2015年8月2日日曜日

いとうせいこう:「想像ラジオ」

2011年3月11日、あの日のことは忘れられません。その日は仕事で日本橋蠣殻町のオフィスビルで仕事をしていました。物凄い揺れが襲ってきて、ペンシルビルのような4ツ角の小さなビルは揺れに揺れ、交差点にいつ投げ出されるのかと慄きながら、自分を冷静に眺めていました。8階にいるからここでビルが倒れたら終わりだなぁと思い、交差点を見ていたはずなのですが、交差点での車や人の動きについては記憶はありません。見えども見えずだったのでしょう。壁につかまり、ファイル棚が倒れ掛かってくるのを腕と壁とに挟まれながら抑えるのに必死だったのかもしれません。ようやく揺れが収まりかけて、あぁ大丈夫かと思ったとき第2段目の揺れが襲ってきました。これが後に最初の揺れが8.7レベルでそれが2段目の揺れを誘発したこと、そしてマグニチュードは9.0に修正された揺れだったと知った位、鮮明に覚えています。この時点でこれは関東大震災の再来だと6割ぐらいの確率で確信したものでした。あれからもう4年4か月が過ぎました。ハワイ島のキラウエア<em>火山</em>の溶岩流がゆっくりと海に向かって流れていく映像を見たことがありますが、あれと同じ映像がその後のテレビ放送に延々と流れました。大津波でした。その津波の下に1万人以上の人たちが呑み込まれていったのでした。。ボランティアで行くほど行動的でもなく、体力的にも役に立ちそうにありません。募金をいくらかはしましたが、それだけです。あの震災を描いた文学作品の初めのものでしょう。

この本はその津波に呑まれ、樹の上に引っ掛かったままの樹上の「DJアーク」さんから流れる想像上のラジオ局のディスクジョッキーです。死者の声、そして死者だけが参加できるDJ、という形式を取った鎮魂の小説でした。

雲仙普賢岳の火砕流、阪神淡路の大震災・・・・この世にはこんな災害が起きるのかと驚嘆したことは忘れられないが、その何倍も上回る福島原発事故を含む東日本大震災は自然の驚異以外の何物でもない。その中で我々は「偶然、生かされている」という想いが消えない。
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