2010年12月15日水曜日

テレビドラマ:坂の上の雲をみながら

後半が始まりましたね。日曜に録画しておいたものをようやく観ました。第7回は、正岡子規の病死のところでした。しかし、何かテレビのストーリー展開は大味のような気がします。原本を読んだ時の面白さが伝わってきませんね。

正岡子規のシーンを見ていて、先日読んだ「納棺夫日記」を思い出しました。そこに紹介されていた「病床六尺」の中にある(悟りという事は如何なる場合にも平気で死ぬる事かと思っていたのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも平気で生きるという事であった)という言葉を思い起こし、読み返ししました。この言葉の重みをヒシヒシと感じます。悟りの世界には程遠い俗人ですが願わくばそういう心境でこれからの時間を過ごせるようになりたいものです。

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