NPOでの活動については時々書くようになった。以前は仕事と掛け持ちであったり、多少、偽善っぽいような、照れもあったのだ。まぁ、年齢を重ねて何かそういうものが吹っ切れてきたのは良い兆候なのか、悪い兆候なのか、判らない。
先日、代々木の国立青少年総合センターに行ってきた。用件は「認知症予防プログラム」を受講する目的でした。何でまた、物好きな?と笑われそうな話ですが、その訳の一つは、好奇心。自分が一番恐れていること、「認知症にだけはなりたくない」という気持ちからそれはどうすればそんなことにならないで済むのか、という功利的な興味。もう一つはNPO活動に必要な知識であり、資格なのです。パソコンを使って何かをやるという生活習慣はやり方によって認知症予防に大変効果があるのですね。そのやり方をNPO活動の中に取り込んでいけないかという課題があって、その解を求めての参加でした。集まってきたのは看護師や高齢者の施設管理会社から派遣されてきた20歳台から40歳代の人達ばかりです。自分のような人はこの認知症予防プログラムに参加してもらうであろうお客様レベルであってプログラムを実施する側ではないでしょう・・・・みたいな気分で1日お勉強してきました。参加していた人達からも「あなたのような人からは聴きたいことが色々ある」などと言われて、喜んでよいのか、ガッカリするところなのか判りませんでしたが終わってみれば貴重な体験でした。
ところでこの代々木の国立青少年総合センターというところは、1964年の東京オリンピックの時の選手村でした。その前は代々木公園、国立競技場、そして正式にはここ国立オリンピック記念青少年総合センターを含む92.4万平米に及ぶ敷地は駐留米空軍の駐留兵士のための居住区、通称「ワシントンハイツ」という異国の地であった。なぜかと言えばそこは塀で囲まれ日本人は立ち入り禁止の別世界だった。そうだ!渋谷のNHK放送センターもその敷地内だったのだ。そしてその前は日本陸軍の練兵場で「代々木の原」だった。その前は・・・?大名の誰かの屋敷跡だったのでしょうね。北杜夫の「楡家の人々」で描かれたように少年のころは練兵場の片隅で遊んだところだったのでしょうね?そして山本一力は学生時代に新聞配達アルバイトの特権でワシントンハイツに出入りしていたのでしょうね。そこで自分は老人の認知症予防プログラムのお勉強をさせられました。ひとつの場所が時と共に色んな役割を果たしていく、時の流れを感じました。