2014年8月27日水曜日

断捨離の早とちり

パソコンが動かなくなった!見てほしい。WindowsXPなのでもう使わないが出来れば中の保存データだけは残せるものなら残したい、というのがご希望でした。パソコンが動作不良になるのにも色んなケースがある。お医者と同じで、その分野での経験の多い、少ないが結構ものをいうので、そういう依頼は結構歓迎である。ただ緊急を要するとかだと責任も伴うし、何よりも時間に追われるのは辛い。マイペースでやらせてほしいというのがボランティアとしてのお願いである。

件のパソコン、引き取って自宅でチェックに入りました。
●先ずは、ケース外観チェック、形名を記録し、やおら電源を入れる。当然のようにバッテリー切れで起動しない。電源コードをつなぎ電源を再投入すると、極めて自然に動き出して、起動モード選択画面が出てきた。これが出れば普通はかなりの確率で起動できるのではないかという楽観ムードになる。ところが、ここからが面倒、セーフモードにしても、最後に正常起動した状態で起動にしても、しばらく動作したあとはまた同じ起動モード選択画面に戻る。堂々巡り。
●原点に戻って、BIOS設定画面を立ち上げて最低限のハードの仕様を調べる。ついでに、起動媒体の優先順序をDVD第1にしておく。これは、DVD起動のLINUXを起動してみてハードディスクの中を探査してみようと言いう下準備でもある。これでMyDocuments内のデータを救出するという最低限の操作はできるからです。
●LINUXのDVDを入れて置いて、いったん電源を切り再投入する。ここからはLINUXが起動される。
●LINUXが起動し終わってこれでスタート画面が立ち上がるという段階でパソコンがハタと止まってしまった。後は何をやっても動かない。Oh My God !
●残る手段は?日付、時計は正常なので内部ボタン電池は大丈夫。起動ディスクは無い。今更FDDドライブなどないし、あんなかったるいことはやっていられない。
●OSのインストールディスクを入れてシステムの修復をやる。などが残っているがここで重要な失敗に気が付いた。手持ちのWindowsXP用のDVDは全部処分してしまって手元には残していなかったのだ。医者としては旧式の医療器具でも残しておかなくてはダメではないか!
●急遽、ネットで調べて置いた型式のパソコンの取扱説明などのドキュメント類をDLして読んでみた。OSやユーティリティはHDDに入れてある。その起動方法も判った。ディスクのパーテションも判った。
●問題は、データ類がCドライブにあるのか、Dドライブにあるのか?もしDドライブに入れててくれれば、CドライブにOSを再インストールしてもデータ類は失わなくて済む。これは賭けかもしれないが、インストールの前に修復などの手段もある。
●インストール前にはシステム検査も行われるので何らかの情報が得られる、ということで工場出荷時に戻す、再インストールのモードを選んでみた。
●すると、C領域にOSを格納できるかどうかのメモリーテストが始まり、意外な結果が出てきた。Cドライブの×××から××××までがアクセス不能だという結果、HDDの特定領域が破損しているということが判ったのです。

結論は、HDDの一部破損による起動不能ということだったのです。この後はどうするか所有者の判断によります。① どうしてもHDDに残ったデータを一部でもいいから救出したいのであれば、それ専門のプロの業者に依頼する。②諦めて、パソコン破棄に向かう。③生き残っているC 領域にOSを再インストールしてデータがD領域に格納されているという可能性に賭ける。この3つの道しかないでしょう。結果は③を選びました。そして案の定、データ類の救出はなりませんでした。データ類はすべてC領域にあったのです。

それにしても、WindowsXPのDVDをすべて破棄したのはいかにも早とちりとしか言いようがありません。しかしもう捨てたものは仕方がありません。反省。

恩田陸:「夜のピクニック」

恩田陸というと何となくSFっぽい作風という印象だったが、図書館でふと手に取ったとき、高校生らしい人物の会話が目に飛び込んできて、昔懐かしい自分の青春時代と重ね合わせてみるのも良いかと借りてきました。読み始めてすぐに、ご近所のY先生の甲府第一高等学校の100km遠足の話と重なり合いました。Y先生のブログで良く取り上げられる題材の1つです。また、描かれる遠足の中の風景には海辺を歩き、日没を見るシ-ンがあってこれは日本海ではないか?自分の故郷の高校でこれと同じ100km遠足をやれば必ず内灘の広い広い砂丘をコースに取り入れるに違いないと考えたり結構楽しく読みました。吉川英治新人賞や最近はやりの本屋さん大賞も第2回の受賞を得ているよく読まれている本のようでした。途中で謎の少年が出てきたのでまた幽霊ものか、ファンタジーへと流れていくのかと思ったら意外にも真面目に青春群像の哀歓を描いていて爽やかな作品でした。主人公はクラスメイトに異母兄弟をもつ、シングルマザーの1人娘。異母兄弟との反目、共感、親をめぐる想い、格闘。100㎞の遠足の中で2人が会話を持つまでに至る。高校時代のこの巡り合いの中で果たさなかったら一生すれ違ってしまうかもしれない、それではいけないのではないか、このままで高校生活を終わらせてはならない、それが彼女のこの遠足に賭ける決意だったのだ。

2014年8月22日金曜日

サントリー:サマーフェスト2014

文化の香り?高いサントリーホールに久し振りに行ってきました。招待券は「耳からうろこの夏になる」・・・テーマ作曲家に選ばれた「ピエール・デュサバン」の作品と彼が影響を受けた作品の数々。一言でいえば、難解で私には良し悪しは判りませんでした。現代音楽そのものが馴染みのないものですしメロディのない音楽は感性を中々刺激してくれませんでした。刺激的な音の使い方は部分部分で日本の雅楽に似たハッとさせられるところもありましたが、やっぱり判りませんでした。何を訴えかけてきているのだろうと一生懸命聴くという作業は音楽に身を委ねるというより疲れる作業でした。こういう世界もあるんだと納得することにしました。

楽曲名:
クリストフ・ベルトラン:マナ
パスカル・デュサパン:弦楽四重奏曲第6番ヒンターランド
ジャン・シベリウス:交響詩タピオラOp.112
パスカル・デュサパン:風に耳をすませば・・・これが委嘱により作曲された曲でメゾソプラノ歌手とのコラボでオペラからヒントを得た作品

2014年8月18日月曜日

熱闘甲子園にみる社会現象

この時期の季語にもなっている。最近は野球だけではない。「○○甲子園」が大流行。でもこの8月15日を挟んだ高校野球は熱闘甲子園そのものですね。暑くて外出を控えた日の朝、9時にはもう始まってる。パソコン内蔵チュナーでメールや簡単な作業をしている時にはBGM風にこの高校野球を観るともなく聞くともなくそばに置いておくことがある。そして今年ふと思ったのですが、強豪校の所在地が最近は北信越や日本海側の県に移ってきたような気がしました。昔は強豪と言えば、九州・四国・中国から関西勢が圧倒的に強かったと思うのですが、いつの間にか優勝旗が箱根を越えて関東にやってくるようになり、数年前からは東北・北海道主体で動いているような気がしていたのです。それが今年は明らかに富山が、石川が、福井が、新潟が強い。今日も勝ち進みました。どうしてだろう、と一瞬考えました。がすぐに1つの回答が頭に思い浮かんだのです。「流行の浸透度」ということです。最近の若者のスポーツのメジャーはもう野球じゃなくなっているではないか、サッカーでしょうとか。流行の浸透の遅れている地域では運動神経の発達している子は昔と同じように野球に行く。先進地域では運動能力の高い子はサッカーやオリンプックに出易い種目を目指して頑張る。あるいはプロとして注目されやすいゴルフもあるし。人材が集まり難くなる先進スポーツ県では野球の地盤低下が進んでいる。もっと言えば、過疎化の進展とともに野球チームを作れる学校の数が急速に減っている、なんてことも起きているのではないか?そういえば今、強い県の子供の出生率もきっと高いに違いない。北陸県出身の人間の僻みにも似た感覚が頭をもたげてきただけでした。真夏の白日夢でしょうか?

2014年8月15日金曜日

丸谷才一:「横しぐれ」

読む本の作家が固定化してきているのは良い兆候とは言えない。丸谷才一氏は1925年8月生まれ、2012年10月没。享年87歳ということでしょうか。『笹まくら』『年の残り』『たつた一人の反乱』『裏声で歌へ君が代』など代表作だけは読んでいる。と言っても内容はほとんど覚えていない。特に<a href="http://www.kisas.co.jp/?s=%E7%AC%B9%E3%81%BE%E3%81%8F%E3%82%89">「笹まくら」</a>は去年読んでまだ印象に残っている。珍しく私小説的ではなく、知識というか教養をベースにした本を書く、という印象が強い。今回はまた、自由律の俳句の名手としても名高い山頭火が最晩年松山で父とその友人との四国旅行で行き会ったのではないかというエピソードを立証しようとする国文学者の息子の苦闘(文献漁りと推測、もしくは妄想)で話が進んで行きます。その舞台回しに使われているのが「横しぐれ」という何とも情緒を催す言葉です。「時雨」という季語はありますが「横しぐれ」となるとそれだけで1つの情景を思い浮かべさせる1つの成句になっている単語ですね。これをその山頭火と思しき乞食坊主に酒を酌み交わしながら話したという友人の思い出話から話が広がっていきます。これはもう既に文学上の論文にも値するのではないかと門外漢の自分には思えてしまうような学術的な話でした。時雨を季語としたいくつもの名句が出てきて、昔の高校時代に味わったハイレベルな国語の先生の話を思い起こしながら読み終えました。その先生の授業は初めに黒板に古今和歌集とか新古今和歌集から一句を大書し、その解釈から始まり、古文の文法を教えてくれるのです。内容はかなり難解なのですが、何しろその一句で一時間の授業を難なくこなしてしまうその力量に生徒皆んなが魅了されていたのを思い出させてくれるような、そんな本でした。感想というより青春時代の授業の一コマが小説になったような・・・。

2014年8月10日日曜日

Wordpress:KISASの部屋は?

「KISASの部屋」、すなわちこのWebページのデザインをカスタマイズするのに早速、Firebugというアドオンソフトを導入して試してみました。先日の勉強会の時のデモと同じ立ち居振る舞いにならず一寸いらいらしながらやっていました。どうもすっきりしません。引き続いてトライしてみようと思うのですが、それよりも自分でビックリしていては仕方がないことですが、自分が導入したレスポンシブなテーマというものがすでに「子テーマ」を使っていることでした。これに手を加える際にまた別のテーマを持ち込むことは、いわば「孫テーマ」ということになるのですが、原理的には後の定義の方が優先するということからいえば「孫テーマ」は成り立つのですが、Firebugではそれがどう見えて、どう検証できるのかもう少し探ってみたいと思っています。

2014年8月6日水曜日

Wordpress:子テーマを設定するということ

久し振りにWordpressについて書いておきます。先日のNPOの定例勉強会でWordpressをカズタマイズする力をどう付けるかという話の中で参考になる話を聞くことができました。

(1)子テーマを設定する
Wordpressでは外観を決めるのはテーマという謂わば着せ替えの衣装のような情報の塊です。テーマは志のある方々が公表しているものをネット上で探し出して利用するのですが、自分のホームページに採用するには自分のこだわりを表現するために何らかの手を加える必要性が出てきます。これまではそれは利用しているテーマを直接書き換えて実現しようとしていましたが、これだとテーマの作者が元のテーマを変えたり、何らかの不具合で復元させようとする場合、自分でカスタマイズした部分だけを別ファイルで保存されていると復元作業が素早くできて好都合です。そのための手法で考えてみれば極めて当たり前の手法と言えます。ネット上でも子テーマで検索するとその重要性や作り方などを説明しているサイトを多く見つけることができました。

(2)Firebug
上記のようなカスタマイズをしていく際の有用なデバッグツールです。ホームページを開いてそのコードとそこに使われているスタイルシートを画面上で対比させながらカスタマイズしていくことができるからです。この作業で決めた新しい子テーマ用のスタイルシートをそのまま保存できると更に効率が上がりそうですがそれは現状では一寸機能的にもおろそかになっている部分があるという説明でしたがそれは置いておいてもこのツールの有効性は決して失われるものではないように思いました。

早速、この2つのことを実践してみたいものだと思いました。勿論対象はこの「KISASの部屋」です。

2014年8月4日月曜日

浅田次郎:「月下の恋人」

「小説宝石」という雑誌は確かに存在したのは記憶にあるが現存しているかは知らない。恐らく続いているのではないだろうか?その本の2001年9月号から2004年11月号までに11回に亘って掲載された掌編をまとめて1冊にしたもので、タイトルはその中の最後から1つ前のタイトルから付けられている。浅田次郎の文章力はどの本を読んでも感心させられる。プロの文章力を褒めるのもおこがましいことだが、語り口とマッチしていてつい引き込まれてしまう。今回の中では最後の「冬の旅」が良かった。学生時代、学期末か何かの試験を終えて、無目的に汽車の旅に出る。上野を出て赤羽でどう見ても若かりし時の自分の両親が乗り込んでくる。自分はきっとこのカップルの子供らしい。車掌が検札に来る。自分が入場券で入って越後湯沢まで行きたいという。ブツブツ車掌に文句を言われてしかし、悪いことをしている訳でもないので変に咎めるという訳ではないが、赤羽から乗車した客も同じように赤羽の入場券で越後湯沢まで行きたいと言っている。車掌は自分の方を振り返り、首をかしげながらこの偶然を受け止め兼ね、しかししぶしぶという感じで乗り越しの切符を発行している。越後湯沢に到着するが赤羽から乗った2人は降りようとしない。それで自分も降りない。どこへ行くのか見届けずにはいられない。これは父が母を結婚式の席上から拉致してきた時の情景に行き合わせたのだ。彼らはそれからどうしたのだろう。捜索の手を逃れてどこかに潜伏し、何かの機会に父は商売で成功し、世に出られるようになったと聞いている。これから彼らはどこかに身を潜ませるのだ。そして自分が生まれる・・・・「ポッポや」の情景が思い浮かぶ。この作家は幽霊も好きだ。タイムスリップなどどうということはない。お得意の世界なのかもしれないが上手い。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...