2006年6月10日土曜日

映画:「ダビンチコード」

評判につられて本は最初の40ページほどしか読んでいない中で、映画のほうが上映されてしまい、観に出かけた。お題目は「ダビンチコード」。

キリスト教にとってイエスは神か、人間かという問題はイスラムからも指摘を受けていて、引くに引けない立場にあるようだが、自分のような不信心な人間にはサスペンスドラマとして見れば結構、面白いではないかと思ってしまうが、信者の方々にはそう単純な事柄ではないのだろう。宗教と政治の話は難しい。映画の話とは関係ないが、「信教の自由」だけは大切にしておかないと大変なことになる。
以前に読んだ『高く売れる「価値」とは何か』(前野和久著)によれば、日本で最初に宗教を情報産業に入るものとして指摘したのは梅棹忠夫氏、1963年(中央公論昭和38年3月」号)のことだという。「宗教教団とは、神を情報源とするところの情報伝達者の組織である。『神聖化』という特殊処理を受けた一定タイプの情報を大衆に伝達すれば、その『伝達行為』によって生活を支えることができるということを発見した時、情報業の先駆形態としての宗教が発生し、職業的宗教家が誕生したのであった」(引用終わり)。

産業構造の発展は第1次産業(農水産業)、第2次産業(製造業)を経て第3次産業(サービス産業化、情報化、ソフト化)の時代に突入している。この本ではさらに第3次産業を、さらに5つに細分化している。
第3次産業・・・宅配業、タクシー、植木職、ウエイトレスなど筋肉労働型。
第4次産業・・・私鉄、ホテル、貸しビルなど装置型
第5次産業・・・著述業、デザイナー、教師など知恵の再分配型
第6次産業・・・保険、民放、映画会社、など心に和みを与える今はやりの癒し型
第7次産業・・・宗教団体、葬儀社、墓地管理業など不安解消型

20年前の本だが、結構面白い分析・分類だ。
昨今はやりの「Web進化論」にあるグーグルのような会社はインターネットという装置を生かし、知識ベータベースを提供している4.5次産業ということになるのだろうか?ダビンチコードとは関係のない話になってしまった。

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