2020年7月7日火曜日
大島真寿美:渦 妹背山婦女庭訓 魂結び
難しい題名だ。どうしてこんなタイトルになったのだろう。
読んでみて、「渦」は人と人の交わり、歌舞伎や繰浄瑠璃(くりじょうるり)のストーリー同士が影響しあい、触発されて新たな流れを作り出す、その様を表現したものらしい。「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていくん)」は歌舞伎や文楽では有名だが私は勿論、観たことがない。勿論などと威張ることではないがなかなかそういう機会はないものだ。「魂結び」は辞書では、「魂がからだから浮かれ出るのを結びとどめるまじない」の意味らしい。大阪は道頓堀で生まれ育った穂積成章。父は国学者をやりながらいわゆる浄瑠璃狂いという人で、暇さえあれば小屋に通い、息子成章を連れていく。父が近松門左衛門から貰った硯を息子に与えて、おまへ、「いづれ浄瑠璃を書くぞ」、と刷り込まれて成長していく。硯を譲り受けて自分でもそのうち浄瑠璃を書くような気分になって近松半二と名乗るようになった。近松門左衛門の半人前にも及ばないが、半人前、2つ併せてやっと一人前の半二、と自分で名付けた。半二が道頓堀を徘徊しながら、浄瑠璃や歌舞伎の世界にどっぷりと漬かり頭が一杯になっていく。
大阪弁と京都弁、それに奈良の言葉を交えて独特の世界を紡ぎ出していくのが読んでいて一つのリズムに乗せられていくのが心地よかった。大島氏は愛知県の出身らしいのだが、言葉の調子が根っからの関西人の文章のように破綻がない。半二の色んな人生経験や大和への旅、人との係わり合いが「妹背山婦女庭訓」に結実していくプロセスを関西弁で紡いでいく。生涯渾身の作だ。これを生み出した後の半二は盟友だった並木正三を失い、次第に衰えていくところが哀しい。人には必ず終わりが訪れてくるがそこの悲哀が読んでいて切なかった。明日のわが身だ。魂結びだ。この作者が本当に書きたかったのはこの「魂結び」だったのかもしれない。そこを書くために今に残る名作「妹背山婦女庭訓」の大成功が必要だったのだ。
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