2016年1月30日土曜日

場違い?そして時は流れる

NPOでの活動については時々書くようになった。以前は仕事と掛け持ちであったり、多少、偽善っぽいような、照れもあったのだ。まぁ、年齢を重ねて何かそういうものが吹っ切れてきたのは良い兆候なのか、悪い兆候なのか、判らない。

先日、代々木の国立青少年総合センターに行ってきた。用件は「認知症予防プログラム」を受講する目的でした。何でまた、物好きな?と笑われそうな話ですが、その訳の一つは、好奇心。自分が一番恐れていること、「認知症にだけはなりたくない」という気持ちからそれはどうすればそんなことにならないで済むのか、という功利的な興味。もう一つはNPO活動に必要な知識であり、資格なのです。パソコンを使って何かをやるという生活習慣はやり方によって認知症予防に大変効果があるのですね。そのやり方をNPO活動の中に取り込んでいけないかという課題があって、その解を求めての参加でした。集まってきたのは看護師や高齢者の施設管理会社から派遣されてきた20歳台から40歳代の人達ばかりです。自分のような人はこの認知症予防プログラムに参加してもらうであろうお客様レベルであってプログラムを実施する側ではないでしょう・・・・みたいな気分で1日お勉強してきました。参加していた人達からも「あなたのような人からは聴きたいことが色々ある」などと言われて、喜んでよいのか、ガッカリするところなのか判りませんでしたが終わってみれば貴重な体験でした。

ところでこの代々木の国立青少年総合センターというところは、1964年の東京オリンピックの時の選手村でした。その前は代々木公園、国立競技場、そして正式にはここ国立オリンピック記念青少年総合センターを含む92.4万平米に及ぶ敷地は駐留米空軍の駐留兵士のための居住区、通称「ワシントンハイツ」という異国の地であった。なぜかと言えばそこは塀で囲まれ日本人は立ち入り禁止の別世界だった。そうだ!渋谷のNHK放送センターもその敷地内だったのだ。そしてその前は日本陸軍の練兵場で「代々木の原」だった。その前は・・・?大名の誰かの屋敷跡だったのでしょうね。北杜夫の「楡家の人々」で描かれたように少年のころは練兵場の片隅で遊んだところだったのでしょうね?そして山本一力は学生時代に新聞配達アルバイトの特権でワシントンハイツに出入りしていたのでしょうね。そこで自分は老人の認知症予防プログラムのお勉強をさせられました。ひとつの場所が時と共に色んな役割を果たしていく、時の流れを感じました。

2016年1月26日火曜日

氷川丸

今年の屋外スケッチは横浜、山下公園の氷川丸を入れた公園風景で始まりました。何度もきたことのある公園ですがスケッチ道具を持ってきたのは初めてでした。すぐ隣の通りには横浜グランドホテルの重厚な建物が銀杏並木と共にあり、秋の黄金色一色になる風景も見事です。

琴奨菊優勝

先日、3横綱を倒したところで、琴奨菊のことを書いたら、その翌日豊の島に負けておやおや、と思ったのですがその後は危なげない相撲で14勝1敗の優勝となりました。優勝後のインタビューを観ていたら、やはりルーチンを守って平常心を保ったことを勝因の一つにあげていましたね。この優勝の陰には3つ要因を挙げていましたね。1つは専任のトレーナーと共に独自のトレーニング(体幹強化)を去年の春から始めていたこと、ルーチン(平常心を保つ)を守ること、奥様の栄養管理。長く苦しんできた怪我を克服できたのもその辺りが大きかったようだ。この専任トレーナーというフレーズに大変驚きました。大相撲と言う古い体質の世界で、部屋のルールとかがあって、その中で専任のトレ-ナーというシステムを許されたのは初めてのことではないだろうか?大相撲といえどもスポーツであり、科学的なトレーニングを取り入れて行くのは当然のことだろう。その意味でも今後の角界に新風を吹き込むことになるのではないだろうか?

2016年1月21日木曜日

ルーチン通りで平常心

大相撲が湧きかえった。10年ぶりで日本人力士が優勝するかもしれないと言う期待感で一杯だ。大関琴奨菊が全勝街道を突っ走っている。それも鶴竜、白鵬、日馬富士のモンゴル3横綱を連破してのものだから価値が高い。その琴奨菊の制限時間一杯になった時の仕草に特徴がある。大きく仰向きに天井を見上げるようにして高々と塩をまく。この仕草はずぅーと見慣れた仕草ではあるが、去年のラグビーW杯の日本チームのあの五郎丸のポーズを思い起こさせるではないか!ルーチンの大切さがここへきて効いているような気がする。これから3日間、平常心で相撲を取れるか?夜は良く眠れるか?全勝優勝を願う空気が後押ししてくれると良いのですが・・・

2016年1月20日水曜日

二十四の瞳

先日、昼食の後何気なくテレビを点けると、前に見たままのチャネルでそれはBS3でモノクロの映画が始まるところでした。昔なつかし波頭が打ち寄せる海岸と富士山、忘れようもない松竹映画のタイトルバックでした。続いて文部省選定・・・これも良く見たキャッチコピー、これなら学生でも映画館に足を踏み込める免罪符のようなものでしたね。何と「二十四の瞳」でした。監督:木下恵介、音楽:木下忠司、高峰秀子が女先生「大石先生」役で20歳そこそこの小石先生から50歳過ぎの「泣き虫先生」までを演じていた。原作は壺井栄。日本の童謡や小学唱歌が随所に流れ、懐かしい日本の原風景を映し出していました。小豆島が舞台でしたね。のんびりした時代の半農半漁の村に、何となく戦時の黄なぐささが漂い始め1937年には盧溝橋事件が勃発し、日中戦争へと戦火が拡大していく。そういう時代の最初の赴任地は岬の分校。そこでの12人の子供たちとの出会いから2年で、大石先生は本校に転勤になる。子供たちの一寸したいたずら心で作った落とし穴に落ちて足の骨を折ったのがきっかけだった。2年生の子供たちが先生の家まで見舞いに行く。そのエピソード位しか見せ場はない。後は時代にどんどん流されていく。教え子が戦地に狩り出され、夫も召集そしてあっけなく戦死する。12人の子供たちの内、戦死者が4名ほどで、残った教え子の子供たちを教えに再び岬の分校に復職する。そこで開かれる同窓会が最後のクライマックス。そんな時代でしたね。涙腺も緩みがちで、懐かしさにも駆られ、ついに最後まで見てしまいました。

2016年1月13日水曜日

水彩スケッチと格闘

定期的にウォッチしているブログが3つある。皆さん、真面目に毎日のように書いてくれていて、それを読んでいるだけで結構満足してしまい寝てしまう。そうこうしている内に、1月ももう半ばに差し掛かっている。今日は上弦の月が、寒い快晴の夜空に冴え渡っていた。冷気が月の弦のところに乗っているような・・・

今年も水彩画のグループ展覧会が4月に開かれるのですが、その出展の絵のタイトルを今月の20日ごろまでに提出しないといけない、確かそんな手紙が来ていたはずと思ったのが先週末。それから今日まで5日間の内4日間を絵の選別に費やし、選別したものを仕上げてみたり、書き直してみたり、書き加えてみたりと、で過ごしました。ようやく4~5点に絞り込むところまできました。出展は3点ですので後は、タイトルを考えながら3点に絞り込めばよい訳です。ヤレヤレです。水彩スケッチを習いはじめて丁度7年目に入り展覧会も7回目になってしまいました。上達しているのかいないのか判りませんが、絵を見る目はそれなりに育ってきて、自分の絵を見るのが嫌になる、そんな繰り返しのようです。

2016年1月7日木曜日

水彩スケッチ描き初め

穏やかな日々が続くと思っていたら、昨日お隣の国で、水爆実験成功というニュースに驚く。それもあの国土の中で、そんな危険な実験をする場所があるのかと首をかしげてしまう。日本のような国土ではおよそ想像できない。剣呑な国と隣合わせしているものだ。何を仕出かすか?常識では計り切れないだけに対応に困ってしまう。世界中、困った事に事欠かない。どうすれば良いのだろう。こういう危機に乗じて、ドンドン戦前の日本に戻したいと考えている人達がほくそ笑んでいるのが目に浮かぶ。そしてまた、困った事だと呟くしかない自分がいる。

仕方がないので自分は絵筆を取ってなんの足しにもならない絵を描き始める。今日は描き初めだ。冬は寒いので室内で静物を描く。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...