秩父困民党事件、自由民権運動、五日市憲法が起草されたところ・・・明治政府ができたあと、憲法制定や議会制民主主義ができるまでの期間。明治の初めから30年ほどの間でしょうか?身分制度も終わり、民間の知識階級が沸きに沸いた時代。それは下級武士による明治維新革命に継ぐ、一般民衆による市民革命も夢ではないと感じていたそんな一群の人々がいたのでした。我が家の直ぐ近くには、「絹の道」の遺構が所々に残っています。横浜―八王子―高崎と日本のシルクロード沿いに新しい西欧の情報が流れ込み、そんな活動が活発に行われていたんでしたね。
今年、偶然にも紫陽花を写すなら武蔵五日市の裏山にある、通称「アジサイ山」に行ってみたら?というご紹介を頂いて6月に3回たずねました。そして今度1人でゆっくりその周辺も探訪してみました。そこに「深沢」と言う地名を見たからでした。 何か気になる地名。「小さな美術館」とか「自然人村」とか不思議なスポットが集中しているのも不思議でした。今回の探訪で、深沢家屋敷跡と復元された蔵の前に「五日市憲法」の発見の経緯などを読んで冒頭の感慨を新たにしたのでした。1966年に深沢屋敷の蔵からその「五日市憲法草案」が発見されたのだそうです。その屋敷のあとに自分が立っていたのでした。
ここにその案内文を載せて備忘録とします。<img alt="深沢屋敷あと" src="http://www.kisas.co.jp/images_wp/20110718_fukazawayashiki_0586.jpg" />写真はその屋敷の門扉と塀、そして復元された真新しい土蔵です。
東京都指定史跡
深沢家屋敷跡
所在 あきる野市深沢七番地
指定 昭和五十八年五月六日
江戸時代中期以前の深沢家の沿革は詳らかではないが、江戸時代後半より土地集積を行い山林地主として大きく産を伸ばし江戸中期に深沢村の名主役に就任している。
幕末には「同心株」を譲り受け江戸幕府の御家人である八王子千人同心に就き、村内鎮守社の神官をも務めていた。
明治維新を迎え深沢家を継いだ名主(なおまる)は深沢村の戸長に就任し、息子の権八は村用掛に任ぜられ、ついで神奈川県議会員に当選している。
名主・権八親子は三町十四ケ村から40名近い会員を集め学習会、討論会、研究会などを行っていた民権結社「学芸懇談会」の指導的立場にあり、五日市地域の自由民権運動の中心的な人物であった。
当地は江戸時代後期の名主屋敷の旧態をとどめ、また三多摩自由民権運動を象徴する「五日市憲法草案」発見の場所であり、当時五日市地域で民権運動の中心となっていた豪農民権家の生活様態を推定し得る遺跡として貴重なものである。
昭和五十八年十月一日建設東京都教育委員会
2011年7月21日木曜日
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