2012年1月30日月曜日

東山魁夷:「風景との対話」

もうかれこれ1年ほど前から、この本を少しずつ読みつないできてようやく最後のページをめくった。自分が取り組んでいる水彩画に何か心構えなどでヒントが得られるのではないかとこの本を手に取ったのでした。確かに「どういう心境でその時その絵を描いたのか」というような執筆の姿勢が思った通り、参考になりそうでしたが、逆にそのような心象の所を理解するにはしっかりと読まないといけないということが多く、なかなか進まなかった。おまけに図書館から面白い本を日にち限定で借りてくるのでそれを優先的に読むということが重なって、1年がかりになりました。でも、参考になることが多かったなぁと思います。自分の心境に沿って絵のテーマや表現方法が選ばれていることに気付かされました。かといって自分の絵がどのような影響を受けているのかはわかりません。でも絵に向き合う姿勢では学ばされたような気がします。

2012年1月29日日曜日

梁石日:「海に沈む海」

この作者との対面は今回が2度目です。画家「黒田征太郎」の青春時代を基にしたというト書きに惹かれて読むことにしました。「黒田征太郎」はニューヨークで修行してきたグラフィックデザイナーというか、現代アート作家(画家)というか行動派ですね。案の定、凄まじい青春時代を過ごしてきたことがこの本を通して知ることができました。16歳で家出をし、船員としてLST(上陸型運搬船)で朝鮮戦争当時の沖縄から韓国、台湾、ベトナムなどを航海したり、大阪で怪しげな密輸品の販売などを手がけたり、ともかくも破天荒です。ニューヨーク時代もすごい。あとがきで親友が名前も変えてはあるが、ほとんど知っている人には思い浮かぶ実在の人物が思い浮かぶほどリアルなのだそうです。黒田は現在もニューヨークに在住しているようですね。

2012年1月26日木曜日

ホームページ用のローカルサーバ

今年の冬は久しぶりに寒いですね。当地八王子に引っ越してきたのは1980年でしたが、その頃の第1印象はもっと、もっと寒かったような記憶がありますが、それを思い出させるような昨今です。23日夜から降り始めた雪は我が家では20cmを超えていました。あたり一面の雪景色は見事なものでした。24日の朝日がまた一段と輝かしく見えました。こんな中ですから、逆に落ち着いて家でいろんなことが出来ました。

先日の無線LAN開通に引き続き、1年も前から懸案にしていた、ホームページ用のローカルサーバをもち運びにも便利なUSBメモリ上に構築する作業をしました。XAMPPというフリーソフトです。アメリカでは大変優れたソフトがメーカから販売される前に、開発者が必要に迫られてのことでしょがフリーで公開して使いやすい環境を開発して効率アップを図る文化があるようです。昔(1980年代後半)、シリコンバレーのベンチャーIT企業を訪問した時もわずか社員4名くらいでも素晴らしい企業内LAN環境を使い、仕事をしているのを目のあたりにして彼我の違いを感じたものでした。それはともかく、USBを2個使い、4GBのUSBには簡便なXAMPP Liteを8GBのUSBには完全版をインストールしました。USB版にしたのは多少の応答時間を犠牲にしてもポータビリティの方を重要視したからです。ウェブサーバを持ち歩くことができるわけですから、実在するサーバを使わなくても新しいホームページの開発をして、サンプルであったり、開発の途中状況をお客様に事前にチェックしていただけるという訳です。今、盛んに愛用しているWordPressというホームページ構築用のソフトもこのXAMPPの上に乗せることでいろんなことが試せるので楽しみです。

2012年1月24日火曜日

読書量

昨日、このブログで東野さんの読後感を書いた後、さて、このところの読書量はどうなんだろうと、ブログで読書のカテゴリーを開いて数えてみました。こんな時ブログは便利ですね。たちどころにカウントできました。去年は25冊読んだと判りました。月に2冊のペースです。とはいうものの読書とは程遠い就寝前の導眠剤として娯楽性の高いものばかりが並んでいました。方向もメチャクチャ。まぁ気ままな読書で良しとしようか!でもすこし骨のある物にも手を出してみようかな・・・・

2012年1月23日月曜日

東野圭吾:「さまよう刃(やいば)」

東野圭吾が書く小説の題材はいつも重いという印象が強いので手を出すのにいつも躊躇してしまいます。今回もどうしようか、図書館の本棚の前で出したり返したりして遂に借りてしまいました。読み始めるとやはり重い題材でした。非行少年たちに蹂躙された娘の親は元ライフル競技の選手だったが、それを使う前に、少年たちの1人からの密告電話で犯人の1人のアパートで犯人の1人と遭遇して殺してしまう。レイプ現場でビデオを撮っていてそれを見た直後たったのだ。あと1人実行犯がいる。「未成年者の殺人犯では大した刑に服することはないこと」は良く知られた事実である。そのことからその親は自分で罰する、いわゆる私刑を決行しようとするお話でした。厳しい状況設定です。刑事たちの中にも同情論が根っこのところにはある。逃げる未成年の犯罪者を逮捕しようと追いかけ、もう一方では、被害者の親はその犯人を何とか独力で捉えようと追いかける。警察としては同情論とは別に被害者の親が犯罪者を殺害することを警察のメンツにかけても阻止しようと必死に追及する。そして最後に、上野駅の付近で警察、未成年の犯罪者、そして被害者の親。最後の結末へ凄い緊張が走る。結末は言ってしまっては作者に申し訳ないので興味のある方は読んでください。そして法律というものは犯罪者、被害者に対して何をしようとするものなのか、偶にはこういうことも考えた方が良いのかもしれません。これが国家間だとしたらどうなのでしょうか?

インターネット:モデムを変えたら???

我が家のネット環境はCATVです。特別にケーブルテレビの特別なチャンネルにこだわりがあるわけではなくて、アナログ時代の地上波テレビの電波が届きにくい環境にあるために加入しました。その後、ネットの高速化の謳い文句に惹かれてそれに加入すると同時に携帯もたまたまauを使っていたところから固定電話まで一括してすべてCATV経由の契約に変えました。こうなるとここから抜け出すには余程の動機がないとできません。そうこうしているうちに、今回ネットの高速化と同時に単価も引き下げるというキャンペーンが始まりました。ネットの速度が下りで160Mbpsということです。音楽や画像をネットでやり取りすることが当たり前の時代になり、特に下りの高速化は必須ですので飛びつきました。おまけに毎月の費用も少し下がるという耳寄りな話なのです。そしてモデムの交換が18日。ところが、この日からネット環境が不安定になり今日までネット接続機器との格闘に3日間明け暮れました。高速モデムが悪さをしたわけではないのですが、そのモデムの下に置いたルータがおかしくなったのです。つながったり切れたり、というより偶につながるという始末の悪さなのです。デジタルの世界ですからこんなアナログ的な障害はまったく納得がいきません。ケーブルテレビ会社のサポートとのやり取り、フィールドサービスが来るとルータが良いところを見せて直ってしまい、帰るとそのすぐ後では動かなくなる、という状態でした。遂にはルータのメーカーとの技術サポート。結論的には機器のハード劣化か、あるいはプロトコル解釈をしているファームウエアが新しい変化をサポートしていない(できない)、などの理由から買い替えを暗示する始末。購入して6年目は、この種の機械ではプロトコルの変化は著しいものがあるのはわかるので、やむなく昨夜になって駅そばの量販店で最新機器に買い換えました。ついでに以前から切り替えたかったワイヤレス化もしておこうということにしました。新型のルータは正に設定についても隔世の感あり、の容易さで驚きました。そして気まぐれ振りもぴったりなくなりました。凄いものですね。ワイアレス化も以前は電波が弱くて届かなかった家の1階と2階の間も苦もなく電波強度もほとんど落ちることなく通信できるのでした。6年の間の進歩の大きさに驚嘆しました。通信の世界では本当に時代遅れになっていたことを痛感させられた昨日今日でした。ヤレヤレ。

2012年1月22日日曜日

インターネット:無線LAN は快適

家の中のLANが優先無線共に連携が成り、おまけに無線が強力で家の中のどこででもインターネットが使えるようになり誠に快適になりました。契約の日程から本当に高速になるのは2月からなのですがそうなる前から別の副産物で快適感を味わっています。本当に高速化された時の実感はどのようなものなのでしょうね。最近、話題になっている高速通信を用いた携帯端末では下り40Mbpsが限界といわれていますから、その4倍速が実現できるということですから凄すぎます。実感としてはわからないかもしれません。それでも家でインターネット放送で海外の音楽番組を聴いていると時々、ダウンロードが遅れて音楽が途切れることがあるのですがそれは解消されることでしょう。そして、テレビ画像のオンデマンドが現実性を帯びてきました。自宅にビデオデッキを設置する必要性がほとんどいらなくなりますね。
どんどんこの世界が変化していく中で、政治の世界だけは旧態依然とした議論が行き交っているのは奇妙にすら感じられます。

2012年1月20日金曜日

メモ:gif画像を使ったパラパラ動画を作るフリーソフト

giamというフリーソフトが色々なホームページに使えそうです。使い方を調べてみる必要があると思いメモしておきます。

2012年1月15日日曜日

久木綾子:禊(みそぎ)の塔

久木さんの第2弾です。これは、山口から一転して東北の羽黒山にあるという五重塔にまつわる創作で「羽黒山五重塔仄聞」という副題が付いていました。これも五重塔を建てようとする職人たちの格闘を五重塔に思いを込める修行僧たちとからめた物語でした。前作に比べると少し飛躍が目立つような気もしました。でも、どちらの塔にも行ってみたいような気にさせる力作でした。

2012年1月9日月曜日

日本の人口

今年頂いた年賀状の1枚に、「日本の人口は30年後には3000万人減る」とあって驚きました。自分が見守れる時間軸ではないのですが、半信半疑でネットで調べてみました。

日本の人口が最高になったのは2006年の1億2779万人でそれを境に下降線を辿りはじめたということです。そして2050年には9515万人になるというのが国立社会保障・人口問題研究所の「日本の将来推計人口」(2006年12月推計)だということです。これによれば2040年ごろには1億人を切ることになるのでしょう。そうすると最高時から見ると2800万人減ということになる訳で、色んな推計値もあるとすれば、丸めた数字で表現すると「30年後に3000万人減る」というより、「30年後には1億人を切る」というのがより適切な表現かもしれませんね。

因みに1億人を突破したのは何時だったのでしょうか?これも調べると1966年から1967年ころのようです。その時自分は26歳位。独身でサラリーマン4年生位で毎日、満員バスに飛び乗って川崎の工場に通っていました。鶴見にあった独身寮からは京浜工業地帯の、といってもほとんどは日本鋼管の製鉄所が吐き出す7色の煙を見て日本の工業地帯の真っただ中に自分が立っているのだなぁと感慨を覚えたのが記憶に鮮明です。その頃そのようなテーマで確か木下恵介が「この天の虹」というタイトルだったと記憶しています。そんな映画もありました。高度成長期の夜明け前ですね。2040年ころ日本はどんな風景になっているのでしょうか・・・・。

2012年1月7日土曜日

久木綾子:「見残しの塔」

九木綾子という人は、1919年東京生まれといいますから、多分今年93歳になろうかと思われます。その方の処女作は2008年、この「見残しの塔」だったのだそうです。この時すでに89歳だったそうです。この人と作品のことはNHKのラジオ深夜便で知りました。去年の確か7月頃だったと思います。小説に取り組みだしたのが平成元年とありました。構想14年、執筆に4年掛けたのだそうです。平成16年から19年にかけて「周防の国 五重塔縁起」の題名で「文芸山口」に連載されたそうです。「嘉吉二年二月六日/此のふでぬし弐七/年みずのえいぬむま(うま)時」・・・・山口にある瑠璃光寺の五重塔の解体工事の時に発見された巻斗(五重塔を支える一本の側柱の斗形(ますがた)に書かれた花押。これを見た作者が著したいと心底から念願してこの物語ができました。この五重塔は日本3大5重塔の1つといわれるほどの美しい塔だそうです。壮大なスケールのロマンに仕上がっていました。そして、あとがきに記した著者の色んな方々に教えを乞うたその経緯が綴られていて、これを読んだだけでどれほど丁寧に勉強して書かれたものなのかを実感しました。専門家でないものがこれだけを書くには各界の学識と色んな知識が無くては書けないでしょうね。この高齢でこのスケールの大きな発想、そしてじっくりと書き進めていった持続力に脱帽です。この方はさらに、もう1冊、今度は「羽黒山」に由来するお話を書かれました。次はそれを読もうと思っています。凄い!

2012年1月6日金曜日

初春2

<p style="text-align: left;">行列待ちをしていましたら、建物と建物の間に、スカイツリーが輝いていました。</p>
<p style="text-align: left;">こんなところからも見えるんだ!<a href="http://www.kisas.co.jp/wp-content/uploads/2012/01/20120102skytree.jpg"><img class="alignright size-full wp-image-501" title="20120102skytree" src="http://www.kisas.co.jp/wp-content/uploads/2012/01/20120102skytree.jpg" alt="スカイツリー" width="263" height="400" /></a></p>

2012年1月5日木曜日

清明上河図巻

北京の故宮博物館から今回初めて国外に出た長さ5m、高さ30cm位の絵巻物です。中国北宋(960年?-?1127年)の都開封の都城内外の殷賑(にぎわい栄えた)の様を描いた画巻です。これが評判になっていたのでしたが、あれほどの人を集めるとは思ってもいませんでした。昔、モナリザやツタンカーメンでこの国立博物館が長蛇の列で囲まれたことを思い出しました。それほどの人出でした。この絵には約800人ともいわれる当時の庶民の様々な生活ぶりが活写されています。面白いことにこの絵の描かれた時期と日本に残っている国宝の絵巻物、例えば源氏物語絵巻や鳥獣戯画といったものもほとんど同じ頃に描かれているのですね。中国の歴史の長大さを考えると、日本が中国から学んださまざまな技術・工芸がいかに速いスピードで消化され、自分たちのものとして独自に発展させていったかを改めて知る思いがしました。この日本人の勤勉さというか、好奇心の旺盛さ、そして消化力をいうものがすでにこのころから我々の祖先の中に備わっていて、それが脈々と今日まで我々日本人の本来的な気質であるかのように受け継がれてきているのだということに感慨を覚えました。中国の至宝の大勢の人物像を見ながら、自分の頭の中には東北で頑張っている人たちの姿や科学技術、芸術その他あらゆる分野で頑張っている日本の人たちの姿を思い描いていました。

初春

国立博物館の中では、和太鼓や中国のお祭りに繰り出される龍の舞などが出て正月気分を盛り上げていました。
<img class="size-full wp-image-498 alignleft" title="20120102wadaiko" src="http://www.kisas.co.jp/wp-content/uploads/2012/01/20120102wadaiko-e1325731847176.jpg"

2012年1月2日月曜日

あけましておめでとうございます

1月2日です。

東京は連日晴れです。冬型の気圧配置なのでしょう。」ということは日本海側は風雪主体の荒れ模様なのでしょうね。北陸出身のわが身としてはこの太平洋側と日本海側のこの不平等をわすれることはできません。

この新たな1年が2011年の悪夢を拭い去れるような1年になるように祈らずにはいられません。

今日、思いを新たにして行動的に生きたいと上野の国立博物館に出かけました。「故宮博物館」からの200点の秘宝展を見に行ってきました。こんな日は案外すいているのではないかと思ったのですが全く予想を覆す、大変な人出でした。入場するのに50分待ち。お目当ての「清明上河図(せいめいじょうがず)巻」を見るのに何と170分待ちというプラカードが出ていました。少しオーバー気味だとは思いますが殆どそのような感じでした。でも、静かに待つ我々というのは、冷静沈着?礼儀正しい?一寸お人よし?大変な物好き?

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...