鎌倉は三浦半島の付け根西側にあります。鎌倉北条時代の首都であったことは言わずもがなだが、その後は結構さびれてしまっていたらしい。しかし、徳川幕府になってから家康をはじめ歴代将軍は武家政治の始まりの地としての鎌倉を大切にし、寺社仏閣を数多く再興して力を貸したようだ。幕末、黒船来襲と共に三浦半島は江戸への入り口に当たる横須賀に注目し、海軍の鎮守府を設立し、造船所など関連施設も作られた。東京と横須賀を結ぶホットラインとしての鉄道も重要な路線として早期の開通が望まれた様で、そういう建議書がのこされている。そして1889年6月16日に大船駅 横須賀駅間に鉄道が開通し、同時に鎌倉、逗子、横須賀の各駅が設置され、一躍東京の別荘地、保養所として開けていきます。将官の住宅地も各地に開発されたらしい。一般国民から見ると東海道線がその前に開通しているので、大磯、鵠沼、藤沢、鎌倉、逗子、葉山と海岸沿いに大きな別荘が建てられ、海水浴場も開設されて東京から日帰りできる観光の価値に注目が集まったのも無理はない。1925年7月には全線が電化され、1930年3月には東京駅 - 横須賀駅間58.2km で電車運転を開始された。
湘南発祥の地は大磯と言われ、大磯、藤沢市鵠沼、鎌倉、逗子、葉山が主に別荘地域として形成されていきました。元々、大磯は宿場町として街道沿いに栄えていた場所であり、明治18年に日本初の海水浴場の設置が始まった地でもあります。明治35年には藤沢・江の島間の江ノ電の開通などを契機に別荘地として発展に拍車がかかりました。
横須賀線は大船から南北に走るので鎌倉駅は東口、西口と2つの駅舎に別れている。
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