処暑を過ぎて何日?処暑とは「暑さも鎮まり」みたいな意味で、昼の暑さは兎も角も、夜は流石秋を感じる頃合いを言うらしい。その処暑は23日でした。この24節気とはよく気候の変化をとらえてその頃合いを見事に表現していて気持ちがなごみます。それにもかかわらず今年は旧盆を過ぎてからの方が夜の寝苦しさが増すという不可思議な現象を示しています。
その暑さの中、会社生活時代から接点の多かったKさんのお通夜で青梅まで出かけました。人懐っこい笑顔を絶やすことなく若者に仕事をさせる好漢でした。去年、胃がんで手術した後、電話やメールでは近況を報告しあっていました。今年の4月、私の水彩画展に毎年来てくれていたので招待したところ快諾。そこまでは良かったのですが例年開いていた八王子の会場から今年は相模原の会場に変わっていたことを見逃して八王子まで足を運んでくれたのでしたが空振りで電話だけでそのことを確認し、また来年もあるから!と軽く収めたのが最後の会話になってしまいました。彼も水彩画をやったり、社交ダンスをやったり、コントラクトブリッジの名手で、これは太刀打ちできず、偶には遊びに来いよとのお誘いにそこまではとても広げらないよと逃げ回っていました。そんな彼は私より1歳年下でしたが逝ってしまいました。祭壇の遺影もにっこり笑っていて、もう少しじっくり付き合ってみたかった男だったなぁ、と愚痴を一つ呟いてお焼香をさせていただきました。会社のOB が大勢見えていて、OB会の模様を呈するほどの数百人に及ぶ大きなお通夜でした。しかし、自分の身に引き当てて思うに、自分の最後はやはり身内主体の限定した人たちに囲まれるひっそりした者の方が良いなぁ・・・との感慨も湧き出ました。だんだん年を重ね、本当に来てほしい人が少なくなっていく時間軸を数えながら帰途につきました。家に帰ってひっそりを缶ビールを1本開けながらの感想でした。合掌。
2012年8月26日日曜日
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