2017年12月29日金曜日
転居日誌(9):売れてしまった
思い出してほしい。S不動産の営業マンMさんとは既に2年半に及ぶやり取りがあったことは前にも触れた通りだ。さり気ない「サ高住の方の進展はありましたか?」「変わりはないですか?」などの会話から色んな情報を感じ取っていたのではないだろうか?こちらも「一体この家はどのくらいの値段なら売れるのだろうか?」という疑問をいつも持っていたのでその辺りの情報を欲しがっていた。だから、今回の場合でも売買のギャップが左程ではないことを暗に教えてくれ、後押しをしてくれた。それがなかったらこれほどスムースには行かなかっただろうと思う。そして11月13日には売買契約を取り交わしてしまったのだ。話が始まってから約20日だった。そして新居への入居は12月1日以降。八王子の家の明け渡しは12月7日と決まった。八王子の家は新年までには取り壊したいという。なぜそんなに明け渡しを急ぐのかと問うと新年を跨ぐと新たに家屋への固定資産税が発生し、お金の面、手続きの面で面倒というのだった。成る程、大した額ではないだろうが・・・一々口を挟むことでもないような気がしてそれに合わせた転居計画を立てることにした。最初に決めたことは引越し日を4日にし、5,6の2日間で家をキレイにして7日に引き渡すというものだった。息子たちの手伝い休暇の日程を主体にして決めた。息子たちの協力がなかったら家財の整理はとても間に合わなかったのではないだろうか?一軒屋というものが如何に多くの収納場所を持っているものなのか、ひと言で「断捨離」というけれど、本当に断捨離というのが大事業だということが今回、身にしみた。色んな人の協力を貰ったことを記憶しておきたい。残していく庭木や草花の幾つかを引き取ってくれた息子や友人たちのことも記憶に留めておきたい。入居したのが昭和51年(1976年)だから41年間住み慣れた家だった。通い慣れた道、町並み、顔なじみの近隣の人達、四季折々の自然の変化、鶯の鳴き始めを毎年聞き取る春を待つ感覚・・・最後の1週間、スケジュールに追われながらのチョットした隙間に寂しさの感覚が忍び込んでくる。それは息子たちにも同じだったようだ。息子達にとっては物心がついた時からの家、ふるさとの家だから感覚的には自分よりも、より感傷的に感じる面もあったようだ。時間はどんどん過ぎて行き、大きな紙に書いた引越しカレンダーが1行1行消し込まれていった。
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