2020年8月30日日曜日

テレビドラマ:「ダウントン・アビー」

イギリスで2010年から2015年にわたって放映されたこのドラマは世界各国で放映され、日本ではNHKで副題として「華麗なる英国貴族の館」が付けられてBSで放映されてきた。そのシーズン6が終に先週土曜日に終わった。シーズン1は1912年からタイタニック号の悲劇が伝えられる。それから第1次世界大戦がはじまり、スペイン風邪の大流行と共に第1次世界大戦が終焉、最終回のシーズン6は1925年。時代は大きく変革し、労働者階級の台頭、貴族社会における経済的な困窮でカントリーハウス(貴族の農園とその領地の城館からなる荘園のような物)は手放すしかない、使用人も解雇せざるを得ないような社会環境に激変していく。その中でダウントンアビー家は極めて開明的て3人姉妹がそれぞれの立場で幸せを求めていく。長女メアリーは跡取り意識が強く、結婚した中流階級出身のマシューとは何かと軋轢も多かったが、次第に農園経営にも力を入れるようになるが、交通事故で死去。シーズン6では自動車レーサーのヘンリーと結婚する。次女イージスは長女と仲が悪かったり、不運が重なり中々良縁に恵まれなかった。その中でロンドンの雑誌への投稿をキッカケに出版社の経営に関わる。交際相手のバーティーが偶然親戚の侯爵位を継ぐことになり最終回で結婚する。3女シビルは使用人運転手ブランソンと駆け落ち同様の結婚し、おまけにそのブランソンはアイルランド出身でアイルランド独立を支持する社会主義に共鳴していて・・、と話題に事欠かない。シビルは産後に妊娠中毒症で急死し、その娘にもシビルと名付け、ブランソンは次第にグローリー家になくてはならない人になっていく。というようにグランサム伯爵家の人たちは時代の影響を受けて結果的には時代と共に生きることになり、当時時代についていけず多くの貴族が落ちぶれていく中で、このグランサム伯爵家は賢明にこの困難な時代を切り抜けてハッピーエンドにしてある。ダウントン・アビーの館には多くの使用人が働いている。執事カーソンは当主の絶大な信頼を得ている伝統的な名執事でその統率の下、多様な人たちがきわめて個性豊かでその人たちの生き様、その考えや行動からも時代が色濃く表現できていて飽きることなく見終わった。例えば副執事のトーマスはLGBTで悩みを抱え、侍女にはDVで苦しめられた経験者がいたり、無学の調理人助手デイジーは勉強好きでいろんな経験を積みながら徐々に世間の動向に自分の意見を述べるように成長していくなど・・・。実に面白いドラマだった。正に「ダウントン・アビーロス」状態だ。実は今年2月頃、このドラマの映画版が公開されていて観に行きたいと思っていたらコロナ禍で行けずじまいだった。惜しいことをしたと思っている。劇場版のDVDを借りてくるという手が残っているができれば映画館で観たいものだ。

 

2020年8月29日土曜日

有川 浩:「クジラの彼」

 自衛隊員の恋バナ6編、クジラは潜水艦のこと。いづれも野生時代という雑誌に連載されていたもの。空飛ぶ広報室関連での自衛隊取材の余禄かとお見受け。夏の夜に楽しむには適当な話とは言え、類似の話もここまで続くと些か食傷気味になるのは止むを得ない、というしかない。

2020年8月16日日曜日

村田沙耶香:「コンビニ人間」

 2016年の第155回芥川賞受賞作。純文学の基準がよく分からないがこんな面白い芥川賞受賞作を読んだのは初めてのような気がする。現代社会の象徴的な「コンビニ」を活き生きと描いている。どういうタイムスケジュールで動いているのか、そこで働く人たちの生態もよく分かる。そこに自分がどうも人間の顔をしているが人並みの振る舞いができないと分かっている古倉さんがアルバイトで勤め始め、マニュアルを一から教育され、何か人並みに振舞う基準を与えられたと感じて人間としてスタートしたかのように感じて、プライベートな時間もすべて翌日のアルバイトに合わせて体調を調整し、万全を尽くす。コンビニ人間の誕生だ。コンビニで接する社員や来客を通して人間をクールに観察し、取り入れられることは取り入れて人間らしく振舞い続ける。大学を卒業してからも就職はせず、ひたすらコンビニのアルバイト業にまい進する。そのうち、白羽さんという婚活のためにアルバイトに応募してきた中年男をひょんなきっかけで自宅に引き取る(本人は飼う、と称している)。あれほど打ち込んできたコンビニのアルバイト社員を辞めることになって生きる目標を失った古倉さんは白羽さんに勧められて就活に出かけるが、そこで時間調整に立ち寄ったコンビニが不慣れなバイトさんと人手不足でパニックに陥っているのを見かけて俄然本能が目覚めるかのように活躍しだし、自分のあるべき場所を再確認していく。ネタばらしのようになってしまった。次にどんな作品を書くのだろうかと心配と期待感も加わる作品だった。

2020年8月14日金曜日

有川浩:「阪急電車」

心ほのぼの、文庫版を読んだ。解説で児玉清が「錆びた血が騒ぐ」との表現に思わずニヤリとしてしまった。作者のエンターテイナーぶりには本当に感嘆する。物語は阪急今津線。1993年から2年間、武庫之荘で過ごした。そして何と変わった地名の多いところかと感心したことを思い出す。甲子園は何となく常識的だが、甲東園、香櫨園、極め付きは苦楽園、ここがまた超々大邸宅街という驚きもあった。今津線での驚きの地名は門戸厄神という地名、近くには神呪町(かんのうちょうと読むらしい)というオドロオドロシイ地名もあり、尼崎という地名も平安時代から開けた浜辺、大物(だいもつ)という読み方の地名もあってとにかく物珍しかった記憶がある。 今津線の各駅を利用客の人生の一こまを切り取りながらまるで連歌のように、リレーのように幾組かの若者の生態がバトンタッチで描かれていく。阪急今津線を往復する絶好の夏の夜の読み物でした。

今年の夏は「GoTo 図書館」となりそう。

2020年8月10日月曜日

馳星周:「神(カムイ)の涙」

 馳星周の小説は、ついこの間まで毎日新聞連載の「スミレの香り」を読んだところで、これが2冊目。北海道出身の馳の得意の舞台設定だ。舞台は北海道の川湯温泉。ここには確か2003年夏、フライト&レンタカーの旅で2泊の旅行を楽しんだことがある。その2泊目が川湯温泉だった。初日は中標津空港に入り、そこでレンタカーを借りて知床峠を経由して半島を横断して羅臼で1泊。知床5湖の2つを散策し、海上からも遊覧船で知床半島を遊覧し、海岸線をうろつく熊を見た。2日目、オシンコシンの滝や原生花園を探訪した後、川湯温泉に入った。硫黄山や霧の摩周湖を見学した。到着した夕方は摩周湖は霧に覆われてた。そして翌朝再度行ってみると朝から雲一つない快晴で第1展望台から湖の全貌を見ることができて喜んだものだった。

さて物語は、東日本大震災と福島原発という忘れられない大災害を経験して原発の存在に大きな疑問を持つに至った日本の人々の心情を下敷きに、東電社長に「申し訳なかった」と謝罪して詫びさせようと目論む3人の若者による東電社長誘拐事件で始まる。3人の内の一人のアイヌ人、尾崎雅比古が自分のルーツを求めて川湯温泉にやってくる。物語中のハイライトが摩周湖の滝霧。早朝にカルデラの外輪山に溜まった大量の霧が気温上昇に伴って摩周湖に雪崩落ちる時に見られる自然現象。Youtubeで”摩周湖 滝霧”で検索するといくつもの動画がアップされていて物語の描写と実際がどうなのか、を比較してみることができる。小説読みの新しいスタイルだ。友人のOさんからの情報で新しい楽しみ方を教えて頂いた。感謝。北海道国立アイヌ民族博物館「ウポポイ」が今年の7月12日にオープンしてニュースにもなっていた。タイムリーな読み物でもあった。

2020年8月8日土曜日

コロナ禍(下)に尾瀬!?

この計画はコロナ禍の中、緊急事態宣言が解除された直後から息子から提案された、尾瀬への1泊登山だ。息子の勤務地が群馬だが、そろそろ転勤が近いという勝手な思い込みから実行を今年と思い定めていたきらいがあった。尾瀬の旅には思い入れもあったようだ。2005年8月に親子で一緒に行った思い出があり、その素晴らしい景色を嫁と娘に見せたかったのだ。ところがコロナ禍が再燃するわ、梅雨が明けないわで中止にする理由に事欠かない事態となった。そこへもってきて”Go Toキャンペーン”。判断が付かない事態となって結論は梅雨が明ければ行こうとなったのだ。 そして8月1日の梅雨明け宣言を受けて決行となった。自分の生活でも山登りはグーンと少なくなり、年に1度高尾山に登る程度になってきているので今回が最後の本格的な山かもしれないと思った。本格的といっても尾瀬なら10回ぐらいは行っている勝手知ったる山なのでそれほど冒険という気はしない。小2の孫娘も行くといっているのだから・・・何とかなるだろう。 
初日、通年なら夏休みに入りトップシーズンなのに、尾瀬戸倉の第1駐車場(これが埋まるともう一つの第2駐車場に誘導される)は6割ほどしか埋まっていない。シャトルバスには直ぐに乗れて鳩待峠へ。鳩待山荘~山の鼻~牛首分岐~ヨッピ吊り橋~東電小屋~見晴の定番コースは静かで快適だった。
 着いてみると見晴は自分の体験してきたのとは全く別物のシンとした静けさの中にあって驚いた。聞いてみると見晴に6軒ある山小屋の内、営業は3軒。それも宿泊客は定員の1/5しか泊めないというから寂しいわけだ。それでも泊る側としてはそれはそれで安心感も強く、静かにノビノビと休むことができた。翌朝は朝霧と山の朝焼けが見たくで4時起き。




結果は残念ながらご覧の通り朝焼けはなし、逆に朝の虹に遭遇、それはそれで珍しい体験と納得した。 因みに期待していた朝霧と至仏山の朝焼けを紹介したい。これは2005年の時の体験です。


2020年8月5日水曜日

今村夏子:「むらさきのスカートの女」

ここ4~5年、芥川賞受賞作を最後まで読めない本が続いているので、この本も出だしで折れそうになった。 「むらさきのスカートの女」と友達になりたいからといって自分と同じ職場に面接に来るようにしむけたり行動をずっと監視したりする「黄色いカーディガンの女」。ストーカーなの?なんなの?と思いながらも段々変わっていく「むらさきのスカートの女」の事が何となく気になり読み進めてしまいました。でも同じ職場になっても友達になれてなさそうだし結局「黄色いカーディガンの女」は何がしたかったんだろう?最後まで不快感まではいかないが不思議な感じで結局「黄色いカーディガンの女は何をしたかったのだろう?「よくわからない?モヤモヤ感」。短編だったのが救いでした。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...