2012年8月25日土曜日

オリンピック追記

新聞に気になるコラム記事がありました。例の柔道の審判に関連する話です。

武智幸徳さんがオリンピックで見た男子団体体操で内村選手の縁起が抗議で得点が変わり4位から2位に、男子柔道の海老沼選手の審判で0-3の旗判定がジュリーからのビデオ判定で3-0に覆った、あの「審判の軽さ」について書いていました。

『「しっかりしろ、審判」とあきれつつ「偉いな」と思う気持ちもどこかにあった』と。ここで読んでいる自分は???このあとスポーツにおける審判の位置取りについて比較する。「審判の決定は最終」という絶対権威と「過ちて改めざる是を過ちという」とする人間社会での絶対倫理、一言でスポーツといっても、その種目によってこのどちらの立場でジャッジするのが妥当なのか大きく分かれるのはある意味仕方がないことであると書いていました。一概に悪びれず判定を覆す姿こそ、勇気のいることなのではないかと書いてあるところに感心してしまいました。 自分が軽い気持ちであの審判の人達のことを揶揄していたことが恥ずかしくなりました。

0 件のコメント:

コメントを投稿

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...