2011年5月11日水曜日

福島原発事故(8):メルトダウンの真実

1~3号炉のどれについても同じことが言えますが、日々注水している水量と圧力容器に溜まっていく水量の差は漏れ出て原子炉建屋やタービン室に溜まっていきます。地下にも漏れていきます。若干の蒸発量は大気中に拡散していきますがたいした量ではないでしょうね。といってもそれが今各地の大気汚染をもたらしている訳ですからそれなりの量ではあるのでしょうね。しかし、大部分は漏れているのですから、地下から海へと垂れ流しになっているのは自明のことです。その漏れ出ている量が多ければ、圧力容器内に溜まっている水量は少なく、燃料棒は露出して、高熱となり、メルトダウンしていきます。今日そのことを東電がはじめて公式に認めました。でも、皆そんなことは90%以上判っていました。東電も保安院も言わないので、ひょっとしたらメルトダウンまでは行っていないのかも知れないと淡い期待を抱いていました。自分も含めて冷静に「やっぱり、ダメだったんだ」、で、どうなるの?という程度にしかショックを受けませんでした。これが、政府などを含め、「本当のことを言ったらパニックを起こす」と判断した所以のことなのでしょう。一事が万事、このスタイルで進めるのでしょう。しかし、3基の原子炉から漏れ出る放射線量はチェルノブイリに匹敵する量になり、或いはそれを超えるかもしれないという正に「レベル7」の規模の事故だったということが事実として示されることでしょう。大規模な爆発で数百キロも飛散させなかっただけのこと。でも、風向き次第で東西南北に撒き散らしています。神奈川や東京でもかなりの放射線量を検出しているという事実が示している通りです。

2011年5月7日土曜日

「もしドラ」後半

今日は雨。色々な雑用はあるものですね。今年は5月から町内会の班長さんが順番で廻ってきましたので益々、色々やることが増えました。中でも月に1回の防犯パトロール担当になったのが大きいみたいです。精神的な拘束力がありますね。それやこれやをやり終えて、先週5日間放映された「もしドラ」後半を続けてみました。最後はやはりなかせるシーンがアニメにぴったりでした。高幡不動と思しきお寺と5重の塔が描かれていたり、多摩川を渡る京王線らしい風景も身近さを感じさせるものでした。前半は小説の方がドラッカーの「マネジメント」を少しでも理解するには良いと感じましたが、後半はアニメの方が良かったような気がしました。ストーリーが見ていますからね。

2011年5月4日水曜日

最近読んだ本

城山三郎:「押すか、もう君はいないのか」・・・これはフィクションではなく、奥さんをなくした老境の人の話。

川上弘美:「真鶴」・・・子供を得て間もないカップルの男が突然失踪して早7年、原因もわからず、生死も判らない。宙ぶらりんのままでの喪失感。

2冊に共通するものは、「失ったもの(人)の大きさ」に戸惑い、そこを乗り越えようと努力している人の姿を描いている点。今夏の大震災のような天変地異ではなく、しかしごく普通にも人は死んで行く。残された人に漂う喪失感をどう乗り越えていくのか?年齢によって違うでしょう。また、男性と女性とでも違うでしょう。この組み合わせだけでも4通りの喪失感があるわけですね。

偶然図書館で手にした本特に内容も吟味せず選んだ本がこんな共通点を持つものだとは読むまで知りませんでした。そしてその間に東日本大震災が起こり、2万数千人の死者・幾重不明者を出しました。このタイミングの一致には偶然とはいえ、不可思議を感じました。

2011年5月2日月曜日

NHK:「もしドラ」前半が終了

前に読書報告した「もしも、女子高校生がドラッカーを読んだら」がアニメになって放映を開始した。もっと前に放映されるはずだったのでしたが、311の東日本大震災の発生で番組変更になり、それがようやく先週5日間で前半を終了しました。アニメらしくわかり易いのですが、ピーター・ドラッカーの経営哲学を理解するには本だとできる「読み返し」がテレビではできないのが難点になっていないでしょうか?理解度が大幅に薄まるような気がします。でも今日からまた広範が始まります。ビデオにとっておいてまとめてみる予定です。

2011年4月28日木曜日

天気予報も怖くなりました

とうとう天気予報に「放射線情報」が登場するようになりましたね。
「洗濯指数」、「花粉情報」などは可愛いいものですね。古くからの「台風情報」の延長線上で「土砂災害警戒情報」や「洪水警報」などは理解できるところですが、それに最近は「竜巻注意情報」が加わりました。そして恐い音色と共に震度4以上の地震発生を予告する「地震速報」がレパートリーに加わってきました。
流石に地震国日本の気象庁ですね。他の地震国といえどもここまでのシステムを完備している国は世界でわが国だけではないかと思っていました。誇るべき技術の一つでしょうね。最近は設置してある地震計が東日本大震災で打撃を受けて的中精度が落ちていますが、概ねうまく機能しているように思います。音に対する苦情が聞かれますがあれも、先の大震災の恐怖を思い出させる故でしょうね。あれほどのダメージを受けたので一旦音色は変えたほうが良いのかもしれません。

それにしても、「放射線情報」は恐怖ですね。目に見えないウィルスのようにわれわれの体を蝕んでいく悪魔の影を感じますね。SFの世界で扱われてきた架空の世界の恐怖が現実の世界に忍び寄っているような感覚を覚えてしまうのは私だけではないのではないでしょうか?

2011年4月23日土曜日

国産のロボット

影が薄いですね。今回の原発事故でも存在感ゼロでしたね。国際的な巨大地震やわが国の地すべりや火災時に人の手ではどうしようもない事態に対し、ロボットの力で何とかならないのかという思いがありながら、本気の開発や導入がこの国ではまったく行われていなかった。どうしてなのでしょうね。

ハイテクといわれる技術や新素材がゴルフクラブやスポーツウエアにはどんどん使われていくのに、科学技術の分野での導入はいつも後回しという風潮がありましたね。日本は軍需ではなく民需。売れるか売れないか、儲かるか儲からないかという尺度しか使われなくなって久しいのでしょうね。

無人偵察機、無人攻撃機、無人戦車などの兵器開発。USAの産軍複合体の底力だけとはいいたくないですね。 危険回避、本当の意味での人命尊重を考えれば、ロボットの活用場面はいくらもあったはずですが、メーカもユーザもそこは素通りしてきた報いを今受けているのですね。

残念の一語に尽きます。

2011年4月22日金曜日

USAの底力

「友達作戦」に助けられることの大きさに改めて感慨を覚えませんか?この感慨は極めて情緒的で説得性に欠けるとは重々承知ですので、あまり正当性を主張できませんが、思い当たることはあると思います。
1つには持てる底力の大きさです。それは物量面だけではなく、実行力というか実行に移すだけの情報収集力とその分析力に裏付けられた行動力にです。福島原発事故への対処はこれはもう「戦争」と変わりませんでしたね。いくさの仕方が理にかなっているように思えました。「敵を知り、己を知れば百戦危うからず」ですよね。東電や政府の事故対応力には大変な心もとなさを感じます。前にも書きましたが、例えば必死で原発内で働いている現場の技術者や作業の方々は正に戦争で言えば「兵隊さん」です。この人たちを粗末に扱って省みない態度。これ一つ取って見ても、本当に戦に勝つための手を尽くしているとはとてもいえませんね。兵を半ば使い捨てるような態度。何とか英雄が出てきて身を犠牲にしてでも救ってくれといった態度。こんな体質では何事にも大きな成果を期待することは無理なのではないでしょうか?あらゆる事態に対して「英雄」や「カリスマさん」は要らないのです。当たり前のように手順を踏んで淡々と事故を沈静化させれば良いのです。野球でいえば、トリッキーなファインプレーではなく、体の真正面まで走って処理するのが基本でしょう。

ここまで書いてきて、そういえば前に評判の良かったテレビ番組「プロジェクトX」のことを思い出しましたが、あそこでも劣悪な開発環境の中で、いかに創意工夫したか、は十分語られていましたが、その中でも個人やチームの努力に依存するばかりで、組織として本当に機能して新製品が開発されていったケースはあまり紹介されなかったような気がしました。日本人というのは研究や開発といった前例のないこと、未知なることへの取り組みは本当に不得意な民族のような気がします。日本人は個人プレーより組織プレーに長けているというのもどうもウソのような気がします。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...