2010年2月28日日曜日

東京マラソン

第4回大会。息子が2回目の出走だということで、景気付けに応援に出掛けた。天気は最悪。約束しなければ良かったと後悔の念に駆られたが、仕方がない。意気地のないことを言っていてはいけない、天気予報では午後には天気も回復と言っているし、と思っていたらペルーで巨大地震。その余波で津波が丁度、東京マラソンのゴール時間頃に日本にやってくる・・・・。 人出の余り多くないであろう茅場町辺りで待つことにして出発した。大正解。携帯メールで進度をチェックしつつ、無事差し入れも手渡して応援の義務を全うできた。 帰り道、聖路加病院の前庭にあるトイスラー記念館を撮影(スケッチ用)、それから新宿御苑に廻った。久し振りだった。冬枯れの・・・と思ったら、彼岸桜が満開、そのほかマンサク、サンシュユが見事だった。

2010年2月27日土曜日

備忘録:教育の様々

農業生産法人・グリンリーフ社長、深浦彰治氏の言葉。

教育とは
・ 「強育」・・・少しだけ重い仕事を任せること。
・ 「競育」・・・同じ年代同士を競わせる。
・ 「共育」・・・経営者(指導者)と社員が共に学び、共に育つこと。

2010年2月26日金曜日

映画:四日間の奇跡

正月のテレビで録画してあった映画をビデオ鑑賞。

今の自分の境遇に余りにもマッチしているものでビックリ。一人涙した。

2010年2月25日木曜日

映画:人生に乾杯

ハンガリーの映画。久し振りの映画鑑賞だった。
旧共産圏時代のハンガリー。年金で暮らす高齢者が貧困にあえぎ、アパートの家賃も払えない困窮振り。
家賃のかたに奥さんのイアリングを取り上げられ、夫は切れた。ソ連製の豪華自家用車を手入れよく保存していた夫(元共産党幹部の運転手であった。唯1の思い出の宝物であり退職金のような豪華マイカーを持っている。滅多に動かすこともなかった。)が遂に立ち上がる。どんな風に?それを言っちゃおしまいですね。

風刺がたっぷり効いて、そして終わりが想像通り怖い。これしかない。

2010年2月18日木曜日

ラジオ放送がパソコンで

同時に聞けるようになる。これを「サイマル放送」と言うらしい。今年3月中旬から開始とのこと。「radiko」というウエブサイトにアクセスすれば放送が聴けるらしい。長く、放送と通信の一体化が話題になっていたが実現されなかった。色んな権利などの障壁があったのだろう。これによってこの放送というメディアにも双方向の情報交換ができるようになり、また、色んなリンクやネット販売への展開も可能になるなど大変な変化をもたらす可能性ができそうだ。当面はAdobe社のflash player で聞くということだがイメージが今一湧かない。音楽など昔のイメージでいえば「気に入った音楽をカセットに録音して聞いた」、あれらの行為はこの新しいメディアの中ではどういう風に実現できるのだろうか?
その他にまだまだ不可思議なことがある。
・ NHK抜きの民放13社だけでの提供(NHKはどうする?また別のカテゴリーで動く?)
・ 当面首都圏、大阪のみ解禁
・ モバイル端末は対象外

電通が取りまとめて実現できたという所に色んな苦労と矛盾の痕跡を感じる。元々ラジオ放送というのは地域を限定して免許が与えられてきたものなので、ネット上に流す際にもそのような事態を想定していないために法律改訂がないと一気にはオープン化できないということだ。しかし、大きな一歩前進だ。で、モバイル化を許された時ラジオというあの愛らしい機械は過去の遺物になっていくのだろうか・・・?

2010年2月11日木曜日

葉室 麟:「秋月記」

「秋月」という地名は九州のどこか、福岡県か大分県あたり?
この小さな藩、秋月藩は福岡藩初代の黒田長政の遺言によって5万石で分知されてできた小藩なのだそうだ。本藩の福岡藩の圧力に遭いながら江戸時代をつぶされることなく生き延びた。その苦闘を通して主人公、吉田(養子になって間)与四郎が気の弱い少年が色んな経験を通して強くなっていく姿を描いている。人物描写もよくできていると思った。文句なく一級の作品だと感じた。面白かった。

秋月は今、大分県池田市秋月というのだそうだ。古い城下町としてかなりの遺構が残っているそうだ。行って今も残るという石橋を見たいものだ。やはり紅葉の頃が良いのだろう・・・。

2010年2月9日火曜日

e-tax講座実施(2月7日)

久し振りに人前で話をした。といっても総務省のお膳立てでできているe-tax講座を担当したまででクリエイティブな話ではない。会としての第1回目の講座受け持ちが自分になってしまった身の不幸を嘆きながら、仲間の助けを借りてようやくやり終えた。昨日今日はヤレヤレの心境だった。

ところが何と、今日その受講者の人、本人と別のNPOの場で遭遇してしまった。「してしまった」というのはその講座の出来を考えると冷や汗ものだったからだ。その方がNPOに入会を申し込まれて今日は見学に来たのだという。何と世の中の狭いことよ!とボヤキをいってしまった。そんな経験をされた方いませんか?いらっしゃるでしょうね。いや、いて欲しい・・・・・。できの良し悪しを聞く勇気を持ち合わせなかったことは言うまでもない。

2010年2月6日土曜日

OBを囲む会に

定年退職後11年半、初めて現役の方々から「囲む会」の開催通知を貰い、出席してきた。集まってくれた現役組も今や40から50歳台になっていて皆、それなりに落ち着いていて10年強の歳月に違和感を感ずることなく話ができたのは凄いことだった。

思い起こすと、この会を企画してくれた人たちは親会社の下にできた専門性の高い子会社の若い専門技術者たちだったが、その経営状態は絶望的なほどの苦境のさなかにあった。そしてそこに乗り込んだ経営層(と言っても、皆親会社からの出向者なのだが)と一体となって取り組んだ経営改善活動は2年間で劇的な成功を収めたことで、経営に携わった側も、それを実行した若者達にとってもサラリーマンとしては稀有な経験であったと思い起こすことのできる思い出深いものであったろうと推察していた。当時の経営層OBで毎年OB会を持っていて、毎回その当時の熱気を思い出し感慨を新たにしているという現実が何よりもそのことを(一方通行的ではあるが)雄弁に物語っているのではないだろうか?

宴席ではその時の話が思い出話として披露されたりしてひときわ懐かしかった。昨今のサラリーマン氷河時代にこのような企画を実行してくれたということだけでも、その当時を好感を持って思い出してくれたからこそであろう。感謝の念とともに、この人たちのこれからの幸せを祈らずにはいられない。

2010年2月2日火曜日

塩野七生:「ローマ人の物語」その1

文庫本で読み始めてから2年半。今、第37巻を読み終えようとしている。その舞台は紀元330年頃、皇帝コンスタンティヌスの治世でローマ時代の末期だ。末期だから輝きを伴っているわけがない。破滅への道を辿っていて一種の哀れを伴っているのは致し方ない。しかし、この大著を物した塩野七生という女性の凄さには尊敬以外の言葉はない。良くぞ書いてくれたという感謝の気持ちが湧いてくる。彼女はひょっとして、ジャンルは違うか現代の紫式部ではないか?源氏物語は54帖、100万文字ともいわれているが、この「ローマ人の物語」はどうなんだろう。時代も紀元前500年から紀元後340年までの800年強を扱っているからスケールでは紫式部の比ではない。この物語を読み終えて、いくつもの感想や感慨を抱いた。それをそのまま忘れ去るのも惜しい。ところどころ読み直し、そのいくつかの感慨を是非、書き留めておきたいと思う。それができるか怪しいが、やってみたい。

2010年2月1日月曜日

海老沢泰久:「サルビアの記憶」

「青い空」が良かったので、図書館の書架にあったサルビアを借りてきた。軽く読む短編集。全然趣が違う。どこに著者のスタンスがあるのだろう?

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...