんね。
源頼朝が「巳の年・巳の月・巳の日」に見た「夢のお告げ」って
何だったのでしょうね、それも知りたいものです。
鎌倉は神奈川県で1番住みたい所だと昨日何かのニュースで知りました。
鎌倉便りを拝見する度、是非行ってみたいといつも思います。
これからもステキな鎌倉便り、お待ちしています。
まあちゃん
返信削除コメントありがとうございます。観光案内によると、
「平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、
そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、
目も当てられない有様でした。
源頼朝は人々の命を救おうと日夜神や仏に祈っていましたが、
巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、
夢にひとりの老人が現れ、ここから西北の方に一つの谷があり、
きれいな泉が岩の間から湧き出ている。
今後この水を汲んで絶えず用い、神仏を供養せよ。
自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。と言って姿を消しました。
夢からさめた頼朝がすぐ家来をやって
その場所を探らせると、確かに、岩の間から
綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。
頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、
社を建てて宇賀福神をおまつりし、
毎日その水を運んで供えたところ、
天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになった」
とありました。
(https://www.trip-kamakura.com/place/195.html より)
不勉強でしたが、また一つ勉強させていただきました。有難うございました。
まぁ、そうでしたか。
返信削除それが銭洗弁財天宇賀福神社の起り、由来なのですね。
それにしても1000年近く多くの人達の信仰を集めている訳ですが、この由来をご存じの方は少ないのではないでしょうか。
私などは遙か昔、いつ、誰と行ったかも定かではありませんが、わずかばかりのお金を洗って、たくさんお金が増えますようにと祈ったような気がします。
本当は世の中の平和をお祈りしなくてはいけなかったのですね。
すばらしいお話を教えていただきありがとうございました。