大坂なおみ選手のビデオでコーチのサーシャ・ベイジンがコートサイドで盛んに話しかけ励ましているシーンがあった。いつからコーチが試合中にコートサイドのベンチまで言って話しかけられるようになったのだろう。
杉山愛さんのコラムにあった解説から引用すると「女子のツアー大会では「オンコート・コーチング」を取り入れているのをご存じでしょうか。これは、チェンジエンドやセット間にコーチのアドバイスを受けられるというもの。グランドスラムや男子ツアーでは採用されていませんが、とても面白い試みだと思います。選手は事前にコーチの名前を申請しておき、呼びたいときはチェンジエンド時に主審に申し出て、主審のアナウンスによってコーチがコートに入ります。呼ぶことができるのは一人に限られ、ダブルスでも一人です。」とあった。全米オープンはグランドスラムの大会だからそういうことは勿論許されていない。セリーナ・ウィリアムズ選手のイライラのそもそもの切っ掛けはスタンドに居る彼女のコーチから手振り身振りでコーチングを受けたという注意に対し、そんなものは受けていないという反論から始まったようなものだ。それくらい厳しいルールなのだ。
話はルールのことではない。サーシャ・ベイジンコーチが話しかけている言葉でわずかに理解できたフレーズが「wishful thinking」だった。落ち込んでベンチでうつむき、タオルで顔を隠している大坂選手に向かって繰り返し励ます姿だった。positive thinking はよく聞くがwishful thinking はあまり聞かない。どういう違いがあるのだろうか?
答え、wishuful thinking は「希望的観測、願望的思考」とあった。「願望的思考」がぴったりだろう。「こういう展開になったら良いのになぁ」とか「あのイメージで攻めればうまい展開に持ち込めるのではないかなぁ」とかそんなイメージだろうか?そういうイメージを描きながらプレーする必要性を説いていたのだ。これなら我々のテニスにも使えるかも。というか、それにすがってプレーをしているということか!
2018年9月18日火曜日
2018年9月17日月曜日
カズオ・イシグロ:「日の名残り」
言わずとしれた昨年のノーベル文学賞受賞作家の作品の一つ。読み始めると、何だイギリスの名門貴族の執事を務めてきたスティーブンスの「品格とはなにか」という話みたい。しかし何か惹かれるものがあって読み進んでいくと、名門貴族ダーリントン卿とそのお屋敷、ダーリントン・ホールが舞台、そこでスティーブンス執事が雇った一人の女中頭ミス・ケントンと46時中、真剣に向き合う。ダーリントン卿がナチの台頭、第2次事世界大戦を通してナチへの協力者だったとの批判のうちに落ちぶれていく、しかし変わることないダーリントン卿への敬愛、有能な女中頭ミス・ケントンとの多くの角逐を良い思い出として懐かしむ、老いたる執事スティーブンス。新しいダーリントンホールの持ち主になったアメリカ人ファラディから与えられた5日間の休暇に美しいイギリスの農村地帯を旅しながらこれらの様々を回想し独白する。全編を通してミス・ケントンへの想いが強く伝わってくる、ほろ苦い最高に有能だった執事の回顧録、として読ませる作品だった。あまり見てはいないのだがNHKテレビで放映されている『ダウントン・アビー 華麗なる英国貴族の館』を見てみたくなった。
パワハラ、セクハラ:不可解なこと
最近のスポーツ界には不可解な**ハラ問題が続出している。その最たる不可解さが2つ続けて起きた。
【一つ目:体操の宮原選手を巡るパワハラコーチ解任、それを弁護する宮原コーチからでた協会側への逆パワハラ告発】
体操の宮原選手を大勢の目の前で平手打ちする専任コーチ、これをコーチ本人も認め解任処分されるまでの経緯は不可解でも何でもなく、日本のスポーツ界に厳然と存在するスポ根(根性を入れて死ぬ気でやれ!)こそが勝利の方程式的訓練法を誇るコーチ、監督勢力への告発だなぁと納得していたのだが、パワハラを受けてきた宮原選手とその親から「コーチへの弁護、このコーチの元でしか選手生活を続けられない」という主旨の記者会見を見てから不可解が始まり、次の会見では「暴力を振るうコーチから離れたがらない宮原選手への高圧的な説得は説得の域を超えたパワハラだ」と逆パワハラ告発を始めて、不可解さは頂点に達した。一体、宮原選手の心中はどうなっているのだろうかと。このことを理解するのに助けとなる投稿をネットで見た。それは「ストックホルム症候群」というもので説明しようとしたものだった。簡単な要約によると「誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。 ストックホルムシンドローム。 1973年にストックホルムで起きた人質立てこもり事件で、人質が犯人に協力する行動を取ったことから付いた名称」というものらしい。真相はどうなのか分からないがなんとなくわかったような気にさせられはする。パワハラの難しさ、深刻さ、解決の難しさが垣間見える。しかし、どう考えてもビンタをするコーチングなどコーチングの範疇には入らないことは確かだ。その反面教師のような事象が、米国で起きた。大坂なおみ選手とコーチ、サーシャ・ベイジンの関係だ。このドイツ人コーチはまだ33歳の若さではじめてのコーチに就任、それまではヒッティングパートナー(単なる選手の打ち合いの相手でコーチングをする立場にはない人)だったのだが名選手のヒッティングパートナーを務めながら、一流のコーチのコーチング技術も学んできていたのだろう。「なおみならできる、少し前向きに考えよう」、「強打は必要ない、しっかり余裕を持って打ち返そう」と励まし続けてきた結果が今回の全米オープンテニス優勝への未知を切り開いたようだ。勿論それ以前に7kgの徹底した減量でしなやかなフットワークを身に付けることも併せておこなったというから見事だ。これがコーチの仕事であろう。しかし、その決勝戦で起きたもう一つの事件も実は大いに不可解だったのだ。
【二つ目:全米オープンテニス決勝でのセリーナ・ウィリアムズ選手がどうしてあれほど審判へ執拗な抗議を繰り返したのか?】
その全米オープンテニス決勝をダイジェストで見ていたのだが、自分のここぞというプレーに倍返しのようなショットを返され、こんな筈ではないのに・・・という思いが自分への怒りへと向かったところまでは理解できるような気がしていたが、審判への八つ当たり、暴言がどんどんエスカレートし、遂に1ゲーム無条件負けのペナルティを受けてしまった。どんな暴言を吐いたのか言葉が聞き取れないのでわからないのだが、どうやら、女性に対する差別だ、セクハラだと審判に抗議していたらしいのだ。さあ、解らなくなりました。何か差別みたいなものがあったのだろうか、それはなんだろう?と。「どうやら、男子選手が自分の吐いた暴言程度のことはよく目にするが容認されている、自分にはなぜそんな厳しい裁定をするのか!」という意味のことを言って怒り狂っていたのだそうだ。(本当かどうかはわからない)それも勝手な理屈だとは思うが、遥洋子はこの2つの事件を対比して独特の解釈(見解?)を加えているのを読んで少し理解が進んだような気がした。遥洋子は男性コーチの暴力に飲まれ、屈服する日本女性と他方、怯まぬセリーナの心の強さ、試合後には涙ぐむ大坂なおみを抱きしめるセリーナに「あんたに惚れた」と書かせたようだ。詳細は「セリーナ、あんたに惚れた」。いささか強引な内容になっているが宮川選手については心理学的な側面からのカウンセリングが必要なほどの長い時間の酷い環境が見えてくるようで恐ろしい。
【一つ目:体操の宮原選手を巡るパワハラコーチ解任、それを弁護する宮原コーチからでた協会側への逆パワハラ告発】
体操の宮原選手を大勢の目の前で平手打ちする専任コーチ、これをコーチ本人も認め解任処分されるまでの経緯は不可解でも何でもなく、日本のスポーツ界に厳然と存在するスポ根(根性を入れて死ぬ気でやれ!)こそが勝利の方程式的訓練法を誇るコーチ、監督勢力への告発だなぁと納得していたのだが、パワハラを受けてきた宮原選手とその親から「コーチへの弁護、このコーチの元でしか選手生活を続けられない」という主旨の記者会見を見てから不可解が始まり、次の会見では「暴力を振るうコーチから離れたがらない宮原選手への高圧的な説得は説得の域を超えたパワハラだ」と逆パワハラ告発を始めて、不可解さは頂点に達した。一体、宮原選手の心中はどうなっているのだろうかと。このことを理解するのに助けとなる投稿をネットで見た。それは「ストックホルム症候群」というもので説明しようとしたものだった。簡単な要約によると「誘拐事件や監禁事件などの被害者が、犯人と長い時間を共にすることにより、犯人に過度の連帯感や好意的な感情を抱く現象。 ストックホルムシンドローム。 1973年にストックホルムで起きた人質立てこもり事件で、人質が犯人に協力する行動を取ったことから付いた名称」というものらしい。真相はどうなのか分からないがなんとなくわかったような気にさせられはする。パワハラの難しさ、深刻さ、解決の難しさが垣間見える。しかし、どう考えてもビンタをするコーチングなどコーチングの範疇には入らないことは確かだ。その反面教師のような事象が、米国で起きた。大坂なおみ選手とコーチ、サーシャ・ベイジンの関係だ。このドイツ人コーチはまだ33歳の若さではじめてのコーチに就任、それまではヒッティングパートナー(単なる選手の打ち合いの相手でコーチングをする立場にはない人)だったのだが名選手のヒッティングパートナーを務めながら、一流のコーチのコーチング技術も学んできていたのだろう。「なおみならできる、少し前向きに考えよう」、「強打は必要ない、しっかり余裕を持って打ち返そう」と励まし続けてきた結果が今回の全米オープンテニス優勝への未知を切り開いたようだ。勿論それ以前に7kgの徹底した減量でしなやかなフットワークを身に付けることも併せておこなったというから見事だ。これがコーチの仕事であろう。しかし、その決勝戦で起きたもう一つの事件も実は大いに不可解だったのだ。
【二つ目:全米オープンテニス決勝でのセリーナ・ウィリアムズ選手がどうしてあれほど審判へ執拗な抗議を繰り返したのか?】
その全米オープンテニス決勝をダイジェストで見ていたのだが、自分のここぞというプレーに倍返しのようなショットを返され、こんな筈ではないのに・・・という思いが自分への怒りへと向かったところまでは理解できるような気がしていたが、審判への八つ当たり、暴言がどんどんエスカレートし、遂に1ゲーム無条件負けのペナルティを受けてしまった。どんな暴言を吐いたのか言葉が聞き取れないのでわからないのだが、どうやら、女性に対する差別だ、セクハラだと審判に抗議していたらしいのだ。さあ、解らなくなりました。何か差別みたいなものがあったのだろうか、それはなんだろう?と。「どうやら、男子選手が自分の吐いた暴言程度のことはよく目にするが容認されている、自分にはなぜそんな厳しい裁定をするのか!」という意味のことを言って怒り狂っていたのだそうだ。(本当かどうかはわからない)それも勝手な理屈だとは思うが、遥洋子はこの2つの事件を対比して独特の解釈(見解?)を加えているのを読んで少し理解が進んだような気がした。遥洋子は男性コーチの暴力に飲まれ、屈服する日本女性と他方、怯まぬセリーナの心の強さ、試合後には涙ぐむ大坂なおみを抱きしめるセリーナに「あんたに惚れた」と書かせたようだ。詳細は「セリーナ、あんたに惚れた」。いささか強引な内容になっているが宮川選手については心理学的な側面からのカウンセリングが必要なほどの長い時間の酷い環境が見えてくるようで恐ろしい。
2018年9月4日火曜日
伊吹有喜(ゆき):「彼方の友へ」
初お目見え。8月に相応しい本だった。
「友よ、最上のものを」
戦中の東京、雑誌づくりに夢と情熱を抱いて――
平成の老人施設でひとりまどろむ佐倉波津子に、
赤いリボンで結ばれた小さな箱が手渡された。
「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった――
『彼方の友へ』を読み、モデルが気になった。実業之日本社が明治頃から出版してきた少女向けの雑誌「少女の友」、思い焦がれた編集室主筆有賀憲一郎の実在モデルは内山基主筆、コンビを組んで一世を風靡した画家長谷川純司は中原淳一とわかった。2009年3月に『少女の友』創刊100周年記念号が出、それに触発された作者、伊吹有喜が『彼方の友へ』を2017年に書いたとのこと。小学校しか出ていない主人公佐倉ハツ(初津子)が錚々たる学歴エリートたちの編集室に放り込まれ、「君、辞めてくれないか」と言われた有賀主筆にある事をきっかけに手ずから自分の持つ全てを教えこまれ、戦中戦後の雑誌を廃刊から守り抜く。戦前、戦中、戦後という激動の時代に、情熱を胸に生きる波津子とそのまわりの人々をあたたかく、生き生きとした筆致で描く秀作。佐倉の父がスパイだったらしく、雑誌社に送り込まれるまでのところが若干無理があるような気もしたが・・・佐倉波津子にもモデルがあるのかどうかは分からなかった。居てほしい気がするのだが・・・。出だしの老人施設で夢うつつの中で自分の人生を映画を見るように振り返る、そして最後にまた、施設に訪ねてくれた懐かしい人の玄孫の口から懐かしい人々の消息が謎解きのように明らかになっていく、映画によく取られる手法だ。
「友よ、最上のものを」
戦中の東京、雑誌づくりに夢と情熱を抱いて――
平成の老人施設でひとりまどろむ佐倉波津子に、
赤いリボンで結ばれた小さな箱が手渡された。
「乙女の友・昭和十三年 新年号附録 長谷川純司 作」。そう印刷された可憐な箱は、70余年の歳月をかけて届けられたものだった――
『彼方の友へ』を読み、モデルが気になった。実業之日本社が明治頃から出版してきた少女向けの雑誌「少女の友」、思い焦がれた編集室主筆有賀憲一郎の実在モデルは内山基主筆、コンビを組んで一世を風靡した画家長谷川純司は中原淳一とわかった。2009年3月に『少女の友』創刊100周年記念号が出、それに触発された作者、伊吹有喜が『彼方の友へ』を2017年に書いたとのこと。小学校しか出ていない主人公佐倉ハツ(初津子)が錚々たる学歴エリートたちの編集室に放り込まれ、「君、辞めてくれないか」と言われた有賀主筆にある事をきっかけに手ずから自分の持つ全てを教えこまれ、戦中戦後の雑誌を廃刊から守り抜く。戦前、戦中、戦後という激動の時代に、情熱を胸に生きる波津子とそのまわりの人々をあたたかく、生き生きとした筆致で描く秀作。佐倉の父がスパイだったらしく、雑誌社に送り込まれるまでのところが若干無理があるような気もしたが・・・佐倉波津子にもモデルがあるのかどうかは分からなかった。居てほしい気がするのだが・・・。出だしの老人施設で夢うつつの中で自分の人生を映画を見るように振り返る、そして最後にまた、施設に訪ねてくれた懐かしい人の玄孫の口から懐かしい人々の消息が謎解きのように明らかになっていく、映画によく取られる手法だ。
2018年9月2日日曜日
阿川大樹:「終電の神様」
終電・・・・現役時代に時たま終電を意識させられたことがあった。特に自宅が多摩地区にあっての本社勤務時代は都心で飲み過ごしたり、時には残業が終わらなくて。そんな終電に乗り合わせた時に事故に遭遇したら、と考えるとゾッとする。東京の1本の電車には10両編成としても2~3,000人の人が乗り合わせている。終電間際の電車は朝の通勤ラッシュのように混むのが通常だ。その同じ電車に乗り合わせたに人たちの抱えている色んな人生の局面を切り取った7つの掌編からなっている。納期の迫ったプロジェクトに苦しむITエンジニア、はたまた痴漢が背後に忍び寄る、親の死に目に間に合わせたいのに動かなくなった電車の中で親の生き様を思い出す、一寸感動的な話もあって面白かった。地方生活しか経験していないと一寸実感が伴わないかもしれないが・・・。
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吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」
横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...
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2017年の夏、水をやり過ぎたのかみるみる萎れていった鉢。どうなることかと元気そうな株以外は全部、泣く泣く外して生き永らえた。相模原に引っ越して気長に付き合ってきた甲斐があって去年夏ごろから生気が帰ってきていた。水溶液の肥料などをやりながら時に日光浴させてきたら3年振りに開花した...
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NHKカルチャーセンター主催の水彩画講座(2時間*3回)の第一回を受講しました。これまで無料のZOOMアプリを使って家族やNPOのリモート会議を何回か体験してきました。また、NPOで開催しているシルバーの人たちに向けてZOOM会議の受講の仕方、主催の仕方などの講義をしてきました...