2022年5月30日月曜日

高田郁:「あきない世傳金と銀」(6)~(8)

 3人目の夫にも先立たれ、それでも夫との約束を遂に果たした幸は、番頭と手代、そして着付けの上手な女衆お竹と4人で江戸店への門出を果たす。江戸は大坂と違って古い因習をあまり持たず緩やかな組合を作って商いをすることができた。大阪と違い女主人も認められていて、ここでも創意工夫を大いに発揮して小さな店ながら大阪の本店と支店の合算をも凌ぐ1千文貫の売り上げを叩き出した。大阪では特例で3年限りの女店主が認められて7代目五鈴屋を名乗らせてもらっていたが、ようやく8代目は支店の支配人周助に養子で入ってもらい、9代目は前の本店の番頭で中凬を患いながらも経営指南役を務めてくれている治兵衛の一人息子の贒輔になってもらうことで大筋根回しも終わった。残る問題は妹、結のこと。健輔より2歳年上だが恋心を抱き続け、とある休日に浅草寺で打ち明けるが自分は手代、奉公人の身で主筋の養子になるわけにはいかないと断られ、身の振り様に悩む。そして思いもよらない事件が発生する。ここまでが8巻までのあらすじ。図書館が定期閉鎖していて続きが読めない、再開される6/1が待ち遠しい。

2022年5月22日日曜日

鎌倉便り:銭洗い弁財天

50年振りぐらいの銭洗い弁財天。こんなところだったか?急坂を登り、一息つきたくなるようなところにぽっかりと穴が掘られて、鳥居が建っている。ここが銭洗い弁財天だった。



洞穴を抜けて、社務所のさらに奥にまた大きな洞穴があって、この中の湧き水でお金を洗い、そのお金を使うとまた自分のところに戻ってくる、「金は天下の回り物」を地で唱える珍しい神社だ。

奥宮

正式には銭洗弁財天宇賀福神社という立派な名前の神社で、御神体は、体は蛇、頭は人の形をしていて水の神とされてい創建のいきさつについては次のような話が伝えられています。

境内内にある上の水神社

平安時代の終わり頃は世の中が乱れ、そのうえ飢饉が続いて人々の苦しみはひどく、目も当てられない有様でした。源頼朝は人々の命を救おうと日夜神や仏に祈っていましたが、巳の年の1185(文治元)年、巳の月、巳の日の夜に、夢にひとりの老人が現れ、
ここから西北の方に一つの谷があり、
きれいな泉が岩の間から湧き出ている。
今後この水を汲んで絶えず用い、
神仏を供養せよ。
自分はこのかくれ里の主の宇賀福神である。

境内内にある下の水神社

と言って姿を消しました。夢からさめた頼朝がすぐ家来をやってその場所を探らせると、確かに、岩の間から綺麗な水が湧き出ているのが見つかりました。
頼朝はさっそく石工に命じて穴ぐらを掘らせ、社を建てて宇賀福神をおまつりし、毎日その水を運んで供えたところ、天下は次第に治まり、人々は安楽な日々を送るようになった
といいます。
以上、(鎌倉市観光公式ガイドより}





2022年5月21日土曜日

高田郁:「あきない世傳金と銀」(1)~(5)

 武庫群津門村で塾を営んでいた父が急死し、一家は大黒柱と共に住まいもなくした。塾を貸していた庄屋の彦太夫の好意で母と妹を下女として住み込みを許されたが、姉の幸は大坂の呉服屋「五鈴屋」へ女衆として奉公に出された。そのとき9歳。大好きだった兄、一家の大黒柱の父を失くして、しかしその分強くなった幸。江戸時代の大坂での女性の地位は腹が立つほど低くかった。『五鈴屋』のお家さん富久さんに認められ、放蕩息子で嫁の来てのない4代目の後添えとして嫁ぎ、ご寮さんとなるが問題ありの4代目はもとより、商売のためなら冷酷無情な5代目も問題あり、やっと6代目の3男、智蔵さんと一緒になり、智蔵の理解のもとで商売に励む。知識を蓄え、知恵を絞って成果を上げるのが楽しくて仕方のない幸。今時のビジネス入門書のようにマーケッティングのことなど現役世代にもためになることが全編に散りばめられて読んでいて飽きない。4代目で倒産寸前の五鈴屋を安定して大きく育て上げ、智蔵と共に江戸店を出せそうなところまで持ってきた、そこで6代目の急死、波乱万丈の幸はそれでも着々と江戸店開設の準備を進める。いよいよ幸は江戸に向かう。全12巻の文庫本なかなか進まない。取り敢えず5巻までで1回、感想をアップすることにした。物事が実るには「縁と月日」が必要と説く前の番頭、治兵衛が経営指南役である。

2022年5月9日月曜日

国井桂:小説「夕凪の街 桜の国」

 最近封切られる映画「ツユクサ」の原作を読みたくて図書館で検索してみたが未購入だったので早速、購入をお願いした。その序に借りたのがこの本だった。広島の原爆を浴びた被災者のその後の話だった。そして本の奥書に映画「夕凪の街 桜の国」の脚本を基に小説化したものと分かった。と同時に作者国井桂さんは脚本家でもあり、小説家でもあること、この本の原作者はこうの史代という広島出身の漫画家であることも知った。「この世界の片隅で」もまた、このこうの史代の作品であることを知り、改めてこういう形であの広島の体験を書き残しつつある人がいることに感銘を受けた。自分は何を残したのだろうか?

2022年5月7日土曜日

鎌倉便り:御成小学校辺り

 市役所の隣にこんもりと茂った森のような一角がある。どんなところかな?と歩いていくと黒塗りの木の立派な門と同じ黒の板塀がずぅーと続いている。近付いていくと「鎌倉市立御成小学校」と、これまた風格のある墨書の表札?が掛かっていた。こんな小学校、国内でも珍しい、と思う。



この「鎌倉市立御成小学校」という字はここ鎌倉市に在住した高浜虚子の揮毫によるものだと言う。実はこの学校、わが孫娘の母校でもある。10年ほど前に運動会を応援するために来たことがあった。ただこの校門の記憶がとんとないのだ。直接運動場に別の入り口から入ったのだろうか?校内には、使用中の校舎以外に何やら由緒ありげな建物も建っている。

以前は鎌倉市の図書館だったとか?(不確かな情報だが)小学校の向かい側には門注所の跡地であったことを示す石碑が建てられていた。今でいう鎌倉幕府の裁判所跡ということになる。どうやらこの辺りは鎌倉時代の「霞が関」のような官庁街だったのだろうか?


吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...