2015年5月31日日曜日

石田衣良:「約束」

大阪の池田小学校で無差別殺人事件が起きたのは2001年6月8日のことでした。つい最近の出来事だったように思っていましたがあれからすでに14年が過ぎてしまっているのです。あの時亡くなった小学生は1年生1人、2年生7人、生きていれば今20か、21歳になっているのだろう。正に死んだ子の年を数えるようなことをしても始まらない。その事件にショックを受けて、何かできることはないだろうかと考えて作者が書いたのが、「約束」他6篇の短編小説なのです。「約束」が正に小学2年生を主人公にして、亡くなった子に対する鎮魂、生き残った子に対する激励のメッセージになっていました。そして本の表題にも選ばれています。その他の6篇も挫折からの復活、苦しむ心への癒し、そして自分の人生へ立ち戻る姿を描いています。

2015年5月27日水曜日

白馬スケッチ旅行3

3日目は夜半からの雨がなかなか止まず、10時過ぎにようやく上がった。最終日は電車の駅に向かって移動しながら雲が上がっていったら描けるかもという感じ。道すがら色々な高山植物にも目が行く。

2015年5月25日月曜日

白馬スケッチ旅行2

2日目も快晴。朝6時はもう明るい。この日も晴れ模様。泊まった宿の周りを散策して朝食前に1枚。朝食後は姫川源流。普通源流というのは山奥を分け入って辿りつける、という常識を裏切るような国道沿いの林の中にありました。湧水です。この湧水が流れ流れて姫川になっていくのです。姫川はフォサマグナを流れ下る急流として名高いがここでは田畑を縫うように流れる小川でした。午後は五竜岳を田んぼに映す風景。どれも難しい。だけど爽やかな風に吹かれて無言で過ごす2~3時間は爽快です。

2015年5月24日日曜日

白馬スケッチ旅行1

スケッチを始めてから5年半、一向に上達できない。元々才能がある筈はなく、どちらかと言えば避けてきた世界である。観るのはそれなりに好きだが、それだって名だたる名画をいくつも見ているが見て感動を覚えて体が震えるというような経験もしたことがない。猫に小判の類だろう。それでも、5年以上スケッチをしてきて、一度あそこに行って描いてみたいという場所も何か所かはある。その中の一つが今回行ってきた白馬山麓。それも田んぼに水が入り始め、山々には雪が残り、雪形が見えて「代馬」とわかる今の季節がベストです。その憧れの地に仲間と行ってきました。朝8時八王子から特急あずさは直通で白馬駅まで行けるこの地の利の良さ・・・行く気になれば3時間で到着する。写真の2枚が初日のポイントでした。

2015年5月23日土曜日

村田喜代子:「八幡炎炎記」第1部

戦後70年、この小説は広島に原爆投下される前後から始まる。勿論回想としての部分で、進行している時代は戦後の動乱の八幡だ。今の新日鉄が君臨する企業城下町の一角に住む庶民の逞しい生き様が描かれている。どうやら自伝的に戦後の動乱期を描き残そうとしているもののようだ。幼いヒナ子という子供の目で物語が進んでいく。広島から終戦前に働いていた小糸洋服店の女房ミツ江と駆け落ちして戦火とピカドンから偶然にも逃れられて、奥さんの姉たちが住んでいる八幡の町に住み、暮らしている。ピカドンのお蔭で元の小糸洋服店は跡形もなく消失し、不義をとがめる相手を心配することもなくなったが、戸籍を抜いて正式に結婚するために広島に通い、ようやく決着をつけたが遠縁の娘「緑」を貰い子として育てる羽目になっている。上の姉サトの家に貰われ、育てられているのがヒナ子。この家にはヒナ子の母親百合子も姉として養女になっている、複雑な家族だ。あの時代、戦争で親のない子がたくさんいて貰い子など養子縁組がごく普通にみられたらしい。そういう時代だったのだ。猥雑でしかし八幡という鉄鋼の街は確実に生気を取り戻し、それなりに活況を呈し、その中で暮し、親たち叔父さんたちを観察する形で物語は進んでいきます。その親であり姉でもある百合子に新たに異父弟が生まれるところで第1部は終わる。ヒナ子は小学2.3年生だろうか?何とも雑多な人間たちが3つの家族を作って混乱の戦後を生きている。

2015年5月13日水曜日

ブラウザが動かない!?

動かないほど重症ではないのですが、ここ数日ネット検索やいつもチェックしているサイトにアクセスしても表示されない…という現象が頻発しだした。これは本当に困る。検索という操作をいかに自分が多用しているのかが判るのですがそんなことを言っている場合ではありません。兎に角使い勝手が悪くなってイライラさせられます。何か悪いソフトが混入しているのではないかと思い、コントロールパネルからインストールされているプログラムのリストを見てみましたが気に懸るような変なソフトは見当たりませんでした。しかし、よくよく見ていて思い出したのは先日、ネット検索している途中でFlashplayerをインストールしたことを思い出しました。adobe社のソフトいくつか並んでいる中に、Flashplayer17 NPAPIという見慣れない名前のソフトがありました。早速別のパソコンで調べてみるとNetscape Plugin APIの略でブラウザのプラグインソフトだと判りました。それをインストールして以来調子が悪いんだ!と思い至りました。ネット検索でもなかなか納得できる解説がありません。しかし、flashplayerなるものは動画サービスに関わるものなので取りあえずなくなっても問題ないし、必要なら再度インストールすれば良いと割り切り、Flashplayer17 NPAPIをアンインストールしました。すると、何んとあっという間に以前通りのすいすい動く状態に復活しました。これまでデフラグをやって見たりいろいろしてきたのがうそのようにすっきりと霧が晴れた状態になりました。Flashplayer自体が古い技術で今後、IEもGoogleCromeもFirefoxもこのプラグインはロックしていく方針らしいと理解が難しい解説記事を読みながら見当を付け、この件で調べることは中止しました。便利さ追求の陰にはこんな危険も覚悟しないとダメなんでしょうが、快適に使うために快適さを失っては元も子もない、という所です。

2015年5月12日火曜日

Windows10のプレビュー版を導入してみました

MicroSoftがアナウンスしている次期OS 、Windows10について、「<span class="phrase">Windows?10?Insider?Preview</span> の提供を開始しましたが、その完成まではまだ長い道のりです。速度と操作性は今後さらに向上し、さまざまな機能が追加される予定です。今後追加されるすべての新機能を確実に入手するために、<a class="navigationLink" href="http://go.microsoft.com/fwlink/?LinkId=521639" data-id="ID0EB0VB0BA">Windows Insider Program</a> にご参加ください。」というアナウンスが出てからもう2か月程たったでしょうか?そろそろころあいかなという訳で遊休のパソコンにご出馬を願ってインストールしました。WindowsVista時代のものですが主記憶RAM2GBでそこそこ動きます。一応Windows8.1をインストールしてあったのですが殆んど使っていませんでした。理由は起動が遅いからです。主機はSSD256GBを載せたWindows7です。使い慣れているので通常はこのパソコンを使っているのです。今回インストールしてみて驚いたことは、Upgradeする際のユーザーインターフェースの判り易さ、簡便さです。先日もチューナーと録画用の磁気ディスクを取り付けた時にも同じような感想を書きましたが、今や簡便なユーザインターフェースを備えた機器でないとサポートばかりが大変で、利用者も使いたくなくなりますね。こういう裏方の仕事で良し悪しが決まるフェーズに入ってきているのですね。Windows10の正式発売は今7月だとか言われていますが、起動時の画面もWin7時代に戻したかのようにタイル表示とスタートアップメニューとの同化が始まったようです。

2015年5月6日水曜日

庭の花

五月晴れが続くゴールデンウィークも明日で終わりです。庭の掃除をしている序でに小さな花々を撮りました。スマホでズームにすると流石にピントがぼけてしまいます。左側の「名前知らず」は去年テニスクラブで貰ったもので花瓶に挿してあるものを植木鉢に挿し木したら根付きました。強いもののようです。「都忘れ」に似ているとか言われましたが今度名前を教えて貰います。

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2015年5月3日日曜日

西 鋭夫:「国破れてマッカーサー」

戦後70年。色々な意味で日本が迎える一つの曲がり角かもしれませんね。憲法改正のための手続きなどの周辺の法律整備も整ってきました。なにを変えたいのか明らかにすることもなく変えられる態勢は整えるというフェーズから、愈々憲法改正ができる国会の勢力地図も確立できて、第3段階の具体的な改正の論議へと進んでいくことでしょう。日本国憲法が占領軍アメリカからの指導で作られたものであることは周知のことですが、だから全部を書き換えるという無茶はできませんね。その理念、天皇制の問題、第9条の問題・・・日本人は何を守り何を変えたいのでしょうね?西 鋭夫(にし としお1941年)という人は、スタンフォード大学フーヴァー研究所Research Fellow 主任研究員を経て日本大学国際関係学部教授。最近やけに情報発信を激しくしているので、気になっていた。どういうことを言っているのか知っておくことは有益と考えて代表的な著作の一つを借りて読みました。

タイトル通り、70年前マッカーサーが厚木飛行場に降り立ってから日本を去るまでの間にやったことを克明にアメリカの極秘文書から書き起こした労作ではありました。彼の調査と解析から得た結論は、以下の文章に要約されているようです。
・第九条は「平和の美徳」や「戦争の悪」という「善悪の問題」以前の問題であると思うからだ。第九条は、「生きる本能」、命を護る「自衛本能」を否定す る。第九条は、男が女や子供を護る「本能」を「悪」とする。親が子を護る、子が親を護るという「生命」の自然な「本能」を、「戦争」「武力の行使」と卑下 した幼稚な空想が第九条。・・・女子供を護る本能を萎縮させられた日本の男が、戦後日本を、勇気もない信念もない怯えた群集にしてしまったのだ。怯えた国 民は、強い用心棒を雇う。高い銭を出し、強いアメリカ兵を雇う。・・・用心棒を雇い、飯を食わせ、銭もやる。この状態を「平和」と呼び、「平和憲法」「平 和教育」と、恰も平和踊りを輪になって舞っている日本国民・・・
・マッ カーサーのモルモットとして、世界から隔離された彼の実験室で、日本が学ばなければならなかった新しい宗教であった。国連が日本と世界を争いから救うとい う信仰である。
・「国」とか「誇り」という考えそのものが、戦争をはじめる悪性の ウィルス菌であると教育された。この恐るべき、かつ巧妙な洗脳には「平和教育」という、誰も反対できないような美しい名札が付けられていた。・・・この独 善が、憲法第九条となり、日本のアメリカ依存を永久化しつつある。第九条は、日本国民の「愛国心」「国を護る義務・責任」を殺すために作られた罠だ。
・「内政干渉」などしなくとも、日本の首相は世界の征夷大将軍・アメリカ大統領がお住まいのワシントンへ参勤交代をする。飼い馴らされている。日本がアメ リカに忠誠を尽くしても、アメリカ経済の体調がおかしくなると、アメリカの機嫌が悪くなり、日本が殴られ、日本の経済はアメリカの食い物にされる。アメリ カ国民によい生活をしていただくために、日本国民は膨大な貯金をし、その金でアメリカの、これまた膨大な国債を買う。買わされる。それでも、まだ殴られ る。軽蔑される。

世界経済の複雑に絡み合ったダイナミズムと政治がリンクしている中で、どういう道を模索していくか、西氏の言っていることも勇ましいが、それほど単純でもないのではないか?

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...