2022年10月21日金曜日

鎌倉便り:「海蔵寺」(10月3日)

 海蔵寺は鎌倉でも珍しく駐車場を備えているので車で行きやすい。また、観光客が一時的に押し寄せるというほどの魅力もないからか、駐車場もこれまでも空いていることが多かった。10月のはじめ、ハギの花がもう少しで満開なのだが、今は薄いピンクで全体が染まっていた。

端正な本堂にこれもピンクの芙蓉(フヨウ)が引き立て役を買って出ている。
芙蓉の後ろはフジバカマ?分かりません。
山門前の赤いハギです。庭に置いてある赤い日傘が中々しゃれています。

最近ではよく見かける風景ですが結婚披露宴などで見て貰うビデオ紹介といったところでしょうか?







2022年10月19日水曜日

鎌倉便り:今はもう秋・・・(10月1日)

 誰もいない海・・・と続く歌(トワ・エ・モア1970年発表、山口洋子作詞、内藤法美作曲)は私の愛唱歌の一つだが、この日は気温も30度を超えて暑かった。海風が心地よい程度に吹いてのんびり、ぼんやり海を眺めた散歩便りです。

由比ガ浜近くに洒落た建物、14室の割烹旅館、表は日本家屋凬でしたが裏手から見ると大正ロマンの素晴らしい建物(有形文化財)、「かいひん荘鎌倉」という3ツ星ホテルでした。
そこからも少し歩くと、海が見えてきます。

由比ガ浜に到着。逗子方面を見ています。
江の島方向を向くと16時ごろの夕日が海を照らしています。

鎌倉にきて気になって仕方のない存在がこの分厚いタイヤを付けて後部には物を引っ掛けるような金具がついた自転車です。そうです、サーフボードを挟み込んで運びながら自宅と往復しているサーファーたちの乗り物です。

これもそうですね。ボードを乗せて走っているところを撮りたいのですが、なかなかタイミングが合いません。あっという間に通り過ぎるので一度もカメラに収められません。

2022年10月13日木曜日

内館牧子:「すぐ死ぬんだから」

「終わった人」というドラマ風の本の連作ものにこの「すぐ死ぬんだから」があると知り、図書館から借りて読んでみた。「終わった人」がタイトルから連想されるように定年を迎え、祖語の日々をどう過ごそうかと苦闘するサラリーマンを描いているのに対し、こちらはそれから10_20年を経た年代の、謂わば内館さんと同年代の幸せに過ごしてきた夫婦が実は驚きの欺瞞の中にあったことを知り、天地がひっくり返るような驚きを体験し、乗り越えていくお話しだった。80歳代を前にして、絶対に年より臭く見られたくない妻と俺は自然体の生き方でいいよ、という折り紙が趣味の夫。その夫はいつも妻を「最高の人」と褒め上げていた。夫婦間では勿論、人前でもそう言って憚らない、そんな夫婦だった。その夫がある日、突然亡くなってしまう。どうやら数週間前に転倒して頭を打ったことがあったらしくてそこからの出血が原因だったが遺品の中から、本人が出入りするはずのない意外な場所の病院の診察券が出てくる、息子に手渡してあった重要書類箱から遺言書が出てきて相続に関する意外な内容から物語は急展開する。その意外な顛末は・・・・・。タイトルから想像するのとは一寸違って、やはり内館流のホームドラマ仕立てではあったが面白く読んだ。

2022年10月11日火曜日

水上勉:「土を喰う日々」―わが精進十二ヵ月ー

 何かで気になって図書館から借りたがその切っ掛けが何であったのか、思い返しても分からない。懐かしい作家の本だ。どんな内容かとページを開くと何と料理レシピの本ではないか! この人は福井県若狭の生まれで9歳から京都で小僧として禅寺に入っていた。何を得したかと問われれば精進料理を覚えたことだろう、と書き出している。畑で育てた季節の野菜を料理にして心のこもった惣菜をつくる。そうした昔の体験をもとに、1年12ヵ月にわたって様々な料理を自分で工夫して作って見せる貴重な料理本だった。と同時に土の匂いを忘れた日本人の食生活を嘆き、修業時代に躾けられたこと、教わったこと、師匠のことなどを語り継ぐ素晴らしいエッセイになっていた。文庫本でありながら、毎月のカットなども水上勉氏が直筆で描いたものらしいが気が利いていてお洒落だった。何より作家が楽しんで料理を語り、作り、書いている様子がありありと伝わってくる。

1月:等持院という禅寺で9歳から中学生時代を過ごし、かっては東福寺の管長を引退された尾関本考老師のお世話係(隠侍というらしい)をしていて掃除洗濯、食事のお世話をしていたらしい。老師は酒好きで、になると必ず酒、来客も多く、老師から直接料理の注文が出てそれを作っていたという。老師は又、日中庭の畑で作業を1時間ほどはやるのでいろんな野菜が植えてあって、隠侍である水上少年はそれらの野菜を見繕って料理を作らされていたという。畑と相談して料理を絞り出す、それが精進料理だと思っていた。土を喰らうというのはその時の実感だという。クワイを焼く、丸ごと気長に役と土が育てた甘い香りが漂うという。

2月:山椒の木の枝から作ったすりこぎの話から始まる。水上氏の手作りのすりこぎの写真。軽井沢で過ごしていた氏は敷地内で見付けた山椒の木から表面を磨いて作ったらしい。1~2月の軽井沢は畑には何もない。貯蔵庫に取り置いた野菜類がすべて。 こんにゃくの辛子田楽。フキノトウの串焼きに甘い味噌を添える。すりこ木から微かに削り取られる山椒の香りが移るような気がしてそこが何とも言えず料理の風味を増すような気がすると書いている。

3月:まだ畑には何もないこんな時来たお客に何を出したらよいか、考える。家にあるもの、例えば高野豆腐、湯葉、豆の煮ものなど。材料をにらみながら、材料になり切って、ひと工夫冒険してみる愉しみは面白い、と説いている。

4月:執筆に使っている軽井沢も山菜の宝庫と化する。ヨメナ、水芹、タラの芽、アカシアの葉、わらび、みょうがだけ、やまうど、アケビのつる、ヨモギ、こごみ、それらを小川を漁り、斜面を這い上り収穫してくるのだという。食べ方もシンプルで酒のおつまみにぴったりのものばかりが出てくる。

5月:筍の季節。わかめとの炊き合わせが一番と力説する。筍は竹林を連想させ、若狭の生家のこと、京都のお寺の竹林のことへと話は飛ぶ。東京の家に竹を植えて、自分はいくら生えても苦にはならないが、奥様はやたらと繁茂する竹、隣家に侵入するのを恐れ、これで衝突する、まさか竹林ごときで離婚する訳にもいかぬと小さく収めて知人たちに分け与えたりした話は面白い。

6月:梅、梅干しの話で完結。梅干しは50年経っても60年経っても十分梅干しとして味わえる。新潟の読者のお婆さんから「うちの土蔵には源義経が漬けたという梅干しがある。あなたになら1粒、食べさせてあげる」という手紙をもらった話が載っている。

7月:茄子。夏大根、茗荷、山椒の実を取り上げている。山椒の身にまつわる祖母の思い出話などは興味深い。料理には6つの味があるという。甘、辛、酸、苦、渋、に加え、後味(食べた後又食べたくなる後味)だという説を紹介してくれている。(日本料理の奥義、中村幸平著)

8月:奴豆腐。禅寺では3日に1回は豆腐料理だという。精進ばかりの料理に栄養を仕込むのが豆腐の役割で禅僧の長命の秘訣だという。ごま豆腐、胡桃豆腐、落花生豆腐もあるという冬瓜のあんかけも取り上げている。

9月:松茸、その他キノコ

10月:果実酒。地梨子、マタタビ、すぐり、見たこともないのであまりイメージが湧かない。畑ものでは秋ナス、唐辛子、その他野菜類の天ぷら・・・野菜の交響曲と表現している。

11月:栗の話だ。あとは冬に備えた献立。こんにゃくの山椒焼き、大根の田楽、馬鈴薯の田楽

12月:来年に備え、集めて山にしてあった落ち葉を日を選んで焚く。土に戻してやる作業が待っている。この時、渋柿を銀紙に包んで埋めておくとこれに大麦の粉を混ぜこねるとチョコレートのような美味なのようなものが出来上がるという。さすがにこれは一度食べてみたいと思わせるものだった。



吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...