2007年8月1日水曜日

読書の後整理1:「黒船前後、志士と経済」服部之総著を読んで

先日図書館でふっと目に留まった1冊の文庫本(岩波文庫)。

世界の中の日本について考えるとき、江戸の末期からの現代の歴史認識を国際関係の中で捉えておくことが大事だ。そういう観点でこの本は極めて興味深い情報を提供しているように思えた。明治維新史の研究家の著したもので事実関係が興味を引いたのでメモしておいた。
一つは帆船から鉄製の船舶へ、蒸気船への発展史を経済史的観点からの分析である。世界で最初の鉄船はわずかに8トンのトライアル号で1787年のこと(イギリス)。フランス革命の2年前。ナポレオンが覇権を握ったのが1807年。イギリス海軍が正式に採用したのが1860年。どうして73年も掛かったか?
(理由その1)鉄製の船が浮かぶ訳がないという先入観、自然の摂理に反する、コンパスが狂う。
(理由その2)エンジンの性能が低く、経済的に帆船にどうしても太刀打ちできない。政府の大幅な援助金がつかないと運行できなかった。
これを打開したのがエンジンの改良、特にタービン機関の発明で最終的な決着が付く。木造船は最大で300ft、400tが限界だったらしく、汽船との競争で鉄造帆船に主流が移る。日本にイギリス船や黒船が出没するのは丁度、鉄製帆船に補助エンジンを搭載した折衷派だったのだ。従って石炭のほかに帆を扱う大勢の水夫を必要とした時代だった。

そしてアメリカからの黒船、対中国貿易の燃料補給基地としての日本への開港要求を持ってきたわけだが、当然太平洋を渡ってきたと思っていたら、それが大西洋から喜望峰廻り、インド洋を越えてやってきたというのは想像外だった。当時の<a target="_blank" href="http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A1%E3%83%AA%E3%82%AB%E5%8F%B2#.E8.A5.BF.E6.96.B9.E3.81.B8.E3.81.AE.E9.A0.98.E5.9C.9F.E6.8B.A1.E5.A4.A7_.281789-1861.29">アメリカ史</a>を整理してみた。
1812~14年:米英戦争、その後モンロー大統領のモンロー宣言(相互不干渉)
1830年代:ジャクソン大統領の下、民主政治が確立。同時に産業革命が始まる。
1845年:対スペイン戦争でカリフォルニア州を譲り受け、太平洋岸まで到達した。
1848年:カリフォルニアで金鉱発見(ゴールドラッシュ)
1849年:パナマ運河開通
1858年:日米和親条約締結(ペリー来航は1853年)
1860~65年:南北戦争(アメリカの内乱)

ペリー来航当時のアメリカの戦略は太平洋航路を開くことで、対中国貿易でイギリスに勝利することであって、現実に太平洋航路を公式に渡った記録はない。公式に残る北太平洋横断航海は日本の咸臨丸(250t)1860年ということになるらしい。 1860年といえば、上記のようにアメリカ内乱の最中ということだ。ここで彼らは誰と会い、何を見、何を感じたのだろうか?興味はまた別の世界へと飛んでしまう。

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