2021年3月12日金曜日

3.11から10年:「原発事故は人類の悲劇、まだ終わってない」

この日、この話題をスルーする訳にはいかない。10年前のこの日、日本橋茅場町で仕事をしていた。以下は震源地から約375㎞離れた東京都心での被災記録だ。

その仕事場は交差点の一角に建つ鉛筆のような細長いビルの8階にあった。揺れは今ははっきりといえるがいわゆる長周期振動で最初は大した揺れではなかったが段々と振幅が大きくなり、その鉛筆ビルは交差点に倒れるのではないかと一瞬想像した。そしてしばらくすると揺れが収まるのではないかと思ったが、そこから1段ギアを上げて猛烈な揺れが再来した。その時これはひょっとすると関東大震災に次ぐ2度目の首都直下型地震ではないかという想像が頭をよぎった。揺れに耐えて自分と同じぐらいの高さのファイル棚が倒れないように左手を添えて壁との間で自分を支えている間、家族のことまでは気が回らなかった。数分の後揺れがいったん収まってから窓際から交差点を見下ろした。大勢の人が立ち尽くして自身の収まったのを確認している様子が見えた。オフィスでは大きな金庫が自重でフリーアクセスの床を突き破って大きく傾きファイル棚からはファイルが雪崩落ち足の踏み場のない状況になっていた。それからテレビをつけて情報収集に入った。この時点で息子たちに電話したところ皆無事を確認出来て一安心した。その後は時間の経過と共にみんなも知っている津波の映像へと移っていったのでした。16時過ぎにこれは家には帰れそうもないと近所のビジネスホテルに予約に行ったが時すでに遅しで満室。事務所に泊まるしかないかと観念した。23時を過ぎると地下鉄が動き出したとのことで家のことも心配なので帰ることにした。地下鉄で新宿に出るのに90分掛かった。あとで分かったことだが新宿駅が大混雑で新宿に電車を入れないようにコントロールしていたらしい。 京王線の電車は各駅停車で随時発車していたが結局、北野駅に着いたのは午前4時過ぎだった。タクシー乗り場は乗車待ちの人で一杯だったので歩いて帰宅したのは12日午前5時頃だった。幸い、家の中は何一つ落ちたり倒れたりしたものはなかった。

しかし本当の災害はそれからの4日の間に津波をかぶって全停電になった福島第1原発3つの原子炉が水素爆発を起こしたことだ。地震は天災に近いが原発事故は人災(人間の浅知恵が引き起こした災害)だった。アメリカでは日本の関東を含む北半分が汚染される大事故になるとの判断が下され、大使館に在留アメリカ人の避難勧告が出されたらしい。知らぬは日本人だけだったのだ。そして現在のように主として福島県だけの局地的な放射線汚染で収まったのは本当に奇跡だったようだ。

今まだ、原子力発電に頼らずして脱炭素社会は実現できないと原発に依存し続ける人たちに限りない疑問符を投げ掛けたい。

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