転居を決めてから一つ気がかりなことが雲のように湧き出てきた。如何に地域と遊離した生活を送ってきたとはいえ、それでも色んな人達とのお付き合いがあるもので、今回のことを気持ちよくお伝えするのにどうしたらよいかと俄然、気が重くなった。
季節の変わり目には山梨の実家で収穫された果実を届けてくれたYさん、書道の大先生で家族ぐるみ教えて頂いたK先生、お隣のSさん、テニスクラブのMさん。テニスクラブではよく顔を合わせる人たちへの伝達は簡単だったが隣近所が案外難儀だった。日ごろ顔を合わせれば「やあやあ、こんにちは、・・・」と話は続くのですが顔を合わせるということが滅多にないので、わざわざ電話をすると何事かと、相手も改まった感じになるので、つられてこちらも改まってしまう。話がつながらない。真っ先にはやはりお隣にお話した。「偶には、お茶しませんか?」とコーヒーとお菓子でよもやま話の末にようやく話を切り出して相手をびっくり仰天させてしまい、恐縮してしまった。お隣さんは2年前にご主人を亡くされて目下一人住まい、何かと助け合いの関係ができつつあったのでショックは大きかったようだった。Yさんはご夫婦ともに小学校の先生をされていてその上、ご主人は童話作家、小学生の作文コンクールでは審査員を務め、ご自分の童話も課題図書に選ばれたこともある有名人、奥様はお茶のお師匠さんで家内を通して大変懇意にして頂いていた。郵便局に用足しに行く途中、偶然にご主人に行き会い、用件を済ませた後お宅に立ち寄ってお話をした。
後日、Yさんご夫妻のアレンジでご近所付き合いのKさんも交えてお茶会を開いて頂き、送別会をしてくれた。テニス仲間のMさんからも恒例のワインパーティで転居を祝ってくれた。転居が決まって割合早い時点でお伝えできたので送別会も気持ちの余裕がある時に開いて頂き気持ちよく参加できたのは幸いなことだった。最後の1週間のことを考えると早くてよかったとつくづく思ったものだった。最後の1週間といえば、息子たちが引越しの前々日と当日に、段ボール詰めの終盤と引越し当日の開梱に付き合ってくれたことは本当に助かった。みんなに祝福され、手伝ってもらい無事転居が実行されたことは幸せなことだった。
2017年12月31日日曜日
2017年12月30日土曜日
転居日誌(10):引越しまで3週間
契約が決まって引越し日が決まり、その間の3週間が引越し準備期間ということだ。3週間でそんなことができるのか?できるのかではなくてやるしかないのである。
先ずは引越し屋さんの選定だ。引越し屋さんの選定も相見積もりしてもらえるウエブサイトがちゃんとあって、そこに必要事項を入力して送信すれば、何社にでも同時にメールが届く。これを利用すると翌日には2社から営業担当者が現れて見積もりを置いていく。引越し日程は既に決まっているのでその日にやっていただけない所は自動的にダメということになる。付帯サービスの説明も受けてこちらから決めた業者に連絡して決めた。
さて、次に不用品を捨てなければとゴミ袋を買ってきてせっせと詰め込んでみたがこれではダメだとすぐに気がついた。量が半端ではない。そもそも不用品の方が圧倒的に多いのだ。アプローチは「持っていくものを決める」ことなのだ。それ以外は不用品で、リサイクルできるものと捨てるものだということなのだ。そしてこれまたそういうことを扱う会社がまたゴマンとあるのだ。ネットで調べるとあるはあるは・・・ありすぎてどこに決めたらよいか全く分からない。結局また、不動産屋さんに電話して業者さんの紹介をお願いした。これも相見積もりを取ったほうが良いと息子たちが言うのでやってみたが、見積もり方法がまちまちで比較しづらい。結局、不動産屋さんを信用してその会社に頼んだ。これは正解だった。極めて良心的な見積もりで、最初に捨てたいもの、不要なものをリスト化してくれその処理費用を積算して見積もりをする。すごく高い見積もりが出てきて仰天した。しかし最終的に自助努力で処分を依頼するものを減らせればその分差し引きますよ、ということだった。どこまで努力するとどこまで下がるか一目瞭然になって俄然片付けがスピードアップした。ゴミ袋でせっせとゴミ出しをし、また粗大ごみでも車で運べるものは市の最終処理場に直接持ち込みを何回か繰り返して最終的には相当安く最後の処分と掃除を終えることができた。引越し業者さんからきた大量の段ボール箱に必要なものを梱包しながらの3週間の家具、持ち物との格闘のお話でした。
先ずは引越し屋さんの選定だ。引越し屋さんの選定も相見積もりしてもらえるウエブサイトがちゃんとあって、そこに必要事項を入力して送信すれば、何社にでも同時にメールが届く。これを利用すると翌日には2社から営業担当者が現れて見積もりを置いていく。引越し日程は既に決まっているのでその日にやっていただけない所は自動的にダメということになる。付帯サービスの説明も受けてこちらから決めた業者に連絡して決めた。
さて、次に不用品を捨てなければとゴミ袋を買ってきてせっせと詰め込んでみたがこれではダメだとすぐに気がついた。量が半端ではない。そもそも不用品の方が圧倒的に多いのだ。アプローチは「持っていくものを決める」ことなのだ。それ以外は不用品で、リサイクルできるものと捨てるものだということなのだ。そしてこれまたそういうことを扱う会社がまたゴマンとあるのだ。ネットで調べるとあるはあるは・・・ありすぎてどこに決めたらよいか全く分からない。結局また、不動産屋さんに電話して業者さんの紹介をお願いした。これも相見積もりを取ったほうが良いと息子たちが言うのでやってみたが、見積もり方法がまちまちで比較しづらい。結局、不動産屋さんを信用してその会社に頼んだ。これは正解だった。極めて良心的な見積もりで、最初に捨てたいもの、不要なものをリスト化してくれその処理費用を積算して見積もりをする。すごく高い見積もりが出てきて仰天した。しかし最終的に自助努力で処分を依頼するものを減らせればその分差し引きますよ、ということだった。どこまで努力するとどこまで下がるか一目瞭然になって俄然片付けがスピードアップした。ゴミ袋でせっせとゴミ出しをし、また粗大ごみでも車で運べるものは市の最終処理場に直接持ち込みを何回か繰り返して最終的には相当安く最後の処分と掃除を終えることができた。引越し業者さんからきた大量の段ボール箱に必要なものを梱包しながらの3週間の家具、持ち物との格闘のお話でした。
2017年12月29日金曜日
転居日誌(9):売れてしまった
思い出してほしい。S不動産の営業マンMさんとは既に2年半に及ぶやり取りがあったことは前にも触れた通りだ。さり気ない「サ高住の方の進展はありましたか?」「変わりはないですか?」などの会話から色んな情報を感じ取っていたのではないだろうか?こちらも「一体この家はどのくらいの値段なら売れるのだろうか?」という疑問をいつも持っていたのでその辺りの情報を欲しがっていた。だから、今回の場合でも売買のギャップが左程ではないことを暗に教えてくれ、後押しをしてくれた。それがなかったらこれほどスムースには行かなかっただろうと思う。そして11月13日には売買契約を取り交わしてしまったのだ。話が始まってから約20日だった。そして新居への入居は12月1日以降。八王子の家の明け渡しは12月7日と決まった。八王子の家は新年までには取り壊したいという。なぜそんなに明け渡しを急ぐのかと問うと新年を跨ぐと新たに家屋への固定資産税が発生し、お金の面、手続きの面で面倒というのだった。成る程、大した額ではないだろうが・・・一々口を挟むことでもないような気がしてそれに合わせた転居計画を立てることにした。最初に決めたことは引越し日を4日にし、5,6の2日間で家をキレイにして7日に引き渡すというものだった。息子たちの手伝い休暇の日程を主体にして決めた。息子たちの協力がなかったら家財の整理はとても間に合わなかったのではないだろうか?一軒屋というものが如何に多くの収納場所を持っているものなのか、ひと言で「断捨離」というけれど、本当に断捨離というのが大事業だということが今回、身にしみた。色んな人の協力を貰ったことを記憶しておきたい。残していく庭木や草花の幾つかを引き取ってくれた息子や友人たちのことも記憶に留めておきたい。入居したのが昭和51年(1976年)だから41年間住み慣れた家だった。通い慣れた道、町並み、顔なじみの近隣の人達、四季折々の自然の変化、鶯の鳴き始めを毎年聞き取る春を待つ感覚・・・最後の1週間、スケジュールに追われながらのチョットした隙間に寂しさの感覚が忍び込んでくる。それは息子たちにも同じだったようだ。息子達にとっては物心がついた時からの家、ふるさとの家だから感覚的には自分よりも、より感傷的に感じる面もあったようだ。時間はどんどん過ぎて行き、大きな紙に書いた引越しカレンダーが1行1行消し込まれていった。
2017年12月22日金曜日
転居日誌(8):マンションの下見から有力候補の絞り込み
何と翌日には30近い物件の情報を持って来てくれました。しかし、こちらもネットで十分研究していたこと、30数件の物件の中にそれらの物件が多数含まれていたこと、駅からの距離が10分以上のものを省き、3LDKなど60㎡以上のものを省くと残ったのは8件ほどだった。そこから間取り、ロケーションを考えて絞り込むと4件ほどになってしまった。これを下見したいというと、すぐに電話で手配をしてくれて翌日にはその4件をぐるっと見て回ると、好感のもてるものは2件だった。そして結局はそのうちの1件に決めたのだからそのスピードには自分も呆れるほどだった。偶々、その下見の夜は新宿で2人の息子たちと飲み会を計画していたので、早速状況を話した。これまで2年以上何の進展もなかったので急な話には相当ビックリしていた様子だったが、八王子の家、土地を生かした彼らの将来設計というのは殆んど考えられないということは疑いようもないものだったので、結局は「お父さんが良いと思うなら良いのでは・・?」という以外の意見は出ず仕舞いで終った。
問題はここからである。今住んでいる家を売却しなければこの話は前には進まないのだ。
問題はここからである。今住んでいる家を売却しなければこの話は前には進まないのだ。
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吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
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NHKカルチャーセンター主催の水彩画講座(2時間*3回)の第一回を受講しました。これまで無料のZOOMアプリを使って家族やNPOのリモート会議を何回か体験してきました。また、NPOで開催しているシルバーの人たちに向けてZOOM会議の受講の仕方、主催の仕方などの講義をしてきました...