2012年8月18日土曜日

オリンピックの感想(3)

昨日は愚にもつかないことを書いてしまいました。今日は真面目に、柔道についての感想。

最初の女子柔道の松本選手には驚いてしまいました。こういう表現はいけないのでしょうが、日本人離れした闘志を前面に押し立ててマットに向かう姿には圧倒されてしまいました。どの試合を見ていても、試合前のあの闘志を掻き立てる姿を見ていると妙にみている側が落ち着いてきましたよね。だって、負けるはずがないなぁと安心感を持ってしまいました。そして予想通り勝ってしまうのです。金メダル間違いないなぁ、と思っていると予想通り日本選手団第1号の金メダルでした。ところが後は銅メダルが精々の状態。精神的な所で、松本選手に匹敵する選手は遂に現れませんでした。結局金メダルはその1つだけ。男子は全滅でした。しかし、もう1つの感想としては、このオリンピックで展開されている「オリンピック柔道」は自分が知っている「日本の柔道」とは別のものだなぁ、という感想です。「オリンピック柔道」は「日本の柔道」をベースにしてはいますが、世界各国に伝統的にある色んな格闘技を融合してできた国際格闘技の1つなのです。階級制然り、ポイント制然り、反則技の定義の厳格化然り。何よりも仕掛ける業と返し技との区別が判然としない位速く、また曖昧なので審判も迷う。そして、公正な審判のために導入された「ジュリー」という判定員制度。判断が難しくなって、審判よりジュリーの方が権威を持ってしまったロンドンオリンピックでした。あの海老沼選手の判定が覆った試合はその象徴でした。審判のレベルの低さもさることながら、「日本柔道」から「オリンピック柔道」への脱皮の過渡期なのでしょうね。そして、「柔道」が日本のお家芸という感覚こそ捨てなければならない感覚なのでしょう。お家芸でメダルを取れなくなったという事が国際的なスポーツになったという事の証なのだと考えるべきなのです。「オリンピック柔道」に勝つにはどうするか、「日本の柔道」の良さは良さで置いておいて、作戦や戦略を考えていかなければならないでしょう。考えてみれば、オリンピックに採用されている競技の多くはイギリスがその発祥の地であるものが多いわけですがイギリス選手が金メダルを取れることはもはや稀なことだと誰もが思っています。というよりその競技の発祥の地を意識することの方が稀なのです。国際化とはそういう事ではないでしょうか?

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