2007年1月14日日曜日

塩野七生のこと

について触れておきたいとずっーと思っていてそのままになっていた。作家について書くなどは恐れ多いことなのでそれが負担になっていた面はある。何か気の効いたことを書かないと、というプレッシャーみたいなものかな?その昔、「海の都の物語」、「男たちへの手紙」などを読んだこともあるし、最近では書下ろしの「ローマ人の物語」を読みたいなと思っていたのだったが、改めて読書欲を呼び覚まさせられた1冊がこの「チェーザレ・・・」だ。

去年秋に「つん読」の中の1冊、「チェーザレの優雅な・・・」を手にとって塩野の”チェーザレへの思い入れ”に満ち満ちた文章に載せられて一気に読んだ。16世紀、世に悪名高い「ボルチア家一族」の代表的最悪の人物を題材にかくも魅力的な優雅な人物像に良くも書き上げたものだと感心させられた。塩野が愛してやまないもう一人の人物、マキャベッリと同列で、というか、マキャベッリが君主論を書くきっかけを与えた人物こそがチェーザレ・ボルジアその人なのだ。`この本の中でチェーザレの末期(というか絶頂期と末期がほとんど同時に訪れるという悲劇を味わうことになるのだが)に技術顧問として迎え入れられるのが、レオナルドダビンチという係わり合いが紹介されていてビックリ。自分の頭の中でばらばらに入っている人物や知識に色々な繋がりを付けてくれ、とても嬉しかった。これまでの数倍もイタリアに関する知識が増えたような、すごく得をしたような気分にさせてくれた。年末から正月にかけてテレビでも塩野七生の露出度は高かった。「ローマ人の物語」完結を経て、マスコミの取材が凄かったのだろう。ただ、それらの番組では塩野の思いを存分に語らせるものではなく、対談で日本の別のテーマとローマのそれとを対比させるような仕掛けが多かったようで、今一、面白くなかった。``そして、それなら自分で「ローマ人の物語」を自分で一から読んでみようと思い立たせてくれたものだった。それは今となっては感謝しなくてはならない。実に物語りとしてよくできている。それは今文庫本で5冊目、書下ろしベースで言えば2巻目を終えたところであるが。

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