2022年4月26日火曜日

鎌倉便り:大河ドラマと共に鎌倉に転居

鎌倉市、言うまでもなく鎌倉幕府のあった地、数年間は日本の首都だった処だ。ここに住むことになるなんて・・・・思ってもみなかった。息子に、どうして鎌倉に住もうと思ったのか?と尋ねたところ、鎌倉は勤め先には遠いが、調べてみると通勤時間はそれ程かからず、混雑度が違う、それと自分の家を持つなら海の傍が良いと思った、との答えだった。当時、息子は海外勤務を終えて田園都市線沿線に住んでいた。日本一の通勤混雑する私鉄沿線だったのだ。その混雑度に辟易していたのだろう。それに最後に彼が住んでいたロス郊外の海の傍がお気に入りだったことも思い出せた。
先ずは住民登録で市役所にお世話になった。ここが最初の訪問地だった。


鎌倉市役所
市役所通り

 思い返すと、東京八王子市から相模原市の橋本に転居したのは2017年12月だった。ここが終の棲家になるだろうと想像しての引っ越しだった。長年慣れ親しんだテニスクラブとも近いし、墓地にも近い。近隣には商業施設が多く一人暮らしにはうってつけの環境だと満足していた。独り暮らしになって八王子の住宅は一人住むには広すぎて維持管理に手が回らなくなっていた。家を空けることが多くて不用心な上、老朽化が進んで色々手入れが必要になり、一層のことマンションに移り住むことが合理的に思われて実行した。断捨離が一気に進んだことにも満足していた。しかし、引っ越してからは体のあちこちに障害が出ることが増え始めた。左足の間欠性の跛行、それを何とか鍼灸とストレッチで克服できたと思ったら、踵のアキレス腱を痛め、丁度新コロナ禍が始まったばかりの時には突発性難聴に襲われもした。次に右足足底筋を痛め、歩行が困難になることが増えてきた。年齢は正直だと思った。幸い、息子がそれらを見ていて、自分の家の近くに越してこないかとの誘いを前々から受けていたのだった。それが急に実現することになったのは息子の自宅の目と鼻の先に良い物件が見つかったからだった。

考えてみると今回が何回目の引っ越しになるのだろう。結婚した時に会社の独身寮を出て、会社の借り上げ社宅を横浜市の上大岡で新生活を始め、とても交通不便で港北区大倉山に、それから転勤で八王子に移り、しばらくはまた、借り上げ社宅住まい、そして土地に慣れてから片倉台に住まいを求め、そこで40年近く住んできたのだった。そして相模原、鎌倉、6回目になる。

折角このこじんまりした古都に引っ越してきたのだから、できるだけ散歩で久し振りの鎌倉をプレイバックしてみたい。独身時代、ガイドブック片手に何度も訪れたそういう意味では多少土地勘もあるところなのだ。記憶とつじつまの合わないところも多々あるが・・・。


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