2016年9月30日金曜日
宮本 輝:「満月の道」(流転の海第7部)
大河小説、「流転の海」と付き合い始めて何年目だろうか、1981年から書き始めたというが私がこの小説に出会ったのはうんと後のことだ。それが今回は第7部だ。3部か4部の頃には確か6部で終わるという著者の方針を何処かで読んだような気がしたが、書き進むに連れ色んな書きたいことが湧き出てきて今回のあとがきには9部で完結すると著者が自ら書いているし、主人公松阪熊吾も齢67歳となり、人生も終盤に差し掛かってきたのでここは信じても良いようだ。父親らしい主人公熊吾の何と山っ気の多くって、しかし世間を見る目に優れ、勇猛果敢に身に降り掛かってくる事どもに関わり、性懲りもなく浮き沈みの多い人生を繰り返し生きる、魅力的な人物であることよ。そうした家庭環境の中で育っていく伸仁という遅くにできた一人息子(どうやら宮本輝その人がモデルとしか思えない)も今や高校生となり身長でも父を上回り、ある時母を守ろうとして柔道で鍛えた体力で父親を圧倒した。タイトルからするとこの家族にも満ち足りた平穏が訪れるという展開を想像したが、読み進むとこれから起こる波乱を予感させるような嵐の前の静けさみたいな展開になってきて驚いてしまった。これでは第8部で終わるはずがないぞ!やっぱり第9部まで行くようだ。
2016年9月23日金曜日
「数独」の続き(名前の由来)
「数独」の命名者は「数字は独身に限る」と考え(感じ)、数独と付けたという。その心は
「数独」は、9マスあるブロック9個の空いているところに、数字を埋めていくパズルですが、
・1ブロックの中のマスそれぞれに、1~9の数字がひとつずつ入らなくてはいけない。
・大きい正方形のタテヨコの並びにも、同じ数字が入ってはいけない。
というルールがあります。
以上のルールから、「数字が重なってはいけない」という意味の比喩で、「数字は独身に限る」ということになる、という判じ物のような名前の付け方ですね。
珍解説では、「あまりにもハマってしまって家族を蔑ろにしてしまうかもしれないから、「数独(数字)」は独身のときにやった方が良いですよ」
因みに、数独の組み合わせパターン数は当然ですが問題数に限りがありますね。しかし、その総数は何と、回転や反射や順列や名前を変更することなどの左右対称を考慮に入れると、54億7273万0538になるそうです。
オセロというゲームの名前も、シェイクスピアの「オセロ」から取っているらしい。(黒人と白人が出て来るからという思いつき)
この2つのゲームとも、日本発の命名ですね。しかも、オセロは1973年に長谷川吾郎さんという方が発表された正真正銘戦後生まれの日本発祥のゲームだと今回知りました。
「数独」は、9マスあるブロック9個の空いているところに、数字を埋めていくパズルですが、
・1ブロックの中のマスそれぞれに、1~9の数字がひとつずつ入らなくてはいけない。
・大きい正方形のタテヨコの並びにも、同じ数字が入ってはいけない。
というルールがあります。
以上のルールから、「数字が重なってはいけない」という意味の比喩で、「数字は独身に限る」ということになる、という判じ物のような名前の付け方ですね。
珍解説では、「あまりにもハマってしまって家族を蔑ろにしてしまうかもしれないから、「数独(数字)」は独身のときにやった方が良いですよ」
因みに、数独の組み合わせパターン数は当然ですが問題数に限りがありますね。しかし、その総数は何と、回転や反射や順列や名前を変更することなどの左右対称を考慮に入れると、54億7273万0538になるそうです。
オセロというゲームの名前も、シェイクスピアの「オセロ」から取っているらしい。(黒人と白人が出て来るからという思いつき)
この2つのゲームとも、日本発の命名ですね。しかも、オセロは1973年に長谷川吾郎さんという方が発表された正真正銘戦後生まれの日本発祥のゲームだと今回知りました。
2016年9月19日月曜日
真山 仁:「コラプティオ」
「コラプティオ」同名の小説が正に仕上げの最終稿を送る締め切り日、2011年3月14日の3日前に東日本大震災が発生したという皮肉。それから作者は原稿用紙で500枚に近い書き換えをして、このハードカバーの本は出版されたという。奥付を見ると2011年7月30日となっていた。この本では、執筆時の民主党政権の迷走ぶりを目の当たりにして、原発を国際的に売り込むことで日本再生を図ろうという壮大な夢を実現し、国民に夢と希望を与えるという政治の役割を提案型で示した政治小説でした。小説に出てくる救世主的な政治家は誰をモデルにしたものだろうかと頭を捻りながら読み進める所はある意味で、先日まで読んでいた山崎豊子の小説を思い出させるような時代性を持ち、今の日本についても思いを馳せざるを得ない説得力を持って迫ってくる。因みに「コラプティオ」とはラテン語で『疑獄』の意味だそうです。アフリカのウラン鉱脈発見とその採掘権をめぐる疑惑を底流にした小説だったのですが、そういえば先頃、日本主導のアフリカ開発会議(TICAD)が開かれ、<a href="http://www.jica.go.jp/topics/feature/160822.html">安倍内閣は多額の援助</a>を表明した。何となく平仄が合わさるような話でもあり、自民党の党則を総裁任期2期を3期以上の再選もあるように変えようとか長期独裁政権への歩みを感じるにつけ・・・昨今の話題を先取りしたような時代の嗅覚が凄い、と思いながら読み終えた。
2016年9月15日木曜日
数独にハマる
最近数独にハマっている。といってもほんの数日のことで、いつまで続くとも思えない。何しろ時間がすごくかかる。1問解くのに初級クラスでも30分程度かかってしまう。マニアの方々には笑止の極みでしょうね。
ところでハマったといいながら、このパズルと取り組みながらこの「数独」って一体どういう意味でつけられたのだろうか?との思いが頭から離れない。で、調べました。ウィキペディアによると、
日本のパズル制作会社ニコリが発行するパズル雑誌『パズル通信ニコリ』をはじめ同社の関与する媒体で使用される名称とのことだが、世界的な流行は、1997年に59歳のニュージーランド人ウェイン・グールド(英語版))が日本の書店で数独の本を手にとったことに始まる。グールドは6年後、数独をコンピュータで自動生成するプログラムを作る事に成功。イギリスの新聞・タイムズに売り込み、2004年11月12日から Su Doku の名で連載を開始し」、それ以降「数独」=Su Dokuが世界的に使われるようになったとのことだ。元々この種のパズルは世界のあちこちにあってそのルーツは1892年のフランスの新聞に掲載されたものが記録に残っているらしく、英語名では「number place」「figure place」の呼称で用いられているらしい。しかし、2006年に始まった世界選手権ではWorld Sudoku Championship(世界数独選手権)と銘打っているらしいが公式な日本語名は、商標の関係もあり「世界ナンプレ選手権」となっている」と、中々ややこしい。ナンプレはナンバープレースの略らしい。そして、ここが最も知りたかったのが「数独という命名の由来」だった。
日本にこのパズルが紹介されたのはニコリの『月刊ニコリスト』1984年4月号で、「数字は独身に限る」の題で初めて紹介された。命名者はニコリ社長の鍜治真起である。そして1988年ニコリから単行本『ペンシルパズル本6・数独1』が刊行された際、ニコリによる公式な略称として「数独」という名称が使用され始めたという。今から僅か28年前というから驚く。最初に書いたようにその本を1997年にニュージーランド人が日本で再発見して、Su Dokuという名前が世界を一人歩き始める訳だ。数奇な運命といえば言える。それにしても「数字は独身に限る」というフレーズそのものも謎に満ちているではないか!?
ところでハマったといいながら、このパズルと取り組みながらこの「数独」って一体どういう意味でつけられたのだろうか?との思いが頭から離れない。で、調べました。ウィキペディアによると、
日本のパズル制作会社ニコリが発行するパズル雑誌『パズル通信ニコリ』をはじめ同社の関与する媒体で使用される名称とのことだが、世界的な流行は、1997年に59歳のニュージーランド人ウェイン・グールド(英語版))が日本の書店で数独の本を手にとったことに始まる。グールドは6年後、数独をコンピュータで自動生成するプログラムを作る事に成功。イギリスの新聞・タイムズに売り込み、2004年11月12日から Su Doku の名で連載を開始し」、それ以降「数独」=Su Dokuが世界的に使われるようになったとのことだ。元々この種のパズルは世界のあちこちにあってそのルーツは1892年のフランスの新聞に掲載されたものが記録に残っているらしく、英語名では「number place」「figure place」の呼称で用いられているらしい。しかし、2006年に始まった世界選手権ではWorld Sudoku Championship(世界数独選手権)と銘打っているらしいが公式な日本語名は、商標の関係もあり「世界ナンプレ選手権」となっている」と、中々ややこしい。ナンプレはナンバープレースの略らしい。そして、ここが最も知りたかったのが「数独という命名の由来」だった。
日本にこのパズルが紹介されたのはニコリの『月刊ニコリスト』1984年4月号で、「数字は独身に限る」の題で初めて紹介された。命名者はニコリ社長の鍜治真起である。そして1988年ニコリから単行本『ペンシルパズル本6・数独1』が刊行された際、ニコリによる公式な略称として「数独」という名称が使用され始めたという。今から僅か28年前というから驚く。最初に書いたようにその本を1997年にニュージーランド人が日本で再発見して、Su Dokuという名前が世界を一人歩き始める訳だ。数奇な運命といえば言える。それにしても「数字は独身に限る」というフレーズそのものも謎に満ちているではないか!?
2016年9月7日水曜日
新聞の連載小説
新聞にはどこのものにでも必ず、連載小説が掲載されている。結構面白いものがあるし、著名な作家が登場している。新聞をデジタル版に切り替えたことで、面白いことがわかった。と言うのは日刊紙であるから当然連載小説も毎日読まないと筋が分からなくなるし、まだるっこしいところがある。ところがこれがデジタル版になると、過去の分が全て1からネット上で読むことができるのだ。これだと筋を忘れても、どこまでも遡って読むことができる。今回は初めての購読だったが、過去の連載物も含めて通して読むことができて大変重宝している。おかげで大好きな葉室麟の「津軽双花」を1から全て読むことができた。今は、林真理子の「我らがパラダイス」が連載中で、これも電子版を取り始めたのは6月だったので既に160回目程まで進んでいたが、最初から順に全て読むことができた。それも昨日で現在にまで追いついてしまい、まだるっこしいレベルに達してしまった。が、それでもいつでも遡ってでも読めるのは有難い。もう一つ、週刊誌のサンデー毎日も全編読めるのも楽しい。電車の中でもどこででも・・・すごく得した気分で快適だ。以前紙で購読していた時、連載小説読みたさに旅行中の新聞を全部取り置いてもらって帰ってから順番に読んだこともあったがあのような不自由さを感じることは今や起きないのだ。旅行中の新聞ストップや再開の連絡なども必要なくこれもまた便利な事この上ない。
2016年9月2日金曜日
山崎豊子:「沈まぬ太陽」(会長室編・下)
5冊目の最終編。巨悪のゴールに迫ったかと思えば、更にその奥に巨悪の巣窟、という感じで戦う相手は大物になっていく。そして時の首相から三顧の礼出迎えられたはずの外部から招聘された会長と恩地の前に立ちはだかったのが何と利権につながる時の首相その人であった。会長は去り、恩地に再びナイロビ支店長への転勤辞令が下りる。それでも彼は会社の理不尽が続く限り会社をやめることなくナイロビへと赴任して終わる。ただ最後の救いは司直の手が同時に伸びて、一寸の光明を感じさせはするのだが・・・・巨悪は滅びない、という言葉が頭から離れない。
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吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
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この日もぽかぽか陽気の暖かな日だった。 多摩モノレールで立川の1つ手前、「柴崎体育館前」で下車して高架から下に降りると、もうそこが根川親水公園だった。湧水が作り出す小川を整備して遊歩道に仕立ててくれている。絶好のスケッチポイントだった。驚いたことに大通りのすぐ脇の高木にアオサギ...
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NHKカルチャーセンター主催の水彩画講座(2時間*3回)の第一回を受講しました。これまで無料のZOOMアプリを使って家族やNPOのリモート会議を何回か体験してきました。また、NPOで開催しているシルバーの人たちに向けてZOOM会議の受講の仕方、主催の仕方などの講義をしてきました...