2014年8月15日金曜日

丸谷才一:「横しぐれ」

読む本の作家が固定化してきているのは良い兆候とは言えない。丸谷才一氏は1925年8月生まれ、2012年10月没。享年87歳ということでしょうか。『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』など代表作だけは読んでいる。と言っても内容はほとんど覚えていない。特に<a href="http://www.kisas.co.jp/?s=%E7%AC%B9%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89">「笹まくら」</a>は去年読んでまだ印象に残っている。珍しく私小説的ではなく、知識というか教養をベースにした本を書く、という印象が強い。今回はまた、自由律の俳句の名手としても名高い山頭火が最晩年松山で父とその友人との四国旅行で行き会ったのではないかというエピソードを立証しようとする国文学者の息子の苦闘(文献漁りと推測、もしくは妄想)で話が進んで行きます。その舞台回しに使われているのが「横しぐれ」という何とも情緒を催す言葉です。「時雨」という季語はありますが「横しぐれ」となるとそれだけで1つの情景を思い浮かべさせる1つの成句になっている単語ですね。これをその山頭火と思しき乞食坊主に酒を酌み交わしながら話したという友人の思い出話から話が広がっていきます。これはもう既に文学上の論文にも値するのではないかと門外漢の自分には思えてしまうような学術的な話でした。時雨を季語としたいくつもの名句が出てきて、昔の高校時代に味わったハイレベルな国語の先生の話を思い起こしながら読み終えました。その先生の授業は初めに黒板に古今和歌集とか新古今和歌集から一句を大書し、その解釈から始まり、古文の文法を教えてくれるのです。内容はかなり難解なのですが、何しろその一句で一時間の授業を難なくこなしてしまうその力量に生徒皆んなが魅了されていたのを思い出させてくれるような、そんな本でした。感想というより青春時代の授業の一コマが小説になったような・・・。

0 件のコメント:

コメントを投稿

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...