2022年7月31日日曜日

鎌倉だより:極楽寺(7月29日)

 江ノ電の極楽寺駅前に極楽寺というお寺があります。ここ御サイトの対比で美しいので人気ですが、時期が過ぎて人影もまばらでした。

江ノ電、極楽寺駅

極楽寺の山門前には芙蓉(フヨウ)でしょうか、あと1週間もすれば
入り口の両側がピンクに染まりそうでした。

山門をくぐると真っ直ぐな本堂へのアプローチ。
今は桜木の緑陰が涼風を送り込んでくれていました

バーベナの種類でしょうか、それとオニユリが乱れ咲いていました。

こんな夏の昼下がりを楽しむのも良いですね。それも緑陰があってのものだね!


2022年7月30日土曜日

鎌倉だより:極楽寺ー成就院(7月29日)

 夏らしい陽射しと青空に惹かれて、由比ガ浜を見下ろしたくなって定期点検を済ませた車で極楽寺に向かった。目的地は極楽寺成就院。以前はこの海を見下ろす坂道の両側がアジサイで埋まっていたが、今は僅かしかない。それでも海はどこにも逃げていかない。午後の昼下がり、観光客は誰もいない。海は輝いていた。押し寄せる白波が美しい。今年始めての夏を目と肌で飽きずに眺めた。感動!

 有名だった由比ガ浜を見下ろすアジサイ道

ズームアップすると由比ガ浜海水浴場に押し寄せる波が見ていて飽きない

境内の蓮池には開花寸前の蓮が蕾を膨らませていた




2022年7月23日土曜日

鎌倉だより:明月院(4月11日、12日)

 季節を度外視して・・・サクラの季節のことです。

鎌倉と言えばアジサイ。アジサイの似合う街だとつくづく思った。街の至る所に色んな種類のアジサイが咲き、訪れる人を慰めてくれる。しかし、実際にその見事なアジサイを堪能するのは容易ではない。全国から観光客が押し寄せてくる。最盛期には北鎌倉の駅から行列になってしまうというではないか!これまで自分も何回も訪れてはいるがいつもアジサイの最盛期ではない。早春であるとか、冬であったりとか・・・。で、今回は桜の時期に出掛けてみたのだ。

これが大正解!多くの山桜が出迎えてくれた。そして何より訪れる人が少ない。静かにマイペースで堪能できた。百聞は一見に如かず。先ずはご覧ください。

明月院のサクラ1





2022年7月20日水曜日

高田郁:「みをつくし料理帖」(4)~(6)

 「今朝の春」、「小夜しぐれ」、「心星ひとつ」の3冊。

浪人風の身なりの小松原、さり気なく料理に一言あって、澪は自分の足りないところに気づかされ、密かな想いを抱く。辛口の批評をズケズケと言い募る読み本作家の淸右衛門と版元の坂村、料理番付の行司役を任ずる料亭「一柳」主人、町医者の永田源斎と登場人物の背景がだんだん明らかになる。商売上手な料理や登龍楼の主人、采女宗馬も出てくる。心星ひとつでは澪の想いが小松原に届き、いよいよどこかの養女になる話が進み、逆に澪は自分が本当になりたいもの、実現したいものとの選択に悩む。心星とはいいまで言えば北極星、宇宙の中心、自分の心星を探しあぐねて悩みに悩む。

吉原の大手の置屋「翁屋」の伝右衛門楼主から吉原で天満一兆庵の再建をしないかとの提案を受けて大きく動揺する澪。と同時期に料理番付でいつも競い合う登龍楼からは神田須田町の登瘤楼を居抜きで格安で譲りたいとの申し出を受けて大いに戸惑う。翁屋には幼馴染の親友野江が幻の花魁として住んでいると知っている。何とか見請けできるようになりたいとの密かな他方では天満一兆庵の再興と御尞さんの跡継ぎ、佐兵衛を探し出したいとの願望もあり、大いに悩む。また、自分の想い人である小松原様こと、直参旗本で料理奉行を務める小野寺からの求愛、天にも昇る嬉しさで一杯にはなったものの、しかし最後は料理人として生きる道しか自分に残された道はないと悟る。

数々の料理がストーリーの中に季節感をもって描かれているが、これはまとめて「みをつくし献立帖」に出てくるらしい。


2022年7月16日土曜日

高田郁:「みをつくし料理帖」(1)~(3)

 舞台は江戸は神田御台所町、1800年初頭の時代設定になっている。前回読んだ「あきない世傳金と銀」は1700年代中頃のお話で、将軍でいえば吉宗から家継、家治の時代の大坂呉服商人が江戸店を開設し、成功を収めるまでのビジネス入門書のような商売の創意と工夫で満ちた物語だった。主人公の幸はビジネスで成功を夢見、その実現に奮闘する戦国武将にして超美人。

ところが今回は同じ関西の料理店の大店の女調理人「澪」。そのような存在が許された時代だったのだろうか?下がり眉毛のお世辞にも美人とは言えない容貌ながら強い意志の力、優しい心根と鋭敏な味覚、嗅覚の感覚の持ち主である。江戸でなじみの薄い上方料理を出す「つる屋」という蕎麦屋が舞台。元々は主の種市の打つそばが旨くて固定客をつかんでいたが年を重ね、蕎麦を打つのがしんどくなっていたところで、近所の荒れたお化け稲荷を1か月半も掛けて綺麗にして毎朝拝んでいる姿に心惹かれ、話しかけたのが切っ掛けでお店をまかせるようになった。

そんな娘がどうして江戸にいるのか?大坂では親が塗師で丁寧な箸作りで地道に暮らしていた。名前は澪(みお)、親友の野江は舶来品を扱う雑貨輸入商社といったところか、そこの一人娘。二人の住む街を大川(今の淀川)の氾濫が何もかもを飲み込み、両親ともに亡くして分かれ分かれで消息すらおぼつかない、その主人公、澪は老舗料亭「天満一兆庵」の主人に救われて一命をとりとめ、女衆として働いていた。そして鋭敏な味覚感覚を買われて女子衆から料理人の仲間入りをさせられたのだった。しかし、それも束の間、今度は大火で一兆庵そのものが焼失する。幸い、息子が江戸店を出していたので主人夫婦と澪は江戸に出てくるが、肝心の一兆庵江戸店はなくなっていて一人息子の佐平衛の行方もわからない。2年を経過して、主人は絶望の中、病死し、今は元御寮さんと澪が裏店の狭い長屋で暮らしている日々。つる屋に雇われてやっと料理で糊口を賄えるようになって、何時の日か一兆庵の再建と長男佐兵衛の行方を探し出すこと、そしてもう一つ幼馴染の野江との再会である。こちらは正に音信不通同士で手掛かりとてない夢となっている。

ここからつる屋での料理の才覚を発揮して次々とヒットメニューを編み出し、江戸の料理や番付でいきなり関脇にランクインを果たす。順風満帆かと思いきや「好事、魔多し」とばかり次々と難関が押し寄せてくる。一つ一つを料理メニューの新らしい構案を重ねる中で解決していくあきない世傳の料理版といったところ。

大阪の幼い7歳のころ、高名な易者に偶然、目に留められ、野江には「旭日昇天」(稀に見る吉祥、天下取りの相、澪には「雲外蒼天」(頭上に黒雲が垂れ込めて真っ暗に見える、だが、それを抜けたところには青い空が広がっている、これから先艱難辛苦が押し寄せる。その運命は避けられない、だがその苦労に耐えて精進すればだれにも見えない真っ青な望むことができる、と)の相があると告げられる。

元々蕎麦屋だった店なので庶民的な価格帯で美味しくて、楽しくなるような季節感あふれる料理だったり、料理の名前に工夫があったりして評判を高めていく。自分にも馴染のある庶民的な料理の数々が登場して楽しくなる。

八朔の雪、花散らしの雨、想い雲の3冊を一気読み。常連客の版元、坂村堂の雇い料理人が何と、大坂から佐兵衛と一緒に江戸に下った料理人だったのだ。ようやく佐兵衛の行方を探る糸口に辿りつく。

2022年7月9日土曜日

鎌倉便り:鎌倉文学館と古我邸ほか(別荘文化)

 前回、湘南の別荘文化について触れたので別荘繋がりで鎌倉の代表的な別荘の一つ、旧前田家の別荘を紹介してみたい。現在は鎌倉文学館として一般公開されている。

加賀前田藩の第15代前田利嗣が土地を入手し、和風建築の館を建てたが、明治43年類焼により焼失し、明治43年(1910年)に、洋風にして再建され、その後全面改修により昭和11年、今に残る洋館が完成した。第二次世界大戦後はデンマーク公使や佐藤栄作が別荘として使ったようです。三島由紀夫の春の雪に登場する別荘のモデルになったことでも知られている。昭和58年第17代前田家当主、前田俊建により鎌倉市に寄贈された。

文学館入り口。木漏れ日のアプローチが素晴らしい。
文学館の入り口の車回し
玄関のレッドカーペット
広い芝生から見上げる文学館(4月22日)
見上げると(4月22日)
芝生の広場から見上げると(2月18日)
芝生をさらに下ったところにバラ園がある(4月22日)

●別荘文化の代表格として文学館を紹介しましたがその他にも素晴らしい別荘がいくつか残されているようだ。自分の手の届く範囲で以下に2つを紹介してみよう。
・鎌倉駅の近くの路地の奥に古我邸がある。
三菱合資会社(後の三菱財閥)の専務理事兼管事をしていた荘清次郎(しょうせいじろう)の別荘として、1916年(大正5年)に完成させました。
設計者、桜井小太郎は、1877年(明治10年)に来日し、日本の近代建築家を数多く育成したジョサイア・コンドルの弟子として、丸ノ内のオフィス街開発に尽力をした建築家です。2015年に築100年の大改修が行われ、今はフレンチレストランとして開放されています。

冬の芝枯れの中で全体像が良く分かります。

春、桜が咲くとこんな感じになります。
・旧華頂宮邸
2013年にスケッチ旅行で立ち寄ったところです。写真があったはずなのですが、見つかりませんので鎌倉市のサイトからコピーさせていただきました。





























2022年7月6日水曜日

鎌倉だより:「吉屋信子邸」見学(6月3日)

 不定期に公開されている吉屋信子邸も長谷の近くにある。長谷寺や日本文学館のすぐ近くにある。コロナ禍で申し込み制になっていて10人、1時間限定/回だった。どんなに人が集まるのかと思ったら、申し込んだ時間帯がお昼時に掛かったからか自分の他にあと一人だけという寂しさだったが、のんびりと長閑なひと時を過ごすことができた。

敷石を渡り母屋へのアプローチ
この建物は古い建物を今風に言えばリニューアルしたもので建築設計家の吉田五十八が手掛けたものだ。この人は洋式の生活と両立できる数寄屋建築を創案し、旧歌舞伎座や吉田茂邸などを手掛けたことで知られている。施主の吉屋信子は戦前の鎌倉、その後東京の牛込、鎌倉の長谷と三度、この吉田五十八に設計施工を依頼し、この長谷の「奈良の尼寺」(施主の希望)のような住まいが終の棲家となった。建物は元々のものを10m奥の山側に移動させて屋根なども元のまま使い、内装を全面的に吉田五十八が手を加えた形になっている。

肘木門
門と塀、それに肘木門は数寄屋風で植え込みを内側にしつらえて母屋が直接見えないように工夫されている。
植え込み側からの庭から見た
当時のままの応接間。障子の講師の大きさに注目
応接間から見る庭
長い庇が日除け効果を出している
応接セットと目の高さを同じにするため少し高くなっている和室
障子、網戸、ガラス戸、雨戸の4重敷居が外に向かって傾斜している

外の甁

きめ細かい室内設計と換気への配慮、間接照明、クローゼットなどがすべて組み込まれていて、基本的に家具を入れなくてもそのまま住める設計には当時(昭和37年)を思えば凄いユーザ志向の設計だった。



 


2022年7月1日金曜日

鎌倉だより:「北鎌倉古民家ミュージアム」(6月23日)

 北鎌倉駅を降りて、円覚寺前を通り過ぎて線路際を歩くと格調の高そうな木組みの門構えに守られるように古民家ミュージアムが建っている、ミュージアムという名がそぐわないような気すらする。春3月に通りかかった時は、吊るし雛が門前に飾られていた。

3月の吊るし雛の掛かるミュージアム
そして今回、門前を通りかかると、何か様相が大きく変わって感じられた。
アジサイに飾られたミュージアム
雰囲気が違う?思わず立ち止まって中を覗き込むと庭一面に色採り取りのアジサイで満ちているではないか!これを見逃す手はないと入場券を買って拝観させていただきました。左カッコの形の古民家が抱え込むように玄関先から客間のような母屋に抱え込まれるようにお庭があってその庭が地植えのアジサイと鉢物のアジサイで埋め尽くされていた。

前庭
裏庭
ミュージアムから裏庭を見ると

無数の種類のアジサイとの出会いだった。江戸時代の昔からアジサイは交配で色んな種類のアジサイを作って競い合っていたと聞いていたが、現代ではさらに進化を重ねているのだろう。紹介したいものがあり過ぎて困ってしまうがその中からいくつかだけ紹介する。

アクアマリン
コンペイトウ
春うらら
ありがとう
藍染め
ミッドナイト
こんぺいとうスマイル
おはよう
vvクレオパトラ

いづれも掛川の加茂荘花鳥園オリジナルだと書いてあった。ミュージアムに入ると置物や日本画などアジサイにまつわる色んな作品もコレクションが展示されていた。水彩画のコーナーにはなんと西丸式人の鎌倉の風景画やアジサイの絵が数点飾られていてビックリした。その1点をガラス越しに移させてもらった。移りが悪いがお許しをお願いします。

収穫の多きひと時だった。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...