2012年8月28日火曜日

個展を始めてしまいました

自分が個展をするなんて考えたこともありませんでした。それがひょんなことから実現してしまったのです。

我が街、住み着いてもう35年にもなる人生で最長の時間を過ごさせてもらった街の、今はほとんどシャッター街に近いシルクナードと呼ぶ商店街の中の本屋さんの小さな小さな展示室で個展を始めました。8/17から1ヶ月間、週に4日間だけ開かれる個展です。

八王子や周辺の風景を描いた8枚の絵を飾っていただきました。テニスの仲間や同じ水彩画の教室の仲間など、そして近所の知人や未知の人たちがポツポツと訪ねてくれています。いろんな人とつたない絵を前にして会話をかわすことで色々教えられたりしています。

そもそもきっかけは斜め向かいのTさんの写真展を観に行ったのがキッカケでした。その本屋さんのご主人は私の会社時代に同じ会社に勤めていたことがあり、私のことは以前からよく知っていたらしいのでした。同じご近所の書道のK先生や陶芸を趣味にしているYさんとも昵懇にしておられたそうで、そこからどんどん話がつながってだんだん断りきれなくなって半年後に遂に陥落してしまったのでした。結果的にはやって良かったのかな?と思っているこの頃です。

2012年8月26日日曜日

残暑

処暑を過ぎて何日?処暑とは「暑さも鎮まり」みたいな意味で、昼の暑さは兎も角も、夜は流石秋を感じる頃合いを言うらしい。その処暑は23日でした。この24節気とはよく気候の変化をとらえてその頃合いを見事に表現していて気持ちがなごみます。それにもかかわらず今年は旧盆を過ぎてからの方が夜の寝苦しさが増すという不可思議な現象を示しています。

その暑さの中、会社生活時代から接点の多かったKさんのお通夜で青梅まで出かけました。人懐っこい笑顔を絶やすことなく若者に仕事をさせる好漢でした。去年、胃がんで手術した後、電話やメールでは近況を報告しあっていました。今年の4月、私の水彩画展に毎年来てくれていたので招待したところ快諾。そこまでは良かったのですが例年開いていた八王子の会場から今年は相模原の会場に変わっていたことを見逃して八王子まで足を運んでくれたのでしたが空振りで電話だけでそのことを確認し、また来年もあるから!と軽く収めたのが最後の会話になってしまいました。彼も水彩画をやったり、社交ダンスをやったり、コントラクトブリッジの名手で、これは太刀打ちできず、偶には遊びに来いよとのお誘いにそこまではとても広げらないよと逃げ回っていました。そんな彼は私より1歳年下でしたが逝ってしまいました。祭壇の遺影もにっこり笑っていて、もう少しじっくり付き合ってみたかった男だったなぁ、と愚痴を一つ呟いてお焼香をさせていただきました。会社のOB が大勢見えていて、OB会の模様を呈するほどの数百人に及ぶ大きなお通夜でした。しかし、自分の身に引き当てて思うに、自分の最後はやはり身内主体の限定した人たちに囲まれるひっそりした者の方が良いなぁ・・・との感慨も湧き出ました。だんだん年を重ね、本当に来てほしい人が少なくなっていく時間軸を数えながら帰途につきました。家に帰ってひっそりを缶ビールを1本開けながらの感想でした。合掌。

2012年8月25日土曜日

オリンピック追記

新聞に気になるコラム記事がありました。例の柔道の審判に関連する話です。

武智幸徳さんがオリンピックで見た男子団体体操で内村選手の縁起が抗議で得点が変わり4位から2位に、男子柔道の海老沼選手の審判で0-3の旗判定がジュリーからのビデオ判定で3-0に覆った、あの「審判の軽さ」について書いていました。

『「しっかりしろ、審判」とあきれつつ「偉いな」と思う気持ちもどこかにあった』と。ここで読んでいる自分は???このあとスポーツにおける審判の位置取りについて比較する。「審判の決定は最終」という絶対権威と「過ちて改めざる是を過ちという」とする人間社会での絶対倫理、一言でスポーツといっても、その種目によってこのどちらの立場でジャッジするのが妥当なのか大きく分かれるのはある意味仕方がないことであると書いていました。一概に悪びれず判定を覆す姿こそ、勇気のいることなのではないかと書いてあるところに感心してしまいました。 自分が軽い気持ちであの審判の人達のことを揶揄していたことが恥ずかしくなりました。

2012年8月19日日曜日

復元された三菱1号館の謎

今日は丸の内に復元された三菱1号館を訪ねました。「バーン・ジョーンズ展」の入場券を頂いていて、今日がその最終日でした。快晴に恵まれ、スケッチもしたいと欲張って出掛けました。中庭までは行ったことがあったのですが、今回は建物の中までしっかり堪能しようと思っていました。というのは1つの下心があったからです。自分の霞んだ記憶の中では、この三菱1号館は別名東9号館とも呼んて取り壊す直前まで自分の勤務先の本社ビルだったはずだ。それを確認したかったのです。ビルの木の廊下をミシミシ云わせながら応接室で入社の最終面接試験を受けた思い出の場所でもあり、入社後も何回も足を運んだ記憶があるからです。係の人に尋ねましたがあまりそういうことを調べていなかったのか要領を得ない返事しか得られませんでした。何か自信が無くなって、それでもしつこく家でインターネット検索しました。中々確証が得られなかったのですが、あるサイトで今回の復元に当って、「当時のレンガを1個だけ保管していたF社」という1文でようやく自信を持てました。この建物を自分が歩いていたんだ、と感慨も新たにしました。展覧会そっちのけの感想で申し訳ないです。

ビルの陰でスケッチブックを広げて1枚描いてきました。充実の1日でした。

2012年8月18日土曜日

オリンピックの感想(3)

昨日は愚にもつかないことを書いてしまいました。今日は真面目に、柔道についての感想。

最初の女子柔道の松本選手には驚いてしまいました。こういう表現はいけないのでしょうが、日本人離れした闘志を前面に押し立ててマットに向かう姿には圧倒されてしまいました。どの試合を見ていても、試合前のあの闘志を掻き立てる姿を見ていると妙にみている側が落ち着いてきましたよね。だって、負けるはずがないなぁと安心感を持ってしまいました。そして予想通り勝ってしまうのです。金メダル間違いないなぁ、と思っていると予想通り日本選手団第1号の金メダルでした。ところが後は銅メダルが精々の状態。精神的な所で、松本選手に匹敵する選手は遂に現れませんでした。結局金メダルはその1つだけ。男子は全滅でした。しかし、もう1つの感想としては、このオリンピックで展開されている「オリンピック柔道」は自分が知っている「日本の柔道」とは別のものだなぁ、という感想です。「オリンピック柔道」は「日本の柔道」をベースにしてはいますが、世界各国に伝統的にある色んな格闘技を融合してできた国際格闘技の1つなのです。階級制然り、ポイント制然り、反則技の定義の厳格化然り。何よりも仕掛ける業と返し技との区別が判然としない位速く、また曖昧なので審判も迷う。そして、公正な審判のために導入された「ジュリー」という判定員制度。判断が難しくなって、審判よりジュリーの方が権威を持ってしまったロンドンオリンピックでした。あの海老沼選手の判定が覆った試合はその象徴でした。審判のレベルの低さもさることながら、「日本柔道」から「オリンピック柔道」への脱皮の過渡期なのでしょうね。そして、「柔道」が日本のお家芸という感覚こそ捨てなければならない感覚なのでしょう。お家芸でメダルを取れなくなったという事が国際的なスポーツになったという事の証なのだと考えるべきなのです。「オリンピック柔道」に勝つにはどうするか、「日本の柔道」の良さは良さで置いておいて、作戦や戦略を考えていかなければならないでしょう。考えてみれば、オリンピックに採用されている競技の多くはイギリスがその発祥の地であるものが多いわけですがイギリス選手が金メダルを取れることはもはや稀なことだと誰もが思っています。というよりその競技の発祥の地を意識することの方が稀なのです。国際化とはそういう事ではないでしょうか?

2012年8月17日金曜日

オリンピックの感想(2)

オリンピックが終わった後、無性に本の整理をしたくなったのです。丸1日掛けて、文庫本の本棚を2段分、捨てました。久し振りの[断捨離」です。長年手に取ったこともない文庫本、すっかり埃がこびりついていました。いろんな想いを振りほどいて、といってもまだ捨てた本の2倍ぐらいの文庫本が残っています。初めはこんなことから書き始めるつもりはなかったのですが、ふっとどうしてこういう気持ちになったのか判ったような気がしたからなのです。オリンピックの競技を終えてアナウンサーに感想を聞かれて答えている選手たちの表情や受け答えを聞いていると、色んな思惑や言い訳などは全くなくて本当に素直にホッとして、少なくとも色んな重圧と闘って、その重圧の中でありったけのものを出し終えた開放感を感じることができました。とことんやると人間あそこまで素直になれるんだなぁ・・・と感心しました。それがどうして「本の整理」に繋がったのでしょうね。邪念を捨て去って昔読んだ本と向き合った時、自分が囚われているものからどんどん開放していこうという感覚が強くなったのでしょうか?その一方ではまだあれも買いたいとかという物欲にとらわれている自分もいます。これってオリンピックの感想になっていませんね。

2012年8月15日水曜日

オリンピックの感想(1)

オリンピックは今回、30回目。204の国や地域から約1,000人の若者たちが集まり、26競技、302種目の競技で業と技術を競ったのでした。そして日本は38のメダルを獲得したのです。アテネ大会の37個を1個上回る快挙だったのです。金の数は7個と少なかったのですが、私はむしろ裾野の広がりを感じさせるメダル数の新記録を祝福したい気持ちが強いですね。金になるか銀になるかは本当に紙一重だと判る試合が多かったので、よりそのことがよく判りました。それよりもすそ野の広い競技に参加し、メダルを争うまでになっていることに意義を感じます。

元来スポーツというのは、個々人の身体能力を競うのが原点ではないかと思います。オリンピックも同じでしょうね。オリンピックとしては団体戦はやはり本流ではないとは思うのですが、でもその種目数は段々と増えてきたのでしょう。団体戦で比較的日本が活躍できたり、目立った活躍をしたのは日本の特長と言って良いのではないでしょうか。「For the Team」というのは日本人には判りやすい概念なのでしょうね。サッカー、卓球、バレー、フェンシング、体操。沢山ありましたね。団体戦の魅力を堪能できましたね。有難う。

2012年8月10日金曜日

次代の日本の姿が見えたかな?

連日のロンドンオリンピックはやはり最大の祭典であり、どの種目を見ても極限まで鍛え上げたものだけが表現できる最高のパフォーマンスを見せてくれ、観る者を惹きつけてやまないものがありますね。特に、今日までの精進の経過を知っている日本人選手の競技では、一瞬、一瞬に選手が見せるちょっとした表情やしぐさに人生のこれまでの葛藤やドラマを感じてしまいます。これは作り物ではない生身のドラマですね。悲しいくらい美しいです。

そして金メダルを着々と積み上げていく日本女子選手の活躍ぶりを見て、表題のような「次代の日本の姿」を垣間見たような気がしてきたのでした。要は、この制度疲労を起こし、閉塞感に満ちた日本社会の打開をこうした世界に通用するレベルまで努力を積み重ねることのできて、尚且つ才能にも恵まれた女性に何とかしてもらうしかないのではないか!、と思い至ったのです。とても飛躍がありますよね。しかし、先進各国での女性の政財界での活躍している事例と比較して、日本のそれはまだあまりに事例が少ないという事があります。これは、日本の女性が劣っているからではないでしょう。上記のようにオリンピックの成績が見事にそのことを証明しているのです。日本社会が女性をそのように自由に能力を発揮できるような環境を与えてこなかったことに最大の理由があるのでしょう。機会均等、子育てに対する社会全般の環境の未成熟さが女性の社会進出を妨げてきたのでしょう。これからなすべきことは、子供の養育から教育への投資と女性の子育てからの解放(勿論、何もしなくても良いという訳では決してありません)なのでしょうね。女性にリードしてもらってしばらくは再生の道を辿るしかないのはないでしょうか?

偶々、日経を読んでいたら春秋で「ガラスの壁」という言葉がアメリカにあるそうですね。ということはアメリカにも、現実に女性が飛躍しようとする時に目に見えない障壁が減として存在するという事の証明でもあるんですね。まして日本においておや!ということですね。

2012年8月9日木曜日

佐伯泰英:「黙契」(交代寄合伊那衆異聞)

この流行作家は文庫本に特化して出版を続け、売れに売れている時代小説作家ですね。本人が語るエピソードに、ある出版社員から「あなたに残された道は官能ものか時代ものしかない」と云われたとか。NHK連続テレビドラマでも、「居眠り磐音」が目下放映中ですね。以前、「鎌倉河岸捕り物控」を何冊も読んだものです。久しぶりに手に取りました。この暑い夏を乗り切るのに、読み易いこんな本がお薦めなような気がして手に取りました。交代寄合伊那衆異聞シリーズはすでに8冊も出ているらしいのです。今回の「黙契」はその中でもその8番目です。勝海舟や竜馬の「長崎海軍伝習所」が出てきたり、やはり長崎を舞台にして薩摩藩などとの密貿易で巨万の富を築いたイギリスの政商「マセソン商会」などがでてきて賑やかなこと。この人の本はシリーズ物が多いのでついつい次々と読んでしまうのでしょうね。

HTML5+css3

ホームページ作りの世界もドンドン変化しています。windows8のリリースも10月とかとアナウンスされていますが、アップル社のiPADやiPhonesが人とのインタフェースを一変させてしまったために、それらに向けたコンテンツ作りには従来からの文法だけでは表現力に限界があるからです。延々と議論を積み重ねられ、新しい表現力を身に付けた文法の骨子が固まってきました。それが、表題のHTML5とcss3なのです。HTMLはコンテンツの表現に、cssはコンテンツをどう見せるかというデザインの定義をする文法なのです。これらを組み合わせたものが、パソコンでも、スマホでも違和感なく閲覧することができるようになるのです。これからのウェブデザインはこのHTML5とcss3を使って製作していく必要があるのです。これを勉強して対応するようにホームページも変えていかないといけません。少しずつ勉強しないと時代から取り残されてしまうのです。参考書を調べたり、これらの文法を理解して開発者をアシストしてくれるソフト(これからどんどんできてくるでしょう)も探していこうと思っています。

2012年8月7日火曜日

驚異

暑さで無気力になりがちなこの夏、これまでのオリンピックと同じように、若者の極限まで鍛え上げた肉体と精神力が感動を与えてくれます。寝不足を心配しながらも日頃あまり見ないテレビに釘付けになっています。

もう一つの驚異はNASAが発表した火星探査の「キュリオシティ」から送られてくる鮮明な画像です。科学技術の粋が我々に叶うこともない火星の表面の映像を茶の間に届けてくれました。直径16mのパラシュートでゆらゆらと探査機が軟着陸する光景を目の当たりにしてワクワクしてしまいました。
<a href="http://www.nationalgeographic.co.jp/science/space/space-exploration/mars-exploration-article.html" target="_blank">これまでにも何台もの無人探査機が着陸して相当なデータを人類は収集してきました。</a>人類が足を踏み入れるには一寸遠すぎますね。到達するのに2年かかるのですね。

暑さを忘れさせてくれる話題ですね。この話題で賑わった後には、必ず日本の政治の状況が頭をよぎります。この限りない憂鬱を忘れたいためにか、益々オリンピックに熱中してしまいます。これから男子サッカー、対メキシコ戦が始まります。史上初の男女同時決勝進出を果たしてほしい。注目の一戦です。眠れません。

2012年8月5日日曜日

那須高原:「平成ふれあいの森」

那須野御用邸の一部を開放するために、昨年オープンした新しい森林公園でした。申し込んで1日に決められた人数だけが入園できる「学びの森」と誰でも散策できる「ふれあいの森」の2つからなっていて、今回は「ふれあいの森」だけ。コーヒーを楽しんだりしながら約30分の散歩コースでした。「駒止の滝」は紅葉の時はさぞきれいなことでしょう。

那須高原:「鹿の湯」

硫黄の匂いが鼻を衝く。那須高原の元湯らしい。源泉のすぐ傍のいかにも湯治場を思わせるような佇まいのお風呂に入った。一番ぬるいお湯が41度、最高で46度まで1度刻みで6つの湯船からなっていました。43度まで体験しましたが44度の湯船には一寸入れませんでした。良い体験でした。

2012年8月3日金曜日

那須高原:「茶臼岳」

NPOの仲間とのハイキング、今回は那須高原で1泊し、茶臼岳を歩くことでした。ロープウエイで登ったところは標高1600m程度ながら流石に涼しい。遠方に見えるのは朝日岳か三本槍岳でしょう。手前の花は図鑑から「オヤマソバ」と同定しましたが・・・。

吉田修一:「永遠(とは)と横道世之介」

 横道世之介シリーズの完結編であることはタイトルから想像がつく。これは新聞の連載で読んだものである。と言っても細切れで読んだわけではない。というのは私は新聞のデジタル版の購読者なので、こういう連載小説はHPのアーカイブスのようなところに全部保管されているのでまとめ読みが可能なので...