2015年3月14日土曜日

北陸新幹線開通

今朝から北陸新幹線開通のニュースで沸き返っていた。それほどの大騒ぎすることでもないとは思うが、自分の故郷へのアクセスがこれまでに比べると格段に容易になるのはうれしい。来週には金沢に行く用事があって早速この恩恵を体験できるのはわくわくする気分だ。その時にはまた感想を書けるだろう。

2015年3月13日金曜日

池永 陽:珈琲屋の人々

昭和30年代、「3丁目の夕日」的な香りのするお話。レトロな珈琲屋をやっている男とそこに居つく猫の子のように出入りする女、この2人は同級生でいい年になっているのに何か曰くあり気。そこに出入りする来客を巡る話が段々にこの珈琲屋の店主の素性を解き明かしていく。危うい人生を渉る人々がこの店主の熱いコーヒーに心を溶かされ、人生の道を踏み外そうとする瀬戸際で救われる。この小説自体が佳い話と三文小説との境目のような危うさを持っているような気がした。ちょっと生意気か?

2015年3月9日月曜日

常盤新平ー遠いアメリカ展ー

町田市民文学館「ことばらんど」で1月から開催している展覧会にようやく行くことができた。この人の展覧会が何故町田で開かれることになったのか、不思議でならなかったが今回、展覧会を訪ねてようやくその謎の一端に触れることができた。氏は宮城出身で早稲田を苦学して出た後、早川書房に入り、その後、「遠いアメリカ」で直木賞を受賞。この青春時代から世に出るまでの自叙伝が「遠いアメリカ」だった。鬱々とした青春(無頼の)時代を親の仕送りでしのぎながらLIFEやペーパーバックスでアメリカに憧れ、ハンバーガーやコカコーラ、クリネックスといった単語に未知のアメリカの消費文化を思いやり憧憬を重ねてきた。氏が2013年(平成25年)1月22日、肺炎のため東京都町田市の病院で亡くなっていたとは不覚にも知らなかった。81歳没。我がブログを紐解くと2013年2月に「明日の友を数えれば」の読後感を書いていたが、当然全くその死を知らなかったことが判る。町田には晩年の20年を過ごしたということも。翻訳物では「ウォータゲート事件」などでも名高い。数々の随筆もの、やはり特に古き良きアメリカへの憧れを描いたものに独特の郷愁を感じる。この1月に展覧会を開いたという意味を感じてしまった。合掌!

2015年3月8日日曜日

ウグイス

今年もウグイスがやってきました。最初に気が付いたのは4日前、3月4日でした。2月の末ごろから気にしていたのですが聞き取れずにいました。毎年この頃にいつも確認できているのです。しかし今日のように寒い日には鳴き声は聞こえません。暖かい朝に啼いているのを聞くと本当に嬉しくなります。ですから2月でも暖かな日にはきっと鳴き声を聞くことができるのだと思います。今年は寒いと感じる日が多かったのでしょう。我がブログで「ウグイス」をキーワードにして検索すると殆んど3月の1ケタ台にウグイスのことを書いています。2月に聞いたと書いたのは2回しかありませんでした。「啓蟄」が3月6日ですから小鳥はもっと早く季節を感じ取ってやってくるのでしょうね。ひょっとしてウグイスは穴から出てきた虫を啄ばむためにこの頃にやってくるのかも、あるいは関東の気温が旧暦の二十四節気と合致しているのかもしれませんね。

2015年3月7日土曜日

熱海梅園

寒さに震えながら熱海の梅園に行ってみました。流石に春は早い。桜も5分咲き。梅は満開でした。ここで最後の1枚を描いて帰途に。

2015年3月1日日曜日

長谷川郁夫:「吉田健一」-2

吉田健一は1912年生まれで、承知の通り吉田茂と雪子の長男として生まれたが生後母雪子は単身赴任の茂の元、ヨーロッパに出掛けた。6歳まで母方の祖父である牧野伸顕に預けられた。学習院初等科に入学直後から父に従って青島、ロンドン、パリ、天津と転々し、1926年14歳で日本に戻り、暁星中学に転入、1930年卒業後、ケンブリッジ大学に入学し1931年3月、わずか1年で退学し日本に戻ってきた。しかしこの1年の大学生活で多くの学究と交わり、多くの本を読み、日本の伝統と文学に没頭すべきと考えての退学帰国であったらしい。父、茂は大いに落胆したらしい。外交官の道を放棄し、無頼ともいえる文学の道に進むと言い出した長男を前にしてそれは当然だったろう。祖父牧野伸顕は大久保利通の二男、岩倉遣欧使節団にも加わっていた明治維新から第1次大戦そしてその後は宮内庁内大臣として、時の政権と皇室との?ぎ役に徹したオールドリベラリストであった。吉田茂までを含め正に維新後の政治権力の中枢を歩んできた家系であったからだ。牧野は1949年なくなるが、晩年千葉柏市の住まいを茂が度々訪ね、教えを乞うたことが知られている。また憲法草案についてGHQと皇室との橋渡しにも尽力したことで知られる。

こういう背景もあり、吉田健一の著作や言動がその育ちを随所にさりげなく見せていることから興味の募る部分も多い。しかし若干19歳、著作もないのに文学を志すということの意味も判らないが健一は評論という道を選んだようだ。それしかない、必然の選択かもしれない。そして英米の著作の翻訳をしながら、日本の文学、哲学などの評論を通して自己主張を展開し始めたようだ。河上徹太郎を師とし小林秀雄、山本健吉、武田泰淳などと交わり次第に認知され出した。大半は銀座の長谷川という文士の溜まり場で酒を通しての付き合いだったようだ。1941年の開戦前後の混沌とした時代、父茂は大戦回避に向けた工作に奔走していた様子が活写されていて興味深かった。戦局が1942年のミッドウエー沖海戦で致命的な敗北を喫する辺りまで読み進んだがここでいったん返却しなくてはなるまい。ようやく全体の1/3、健一に召集令状が来るのか来ないのか、食糧難の中をなおも銀座で飲み歩く健一の先が読めない。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...