2014年3月18日火曜日

姜尚中:「心」

確かこの方の息子さんが心の病で自ら命を絶ったとか・・・図書館から予約の知らせで若干、重い心を引きずりながら本を手にしました。ある若者との人生相談のようなメールをやり取りする形でお話は進みました。昔青春時代にはあの頃、通過義務のように感じて読んだ三木清の『人生論ノート」を思い出すなぁと何が書いてあったのかは全く思い出せないままでしたがそう感じながら読み進みました。3.11でその若者は趣味で取ったライフ・セービング(救命士)の資格を生かして、海底から死者を引き上げるボランティアを引き受けます。若者が突き付けてきた「生」、「死」の意味をどう見出していくべきかが語られていました。その中から。
「死の中にはその人の人生の『記憶』があり、その人の『過去』がある。何者によっても否定できない故人の過去こそが死者に永遠の時間を与える。
人の「死」によってその人の「生」が輝きを増す。
同じことを繰り返し表現を変えて書いているところが印象に残りました。
この本を読んでいる最中にその3.11からちょうど3年目のその時を迎えるという偶然も体験しました。直接の死者・行方不明者18,534人、その後の関連死2,688人という。改めてそれらの方々のご冥福を祈らずにはいられません。

2014年3月17日月曜日

若手落語家選手権

相模原市で開かれて今年は13回目になるという。その決戦の日にNさんが入場券を手に入れてくれて行ってきました。これは2つ目の若手落語家を5人ずつそれぞれの演目を演じ、観客が投票で1位を選ぶという形式で4回、計20人の若手落語家が競い、その中から4人と敗者復活戦で1人の計5人が決勝戦に勝ち進み最後に最優秀者が決まるという趣向のものでした。私が見たのはその決戦の日だったのです。いづれも熱演でそれなりに面白かったが、結構聞き比べると話術に差があるものだということが判りました。そして圧倒的多数で優勝者(立川志獅丸 「青菜」で)が決まりました。その演者は1年間、相模原市の各種のイベントに顔を出したり、出前公演の依頼を一手で引き受ける特権を与えられるのだそうです。町おこしにもいろんな手を考え出すものですね。最後に真打が1席、今回は柳亭市馬が「笠碁」を演じたが流石に落ち着きのある中にユーモアを散りばめて好演でした。真打という貫録を示し、落語の奥の深さを知らしめるものでした。久し振りの落語鑑賞でした。

2014年3月15日土曜日

佐渡裕:ベルリンフィルを指揮

朝のBSテレビを何気なく見ていたら、アーカイブスで2011年放映の「佐渡裕、ベルリンフィルを指揮」というようなタイトルのドキュメンタリ番組が始まり、思わず見入ってしまいました。その年の6月にベルリンフィルの指揮を振ったのでした。そのことは記憶にもありました。あの3.11が起きた後でした。当然その1年も前から6月に指揮をすることは決まっていたわけですが、客演指揮というものの怖さがビンビン伝わってくるものでした。指揮者という職業の過酷さを思い知らされる映像でした。「一期一会」という言葉がありますが、オーケストラの団員からは「今度の指揮者は何者なのだ」、「どこまで曲を理解し、どういう表現をしようとしているのか」見極めてやるぞ・・・と待ち構えているわけで、最初の10~15分ほどで勝負は決まると言っていました。成程、判るなぁ。オーケストラの団員の言葉。「自分たちの名誉にかけて変な演奏はしたくない。だけど指揮者の表現したいことがよく判らないと思った瞬間に、皆で自分たちのハーモニーを適当に作り出すんだ」、とクールに話す。人と人との出会いでもその人の第1印象で殆んど相手の全体像が判る、そんなものですよね。1人の指揮者と100人近くのオーケストラ団員とのファーストコンタクトもやはり10~15分で決まるということでした。100人の団員の心を掴んで1つの曲を指揮者の表現したいように演奏させる。指揮者に求められる力量というのは凄いものです。ベルリンフィルでの客演指揮者に与えられる練習時間は2時間を2回、計4時間なのだそうです。佐渡裕がどの程度受け入れられ、認められたのか映像からだけでは十分には伺い知れませんでしたが、100点満点で70点程度だったのかなぁ、というのが印象でした。全くノーではありませんが、完全にブラボーというほどでもないといったところでしょうか?客演を依頼されるということはそうそうあるものではない(ベルリンフィルではオーケストラ団員の意見で客演指揮者は選ばれるのだそうです)ので再演を依頼されるのもこのあと数年後かもしれないし、10数年後かもしれない、もう全く呼ばれないかもしれない・・・そういう不安感を自分の心に刻み込んでまた次の演奏に全力全霊を注ぐ、これしか指揮者がやれることはないのでしょう。常に「一期一会」の世界を武者修行しているのですね。厳しい世界です。

スマホの電話料金を下げる

スマホで掛ける電話料金を下げる方法を機会あるたびに考えていました。きっかけは家のネット環境をケーブルテレビ回線からNTTの光フレッツに変えた時からでした。光フレッツのサービスに050で始まるインターネット電話のサービスがあったからでした。契約から2か月の無料サービスがあったので使ってみました。その結果は「あまり使いたくない」でした。料金がほぼ1/2になるにもかかわらずです。その理由は(1)電話番号がもう1つ追加になる。それを周知させるのは大変。友人知人に一々説明がいる。(2)音声品質が悪い。(3)切れやすい。インターネットがADSL化されたとき一時大ブレークしました。無料でかけられるとか・・・。その時と状況に変わりはありませんでした。考えてみれば使っている技術に大きな変化はないので当然と言えば当然です。ところがここへきて「らくてん電話」というものを発見しました。去年の12月からサービスを開始しているものでした。それによると、(1)電話回線を使っているので音声品質は良いです。(2)通常の携帯の電話番号がそのまま使えます。(3)通話料金は、30秒/10.5円と従来の携帯の半額です。(4)携帯電話、固定電話にも区別なく使えます。(国際電話は無理)(5)初期契約料金、毎月の使用料金は無料。(6)使用料金に対しては楽天のサービスポイントが付与されます。(7)楽天の会員になっている方なら1分で使えるようになります。良いことずくめです。インターネット電話の弱点はすべてクリアしています。ここは見逃すわけにはいかないと加入してみました。しかし、どうしてこんなサービスを提供できるのでしょうか。それも疑問でした。その秘密は、『IP電話とは違ってアプリから通話すると「0037-68-」の番号が付与されフュージョンの電話回線を利用して通話する』というシステムを取っているらしいのです。そういえば、フュージョンという会社がキャリア業者として名乗りを上げた時期がありました。電話料金が距離によってサービス料金に違いがあって、我が家でも長距離の時はフュージョンの回線を使うように契約した時期がありました。結局、キャリア同士のサービス競争で料金差はなくなり、消費者を巻き込んだサービス合戦は終わりました。支払いが業者ごとに発生するという煩雑さだけが我々に残りうやむやになってしまいました。ですからあのフュージョンか?と一瞬目を疑いましたが楽天の傘下で通信キャリアをサービスする仕事を続けていたのです。しかし、まだ疑問のすべてが解けたわけでもありません。電話回線であること、したがって音声品質にも自信があることの理由はわかりましたが、半額でサービスを提供できる説明にはなっていないからです。もう少し調べてみると、秘密の1つが判りました。それは携帯電話サービスに既に存在している「同一会社間の通話が無料になるというサービス」がこのらくてん電話では識別されず、一律に30秒/10.5円の料金チャージがかかるということです。通話する相手が他社の携帯だと分っている場合にこのらくてん電話は価値があるという訳です。それでも利用する価値はありそうですね。相手がどこの会社と契約しているかが判っている場合には積極的に使い分けするとお得ですね。それで早速、加入してみました。最初にパソコンで楽天のサイトに入り「らくてん電話」に加入の手続きをします。すでにらくてん会員であるならいとも簡単です。らくてん電話を利用するためのサービスコードを取得し、あとは携帯電話で「らくてん電話」のアプリをインストールするだけでした。ものの1~2分で確かに簡単にできました。電話帳もすぐにこれまでのものが出てきました。でもまだ使用していませんので本当の使用感は報告できません。

2014年3月12日水曜日

とんだドジ

定例のNPO例会のために町田まで出掛けた時のお話。町田駅で下車直前に、目の前で起こった老婦人の持ち物散乱を手伝い、無事下車させて「一寸良いことしたかな」と思った途端に自分の持ち物を置き忘れてくるというドジをしてしまいました。網棚に置いておいたデバックにはiPadの他にお財布まで入れてあったのです。アッと気が付いたときは、電車のドアは無情にも閉まり後の祭り。直ぐさま駅の窓口に申告しましたが終着駅の東神奈川までは駅員がチェックすることはできないと言われ、その返事待ちということになりました。NPO例会の帰りに再度、事務所に立ち寄り再度確認して貰ったところ、「東神奈川駅でそれらしきものを確保できている」とのことでホッと胸を撫で下ろして帰途についたのでしたが、今日午前、東神奈川駅に出向き手元に戻ってきました。人様の世話を焼いている場合か?とのお叱りを受けそうなことですね。一寸した幸せ感の天から地への逆転劇も何とかハッピーエンドとなりました。中身を改めてみましたが今のところ、紛失したものは無いようです。日本の「安全な国」のイメージは健在であることが改めて認識させられました。有難いことです。そして凄い国ですね。

2014年3月10日月曜日

ソーシャルメディアの安全な使い方

3月8日、講習会に参加してきました。FaceBookなどSNSと総称されるメディアは利用の仕方によっては大変有益ですが、使うに当たって注意して個人情報を扱わないといろんな情報が洩れていきます。ただ怖がっていても仕方がないのであって正しい設定の元で利用すれば世界が広がります。最近ではいろんな商品知識を入手するのに最も便利な方法はネットで検索などで調べることですが、有名な大手の会社の商品もFaceBookを利用して紹介していることが増えてきました。それは閲覧してくるお客様の客層を調べるいわゆるマーケッティングにとても便利だからだと言われています。まして閲覧しに来たお客様がFacebookなどのソーシャルメディアを利用している場合はそこに登録してある情報から、セキュリティで保護していない詳しい情報を入手できるらしいのです(きちんと保護してあれば大丈夫なのです)。安全で利口な利用法を利用者側も知っていることが大切になってきます。そこら辺りのことを勉強しに行ってきたわけです。パソコンの相談に乗ったりしているアドバイザー役を十分に全うするためにもお勉強が欠かせません。とてもためになる講習会でした。

2014年3月9日日曜日

今年のウグイス

今年の寒さは異常に思えるのですが、ひょっとしたら年齢のせいかもしれない。寒さが堪えるようになってきただけで実はそれほど異常なことではないのかもしれない。でも、いつもは疾くにウグイスの鳴き声を聞いているはずなのに・・・。今朝は日曜日、早起きしなければならない予定もなく、布団の中で耳を澄ませてウグイスの鳴き声を探っていました。実は昨日、一声でしたがウグイスと思しき小鳥の鳴き声を耳にしていたので、絶対来ているはずだと思って耳をそばだてていました。案の定、来ていました。遠くで鳴き声がしているのです。その気で聞き耳を立てていればもっと早く確認できていたのかもしれません。これまでで最も早く確認できていたのでは2008年でその時は2月17日でした。それに比べると20日近く遅いのです。でも去年に比べると1種間程度の遅れですから、自然というものの大きな流れは大差なくやってくるもののようです。ブログはこんな時にも役に立ちます。春は近い…と言っても明日朝も零度を下回る寒さになるという。「春よ来い」の歌で呼び寄せようか!

2014年3月5日水曜日

なかにし礼:「赤い月」(下)

波乱万丈で森田酒造主人勇太郎とその妻、波子の運命は成功の絶頂から奈落へと転げ落ちていきます。ソ連軍の満州侵攻が始まったのです。昭和20年8月9日。そこから牡丹江脱出、ハルピンに到着して日本人避難民収容所入り。1年後に帰還が始まり日本に帰りつくまで一気に読みました。この読んでいる数日の間に、NHK朝の連ドラでは、西門家の当主、悠太郎は満州に軍属として単身赴任し、大阪は空襲でめ以子一家は焼け出されました。これはドラマの世界ですが、リアルの世界では、ロシアがウクライナ領であるクルミア半島で事実上支配下に置いた。プーチン大統領は戦争する気はない、本土に進行するつもりはない、と言っているがそれは取引の上の条件付きであることは明らかでしょう。今時でもこんな露骨な干渉がまかり通るのですか。力を背景にした有無を言わせぬやり方を見せつけられると暗い気持ちになりますね。読んでいる本と同じことがドラマやらリアルの世界で展開される偶然、に驚いています。70年前と同じことが繰り返されているのです。ベトナムやアフガン、アフリカ、アラブと続いてきた戦争は被抑圧側と抑圧側との争いであるのに対して今回のウクライナ問題は、冷戦時代の延長戦にあるような体制間の争いを再現しているように感じます。日本では安倍首相が一人ほくそえんでいる図柄が眼に浮かぶようです。彼は危機感を煽る舞台装置をこそ待ち望んでいるからです。近間に、中国や北朝鮮の何をしでかすか判らない国々を持っているわが国にとって確かに、平和憲法を守り通すことの難しさを感じさせます。偶然が重なることで歴史が大きく変わった過去を思い出します。冷静さを失わず、問われる民意の中に賢明さを出さなければいけない正念場に立たされていることを感じます。

2014年3月1日土曜日

なかにし礼:「赤い月」(上)

なかにし礼の自らの体験を基に書かれた自伝的長編小説。上巻は昭和20年8月9日、ソ連軍が突如満州に攻め込んできた。牡丹江で酒造業を営んでいた森田家。大成功を収めた絶頂からいきなり奈落の底に転落。2人の子供と女中たちと共に牡丹江を脱出する森田波子の逃避行と満州に故郷小樽から飛び出した経過が綴られている。波乱万丈のお話だ。満州の荒野に落ちる夕陽の凄さを描いてはいるが、表題となった「赤い月」の由縁はまだ判らない。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...