2016年5月31日火曜日

相模原市:道保川公園

日曜日。天気も程々に良く、かといってそれほどの暑さでもなく、先ずは絶好のスケッチ日和でした。
アジサイは咲き初めで、写真の株は花をつけていませんが、その手前のは花が咲きだしていました。スケッチではどの株にも花を咲かせました。

2016年5月30日月曜日

季節外れ

5月に台風がやってくるという。これも異常気象の兆しの一つでしょうか?長く続いた五月晴れもそろそろ一段落、という訳で庭の掃除をしました。咲き出した花2種。

2016年5月29日日曜日

開通1周年の北陸新幹線

金沢ブームはまだ健在のようだった。北陸新幹線が開通したのが去年の3月14日なので丁度1年を過ぎたところ。去年もこの時期に金沢に来たのだった。駅頭の混雑は去年のそれとほとんど変わらない。新幹線ブーム健在なりといった感あり。外国人の数も目立って多いような気がする。北風が強く冷たいが、その分快晴の青空が駅頭に拡がっていた。少し駅から離れて撮ったので目立たないが、人と車がごった返していた。桜の蕾も固く身をすくめたままだった。

故郷の訛り懐かし停車場の・・・、とまでは言わないが金沢弁は懐かしい。だが気持ちの切り替えができていないと、すうっ、と方言は口に出せないものだ。例えばタクシーに乗っても、タイミングよくここで生まれ育ったのだと言い出せないことがある。一旦、タイミングが狂うと運転手の喋る金沢の方言はすべて分るのだが、それに相槌を打つのに困る。金沢弁で答えればよいのだがそれがスムースに出てこない。というより出せないといった方が正しいかもしれない。気恥ずかしいようなこそばゆいようなエトランゼ感覚に襲われる。よほど慣れてくると出てくるようになるがタクシーに乗っている時間は、金沢という土地、空気に馴染むにはあまりにも短い。それくらいコンパクトな街なのだ。幼友達と会えば、瞬時にして金沢人の世界に戻れるのだが・・・。

2016年5月26日木曜日

桂 歌丸

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久し振りの落語鑑賞!

朝日名人会の5月公演は桂歌丸師匠のお馴染み、挑戦中の古今亭円朝作「塩原多助一代記」ー多助の出世の場、を中締めにして柳谷小里ん、立川生志、柳谷喬太郎がトリを務めました。歌丸が笑点の司会を降りることになり、いよいよ元気なところを見る機会が減りそうで、有楽町まで出掛けました。車椅子に酸素ボンベを欠かせないという話とは裏腹に元気な声で口演を終えて何だかホッとしました。でも出囃子は幕を下ろしたままで、幕が開くと歌丸は関西落語では使うが東京では使わない文机のような(正式には何というのか?)のを前にしてちょこんと座っていました。まぁ元気で良かった。1936年生まれ。がんばれ歌丸!

2016年5月23日月曜日

澤田瞳子:「孤鷹の天」

澤田瞳子の著書への挑戦、第2冊目。天平時代のお話。律令制政治がようやく軌道に乗り始めた時期ではあるが、他方では国家事業として東大寺や薬師寺といった大きな寺院や仏像の建造が相次ぎ、日本の歴史上では最初の仏教文化の黄金時代を築いた時でもある。そこに孝謙天皇がその娘婿である淳仁天皇を嫌ってクーデターを起こし、2度目の天皇(称徳天皇)として返り咲く。この覇権争いが舞台だ。これは視点を変えると従来型の仏教教義に基ずく政治体制と律令制による儒教政治との争いともいえ、僧道鏡を信じた旧体制の巻き返しでもあった。それに巻き込まれていく儒教を学んで官僚になっていく有為な若者たちの運命を狂わせていく。いつの時代でも純粋な若者は学んだ学問に忠実でありたいと願い行動し、そして滅びていく。この若者群像を描いた歴史小説だった。日本では女性が天皇位についたのは8代あるのだそうですが、その内3代が天平時代だったというのも不思議なことだ。

2016年5月19日木曜日

NHKでの若冲に関する特集の放映が続いて、これは混むぞ!と覚悟を決めて金曜日20時までの開館を頼りに上野の都美術館に出掛けました。夕方到着にしようかとも思ったがそれでは現役の方々の迷惑にもなりそうで、夕方の端境時を狙って15時半到着、16時過ぎの入館を想定して出掛けたが甘かった。到着すると行列は芸大の奏楽堂まで伸びていてそこで折り返していた。係りの人の持っている看板には160分待ちとあった。それでも1時間20分ほどで入館できました。ヤレヤレ。館内ももちろん大混雑で係りの人が前に進むよう促す声が煩くて興ざめ・・・。

内容は勿論期待通りの素晴らしさだった。先ごろ読んだ澤田瞳子の「若冲」で描かれた若冲の心境を思い出しながら鑑賞できた。最晩年の作「蓮池」や最も多くの作品を残した群鶏図が圧倒的な迫力で見事だった。

伊藤若冲展

NHKでの若冲に関する特集の放映が続いて、これは混むぞ!と覚悟を決めて金曜日20時までの開館を頼りに上野の都美術館に出掛けました。夕方到着にしようかとも思ったがそれでは現役の方々の迷惑にもなりそうで、夕方の端境時を狙って15時半到着、16時過ぎの入館を想定して出掛けたが甘かった。到着すると行列は芸大の奏楽堂まで伸びていてそこで折り返していた。係りの人の持っている看板には160分待ちとあった。それでも1時間20分ほどで入館できました。ヤレヤレ。館内ももちろん大混雑で係りの人が前に進むよう促す声が煩くて興ざめ・・・。

内容は勿論期待通りの素晴らしさだった。先ごろ読んだ澤田瞳子の「若冲」で描かれた若冲の心境を思い出しながら鑑賞できた。最晩年の作「蓮池」や最も多くの作品を残した群鶏図が圧倒的な迫力で見事だった。

2016年5月17日火曜日

池袋:明日館

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抜けるような青空が拡がり、一昨日までの名古屋の雨がウソのようだった。

羽仁吉一、もと子夫妻の自由学園が最初に建てた自由学園。名古屋で見てきた旧帝国ホテルを設計したフランク・ロイド・ライトがその教育思想に共鳴して設計したといわれている。ライトの弟子だった遠藤新がその仲介をしたと伝えられている。学校そのものはひばりが丘に移転して今は、卒業生の事業や結婚式場として使われている。左右対称の校舎は落ち着いた安定感をわれわれに与えてくれる。桜が街路樹として立派に成長しているが今は葉桜。垣根のバラが盛りと咲いていた。この垣根も凝った作りの鉄製であった。メインの建物の柱が作るノコギリ状の影が素晴らしい。その遠藤新はひばりが丘の校舎群をすべて統一した思想の下で作っていて昨年学園祭でスケッチしてきた。見た目では同じ設計となっている。

2016年5月14日土曜日

名古屋観光ルートバス

名古屋市内観光も初めて。観光ルートバス「メーグル」。1日乗車券は500円。豊田産業技術館、ノリタケの森などは本当に名古屋駅のそばなのに緑で一杯。文化の道エリアや名古屋城も大きい。最後は名古屋駅。リニアモーターカー駅を地下に収容する新名古屋駅ビルが完成間近いらしい。名古屋の味噌カツも初体験した。

2016年5月13日金曜日

2016年5月12日木曜日

明治村

名古屋駅から名鉄で20分で犬山へ。そこから車で10分ほどの山間に明治村はあった。入鹿池(いるかいけ)という大きな農業灌漑用の池と一体となって高低差をうまく利用しながらゆったりと60棟ほどの明治時代の建築物や京都市電などが配置されていた。旧帝国ホテルの本館ロビーの重厚な建築は素晴らしかった。巡っていく間に、昔ここで物理や化学などの授業を受けたに違いないと思わせる旧制四高の校舎と対面してビックリ。

2016年5月3日火曜日

裏磐梯へ(3)

最終日も近くの沼にスケッチ。

散歩コース

家の周辺で散歩するコースにはいくつかあるが、今日はお目当てがあるので選択に迷いようがない。家から5分ほどの公園に毎年、確認しに行く春の花がある。今年も立派に咲いていた。それはキンランとギンラン。今年は、気のせいかギンランがたくさん出ているような気がした。今となってはこんな貴重な山草が近所の公園で見られというのはなんと贅沢なことだろうか?

2016年5月1日日曜日

裏磐梯へ(2)

一夜明けた朝は素晴らしい天気。雲一つない。風もなく尾度ほどの暖かさが体を包む。休暇村の周りの散策路にはまだ雪が残り、その雪解けの沼のようなところに水芭蕉が一面に白い花を咲かせていた。桜がまだ蕾なのに・・・このアンバランスは理解できない。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...